1998年10月、ニフティーサーブのフォーラム「FYAMAP」への私の書き込みにeiboさんがレスを付けて下さったことがネット上での出会いでした。また、中央アルプス縦走記をフォーラム「FYAMATRK」にアップされたとのことで早速読ませていただきました。 中央アルプスの山々、そして南駒などの様子がしっかり伝わり、この「南駒ヶ岳」ホームページで皆さんにも是非紹介させていただけないかお願いをしたところ快諾をいただき、ここに紹介出来ることとなりました。中央アルプスの様子、また山行の参考にもなります。是非お読みください。(尚、この文章はフォーラム書き込みの文章をご本人が校正したものを掲載しています。) |
みなさん、こんにちは。eiboです。
今年の目標の一つであった、ロープウエイ運休中の静かな中央アルプス縦走を実現することができました。
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第1部 倒木に苦しみながら木曽駒7合目へ
(10/02)曇時々霧、夕方から晴
前夜早めに就寝し、未明の2時に自宅を出発。相模湖インターから中央高速に入るが、直ぐに睡魔に襲われたため初狩PAにピットインして仮眠をとる。
次の木曽福島方面の電車は1041までない。しかも、途中で特急を待ち合わせるため、木曽福島まで30分もかかる。この時点で木曽福島Aコースを駅から歩き通すことを諦めて木曽福島駅から2合目のキビオ峠までタクシーで入ることに予定を変更する決心がついた。登山届を駅舎の中のポストに投函してから、木曽福島までの切符を購入する。320円であった。 客待ちをしているタクシーに乗り込み、15分足らずでキビオ峠に到着した。歩けば2時間のコースである。なお、料金は2290円で意外と安かった。キビオ峠もベンチなどが整備され様子が変わっていたが、あたり一面に生い茂る葛とヨモギを好物とするカンタンが秋の幽玄の趣をかもし出して鳴いていた。
行動食をとって、いよいよ今宵の宿である7合目避難小屋目指して登り始める。相変わらず手入れが行き届いていて歩きやすい道と思ったのもつかの間、この後6合目手前まで倒木との格闘を強いられることになる。先日の台風の影響と思われるが、根こそぎになったもの、中途から折れたもの様々であったが、それにしてもひどくやられたものである。倒木に攀じ登り飛び降りたり、長くはない脚で跨いだり、はたまたコースを外れて足下おぼつかない場所に迂回しながらという情況で登りつづけるが、この障害物ゲームによってかなり消耗してしまった。 6合目を過ぎると登山道は尾根を取り替えるためトラバースするようになるが、ここまで来ると7合目避難小屋は指呼のうちである。6合半の水場で持参した2リットルの空のペットボトルを満たし、更に呑みきって空になりかけた0.5リットルのペットボトル2本も満タンにした。水場から望む槍穂高連峰の美しさにしばし見惚れてしまった。ここから避難小屋までは通いなれた道を10分程である。
予定時刻を1時間半近くも遅れて木曽駒ヶ岳7合目避難小屋に到着。自分1人での貸し切りを予想(半ば期待)していたが、スープの香りを嗅ぎながら小屋の戸を開けると登山靴が5足、土間に揃えて並べてあった。
夜の帳がおりる前に急いで夕食を済ませ、就寝までの間、木曽福島町の男性と四方山話にふける。この男性、東京に本社のある会社に勤務していて、当地に赴任して4年になるという。異動になるまえにもう一度木曽駒に登っておこうということで、久々の好天に家を飛び出してきたと言う。何でもここ半月のうち木曽谷から駒ケ岳を望むことが出来たのはわずか1日だけであったそうだ。
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第2部 霧の木曽駒ヶ岳を越えて (10/03)晴のち霧
前日の就寝が早かったせいか、目が覚めて寝袋の中で時計をヘッドランプで照らすとまだ3時少し過ぎだった。外は風もなく静かで、小屋の中はぼんやり明るい。たぶん月が出ているのだろう。今日の天気は期待できそうだ。
さて、自分は6時少し前に小屋を後にした。あまり急いでも本日の目的地である檜尾避難小屋に昼食前に到着してしまいそうなのでゆっくり登ることとする。天気は悪くないが、御岳に少し雲がでできたのが気がかりだ。 ところで、これまで紅葉について記述をしていないが、それほどに今年の紅葉はここ中央アルプスでは惨澹たる情況で、過日の台風によって色づく前に葉がもぎ落とされてしまったようだ。常緑樹がやたらと青々と感じられて、未だ夏山のような様相だ。既に葉の無い枝に赤い実を残したナナカマドによってわずかに秋を感じるのみである。
