このホームページを目にされた小田原市にお住まいの小川潤さんより、空木岳〜南駒ヶ岳の山行記をいただきました。 黄色の表紙で全部で14頁、写真も4枚添えられている暖かい感じの山行記でした。筆者小川様のご了解をいただき、ここ「南駒ヶ岳」のホームページで紹介させていただきます。ごゆっくりお読みくだされば幸いです。 |
中央アルプスは、標高二千六百メートルの千畳敷カールへロープウェイが通じていて、広い雲上展望と高山植物が身近なことで人気がある。 山を始めて四十年以上になるのに、南北アルプスばかりに目がいっていて、そんな中央アルプスに登るのは昨年からである。この夏休み、今回は単独で出かけて千畳敷から空木岳、南駒ケ岳までの主脈を縦走した。白い花崗岩の尾根と可憐なヒメウスユキソウ、南北アルプスや御岳、八ヶ岳の大展望、避難小屋で逢った人達との交流があり、短いながらも楽しい山行であった。
空木岳は、昨秋悪天候のため宝剣岳まで行って断念した山である。南駒ケ岳は、最近見た写真に惹かれ、空木までいったら是非登りたいと思い始めたばかりの山である。予定では、今年の夏山はグループで白峰三山を縦走するつもりでいた。ところが、夏山を恒例にしていた家族との日程が先ず合わず、またここ三年同行してくれた中村さんも前の週になって都合が悪くなり、結局一人になってしまった。白峰三山は、彼らと一緒の機会に残しておこう、それに北岳は登ったことがあるし。そういうことから、一人となると新たな目標として頭のなかには塩見岳と空木岳が台頭した。塩見は、ここ三、四年の南アルプス歩きでいつもその勇姿が目に入り、気になっていた山である。一方の空木岳は、昨秋行きそこなった山である。
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平成9年7月21日
一昨日、梅雨が明けた。今日で、世の中は三連休も終わり。だから山は、天気が安定なうえ空いていて、絶好のコンディションだろう。連休最終日の都市に帰る車の渋滞情報を耳にしながら、中央道を走り、駒ヶ根高原の菅ノ台駐車場に到着したのは、二一時前である。学校が夏休みに入ったにしては何か静かな雰囲気で、大駐車場にも車はパラパラと二十台程で予想よりも少ない。真ん中辺りの二台程の横に付けた。昨年と変わっているのは、新しいトイレが出来ていたことだ。さっそく使わせていただいた、さすが新築、清潔な上に人を感知して内側の電気が自動点灯するようになっていた。そのあと入り口近くのバス停で、明朝のバス時刻を確認した。五時台始発がある休日とお盆以外の日は、七時一二分発が一番早い。やはり調べてあったとおりだ。ちょっと遅いが、しらび平に入る方法はこの専用路線バスのみだから、これに乗るしかない。 |
7月22日
四時五〇分、起き上がる。気のせいか、昨夜到着したときよりも車が増えている。そして、何台かが早朝到着でやってきて新たに駐車場を埋め始めた。夜はよく見えなかったが、車の横で朝食を始めたり顔を洗いにいったり、少なくとも数人が同じように車内泊をした気配が感じられる。朝到着した人達も、一番のバスが七時過ぎだと知ると、車のシートをリクラインニングにして休んだりしていた。六時前、お湯を沸かして味噌汁を作り朝食にした。その間にも到着する車は増えて一帯は活気を増し、バス待ちの列は少しづつ長くなっていった。天気のほうも、雲がちょっと多いが、次第に青空が広がりはじめて、なによりである。
一三時五〇分、空木と対面する東川岳(二六七一)に着いた。先は急勾配の下りになっていて鞍部の小屋の建物は見えない。ヘリポートのHのマークだけが見えていた。山頂にいた男性と写真を撮り合った。山を楽しみながら歩いているといった感じのする人だ。全て順調だったが、水が少し不足したと言ってその男性は最後の水を飲み干した。環境庁から自然観察保護員の認定を受けているということで、ウェストバッグの中に緑色の腕章を持っていた。明日は、空木、南駒を越えて越百山荘まで行く予定だという。