8合目をすぎるとガラ場をぐんぐん登って行くが、ついに学生諸君から先に行くよう懇願されたので止む無く追い越した。それから程なく老若男女7人の混合編成のパーティーとすれちがった。荷物の様子からテント泊のようだ。さらに少しして滋賀から来たと言う中高年7人の男女のパーティーとすれちがったが、彼らは下のスキーから木曽福島Bコースを登り目的の木曽駒登頂を果たして下山する途中であった。昨日は宝剣山荘に泊まったと言う。まさに深田百名山巡礼団という様な趣であったが、ロープウエイが無くても木曽側から頑張るのだからすごい。 宝剣岳付近の悪場を通過して三の沢岳分岐付近まで来ると遠望は利かないが近くの駒本峰や三の沢岳などを時々映し出すように霧が切れることが多くなった。また、この直ぐ先の極楽平付近ではコマウスユキソウのものらしいドライフラワーを見つけた。かなりの群落で花期にはさぞ立派なことだろう。9合目玉の窪から目立っていたのだが、イワツメクサの白く清楚な花がこの時期でも意外と元気に咲いていて、この後も越百山の稜線に至るまで、冴えない紅葉の代わって季節外れの彩を添えてくれていた。小高い丘のような島田娘を乗り越す頃には、伊那側は駒ヶ根の街を見下ろすことが出来るまでに霧は晴れていたが、木曽側からは相変わらず霧を伴った風が吹きつけてくる。伊那側を見下ろすとロープウエイの駅も見えたが、1か月後に迫った営業再開に向けた試験を行なっているらしくワイヤーを動かすモーターの音が何度か響き渡っていた。
濁沢大峰の頂上で昼食休憩としたが、時折日は射すものの相変わらず木曽側からは霧を伴って風が吹きつけてくる。 |
第3部 展望の稜線 (10/04)晴時々曇
5時近くに目が覚めたが、同宿者2人は既に朝食の準備をしていた。あわてて食事の準備にかかる。朝食と言っても行動食+α程度のものが今回の山行を通してのスタイルであるため、時間もかからないし水の消費も少ない。
小屋から10分の登り返しで再び檜尾岳の山頂に立つ。南アルプスは日が昇るとともにかなり薄く霞んできており、富士山は霞んだ空に同化してしまっていた。しかし、南側にはこれから行く、空木岳、南駒ケ岳が聳え、北に振り返ると越えてきた宝剣岳、木曽駒ヶ岳もくっきりとしている。北西方向に目を転ずると、御岳と乗鞍岳が鎮座している。頂上で改めて展望を楽しんでいるうちにこの同宿者は既に出発して行った。
空木岳から50年配の単独行の男性が脚を引きずりながら下ってきた。聞くと途中で捻挫したとのことであった。山小屋で応急の湿布をしてもらって出て来たが、これから宝剣山荘に向けて歩きつづけると言う。小屋の人と2人で、その状態では危ないから、倉本に直ぐに下るように勧めたが、何がなんでも木曽駒に登りたいと言って聞く耳を持たない。挙げ句の果ては、宝剣山荘に辿りつけないのならば、檜尾の避難小屋でビバークするとのたまう。近郊の日帰り山行の様なデイパック姿だからもちろん避難小屋に泊まる様な装備があろうはずがないが、雨風を遮るだけの小屋の中で一晩を過ごすことをいとも簡単なものと考えているようである。足は結構腫れあがっており、檜尾岳まで行けるかも怪しい。暫く押し問答したが、とうとう脚を引きずりながら東川岳目指して登っていった。
何だかんだあって、木曽殿越に1時間以上も滞在してしまったが、いよいよ空木岳を目指す。この間に檜尾避難小屋で同宿した男性が先に登っていった。
この小屋の外からの展望も中々のもので、北岳と間の岳が良く見えた。雲さえなければこれよりも南の南アルプス雄峰を望むことも出来ただろう。
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第4部 霧の稜線と里の秋 (10/05)霧と曇、下界ではずっと晴?
独りぼっちの不安な夜はともかく明けた。相変わらずの朝寝坊で5時15分に起床。
昨日までより少し気温が下がったようだがあまり寒さは感じないかった。しかし、稜線に出てから予想される木曽側からの強い風と霧に備えてゴアテックスの雨具の上着を着込む。稜線への途中で一瞬日が射して、北岳と間の岳が浮かんで消えたが、結局これが今回山行の最後の主要山岳展望となった。
岩場を降りるとやがて這松の緩やかな稜線となり、丘のようなピークを乗り越してから登り返すと越百山山頂である。当初の南越百山往復の予定は、この霧に気分が萎えてしまったので、またの機会にとっておくこととした。
そういえば、以前も私がここで休憩中に伊藤さんが刈払い作業から戻ってきたことを思い出した。このような精力的な作業によって、須原から越百山への登山道大変良く整備されている。予定どおり500円の缶ビールを注文し、残っていたコンビーフをつまみにしていっきに飲み干した。 完
お付き合いありがとうございました。 (1998.10.7〜10.10 NIFTYSERVE FYAMATRK 会議室 より) |
また先に書きましたeiboさんとのネット上での出会いとなったレスは、山と地図のフォーラム「FYAMAP」での会議室における次のような書き込みでした。ありがとうございました。
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