白い砂地の道を下って、ハイマツに囲まれながら斜面にちょっと突き出たように建つヒュッテに向かう。確かに屋根の大きさからして、小さな避難小屋だ。どんなところだろう。裏手に、飲料販売の看板があったのはそう驚かなかったが、小屋の前のホースの蛇口から水を使えるのは意外だった。そして流しにいた女性に教えてもらわなければ分からないほど、極シンプルな引き戸が入り口である。
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7月23日
三時過ぎ、予定通り女性達が活動を始めた。隣の横山さんが、準備をしながら、
頂上の岩と空の境 四時四八分、ご来光。八ヶ岳の右肩から陽が上がると、一帯は白黒写真からカラーへと転じた。ハイマツの中に点在するハクサンシャクナゲも、薄いピンクに光っている。五時二五分、赤椰岳(二七九八)。南駒ケ岳を目前に小休止。ここでも、彼女達からコーヒーとパンなどの差し入れをもらう。
そこから左手まじかに摺鉢窪のカールとその真ん中にある避難小屋を見ながら一旦下る。カールは途中から切れ落ちた大きな断崖となって氷河時代の地肌がむき出しになっている。全くの偶然であったが、下山して見た二十三日付けの信濃毎日新聞にこの崩壊が、カラー写真付きの「続く崩壊」というコラムで紹介されていた。記事によると「高山植物が咲く南駒ケ岳の東側の百間ナギの断崖は、日本屈指の崩落地で断崖の幅四百メートル、標高差は五百メートル以上もありカール底にある避難小屋まで二十六メートルに迫っている。」ということだ。
摺鉢窪分岐から急坂を登り返して、六時二五分、小さな祠のある南駒ヶ岳(二八四一)山頂に到着。ここも素晴らしい眺めである。もちろんそれまで見えていた山もそのままであるが、特に新鮮なのはこれまで辿ってきた中央アルプス北部の山々、独立峰の御岳、はるか白山、尖がった笠ヶ岳、南側直下の仙涯嶺と越百山、そのずっと先の恵那山だ。富士山も裾を見せて、それらしくなった。深田久弥が、その名著日本百名山に「私は日本百名山に、木曽山脈南半分から一つだけ選ぼうとして、空木にしようか、南駒にしようか、迷った。どちらも優劣のない立派な山である。」と記している。ここに立ってみて、そしてこの章を読み返して、今その気持ちがよく分かる。
余談になるが、下山してから今月初めに繋いだばかりのインターネットで検索をして見た。空木岳のほうは何も見当たらなかったのに対して、南駒ケ岳は山麓の飯島町の毛賀沢貢さんという方が、「南駒ケ岳」という大変に丁寧でボリュームのあるホームページを出していた。命名の由来から、動植物、春の雪形、摺鉢窪カールの崩落まで四季の写真を多用した紹介が載っていて、完全に南駒ファンの一人として定着させられてしまった。
南駒で、「今度、六甲を縦走しましょうね」
と残して更に越百山へと進む三女性を見送った。緻密さとゆとりを兼ね備えた小谷リーダー、感性があってよく気がつく横山さん、言葉数は少ないが行動力ある川西さん。今回の山旅を印象深いものにしてくれた彼女等である。
南駒への散歩を楽しんで、避難小屋に戻ったのは九時一五分。小屋では留守中にジュースの売り上げがあった。紙のメモと一緒に千数百円が置かれていた。そしてお湯を沸かすだけのラーメン作りではあるが、座って山の話を続ける福沢さんの横で今度は台所で働かせていただいた。これも避難小屋ならではの楽しい作業である。小屋番からすれば、一晩で去っていくのが大部分の泊り客だ。逆に、いろいろな人と会って話ができるのが最大の楽しみなのだろうが。鍋を挟んで向かい合って食べながら、本音と冗談を交えたような言葉も出る。
(平成九年七月記)
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