いななき学舎通信 

いななき学舎会員通信(2024年6月号) 2024年6月1日発行

T.5月例会・読書会 担当: 白田信

日時:5月26日(日) 場所: 市立伊那図書館 時間: 16:00〜19:00 参加者: 10名

テキスト : 井上智洋著、『AI失業』 SB新書

私が担当した2019年2月の読書会において、AI(人工知能)が今後人々の生活にどのような影響を及ぼすかを書かれた『人工知能と経済の未来』井上智洋著(2016年発行)を選定し討論した。その著者が昨年(2023年)11月に上梓した本書を今回のテーマ本としました。昨年(2023年)から急速に広まったchatGPT等の生成AIブームはビジネス、生活、教育などあらゆる領域に浸透しているようだ。

前記の著書で著者は「2030年以降AIは経済や社会のあり方を大きく変え、雇用が著しく減るだろう」と述べている。それから7年が経った今、著者はAI社会をどうみているのか、皆さんと話し合ってみたいと思い本書を選定した。

chatGPT等生成AIの出現は専門家でも驚くほどの進化で、数年前には「AI失業は大した問題にはならない」とのコンセンサスがあったが、今や「AIを使いこなせなければ生き残れない時代が到来している」と考えを一転させてきているようだ。現代を生きる私たちは、歴史上で初めて人間より賢い存在を目撃する可能性がある「人類の歴史の転換点」にいるのかもしれない。そんなことを感じさせてくれる、大変読みやすい著作になっている。

[本書の構成・特記内容]

第1章 生成AIは仕事のあり方をどう変えるか?

<生成AIがもたらす「アイディア即プロダクト」の経済>

・アメリカでは生成AIによってコピーライターやカウンセラーが、中国のゲーム業界では画像生成AIによってイラストレーターの仕事が奪われている。

<クリエイティヴィティ・マネージメント・ホスピタリティ・・・残りやすい仕事の特徴>

・新しい商品の企画、ビジネスモデルの生み出し、起業するといった活動やマネージメントは人間にしかできない仕事として残る。AIには価値判断のオリジンがないからだ。

第2章 人工知能は私たちの仕事を奪うのか?

<AI失業は本当に起きるのか?>

・歴史上繰り返し起きた技術的失業は、労働移動によって解決されてきた。

・21世紀になってからは、サービス業内の「ホワイトカラー」(知的労働者)から「ブルーカラー」(肉体

労働者)に労働移動している。これからホワイトカラーは、ブルーカラーへ移動するか、AIにはない能力

を発揮するか、失業を甘んじて受けるか、といった選択を迫られるでしょう。

<生成AIは各職業にどのような影響を及ぼすか?>

・影響を受けやすい職業・・・一般事務職、専門職では会計士、税理士、弁護士、司法書士、ジャーナリ

スト、教員、デザイナー、イラストレーター、漫画家、作家、作詞家、作曲家、モデル、俳優 など。

・ブルーカラーへの影響がホワイトカラーより後になるのは、ロボットのような物理的な機械に組み込

まなければならないから。

第3章 人工知能が引き起こす新たな産業革命

<人工知能の歴史的な進歩と産業革命>

・「人口知能」という言葉は1956年から存在していたが、AIが現実的な問題に柔軟に対応できるように

なったのは、第三次AIブーム(2010年台 ディープラーニング使用)及び第四次AIブーム(2022年以降

生成AIの出現)からである。

・第四次産業革命=AI革命であり、「頭脳労働のAI化」「肉体労働のロボット化」そして「万物のスマ

ート化」と進んでいく。

<人工知能によって進む生産活動のスマート化>

・スマート農業(農業がホワイトカラーのような仕事に)、完全無人化へ向かう物流、建設も無人化へ、小

売りは自動化とホスピタリティ強化方向の二極化か。

・未来の世界は、メタバースとスマート社会に分岐していく

第4章 人工知能は日本経済をどう変えるか?

<日本はなぜAI後進国に陥ったか?>

・世界のAI研究ランキングトップ100機関に入っている日本の組織は理化学研究所(48位)と東京大学

(63位)の2つだけで、全体の11位になっている。

・日本経済のデフレマインドが、AIに関しても投資を躊躇させ、そこに第五世代コンピューター失敗

(p180)のトラウマが加わり、日本をAI後進国にした。

<日本をAI先進国にするにはどうしたらよいか?>

・現在ChatGPTへのアクセス数が多い国はアメリカ、インド、日本の順番で日本は世界3位である。

・日本人は潜在的に自分とコミュニケーションができるAIが欲しかったのでは、と考えられAI脅威

論が少なくチャンスが到来していると言えよう。

・政府は年間2000億円くらいの予算を出すべきだ。世界中からAI人材を呼び込むことも。

AIなどの先端技術によって企業の生産性を高め、デフレ不況からの脱却が急がれる。

第5章 人工知能と人間は共生可能か?

<人工知能が引き起こす社会問題とは?>

・日本は安全保障の観点からも、中国を有利にしないためにAIの研究や普及のレベルを高め経済成長を

促進する以外に取る道はない。

・喫緊の課題として「ディープフェイク」と「著作権」の問題がある。

<人間の創造性と人工知能>

・今のAIにはなくて人間にあるのは意思、体験、価値判断だが、この人間の人工知能に対する優位性も

変化していくでしょう。

・ChatGPTを使うと馬鹿になるという主張は、かつてソクラテスが「文字を使っていては、本当の知恵

は得られない」と述べたエピソードに類似していると言えよう。

<私たちはAI時代にどう生きるべきか?>

・未来には、AIを手足として使った小さい会社が乱立するといった「部族ごっこ」が続くでしょう。多

くの人が経済的に困窮し、ディストピアが到来する可能性についても十分考えておかなければならない。

・そのような事態を回避するため、ベーシックインカム(BI)の導入を提唱している。

・「レイバリズム」(労働主義)は近世以降に人々が抱くようになった錯覚にすぎない。脱労働社会に向け

て「人間は生命であり人格を持っているだけで尊重されるべき」との価値観へ転換しなければならない。

◇私の読後感想

@私の周辺にも生成AIを活用している人が出ており、AI時代が到来していることを感じている。本書

でこれからどんな社会になっていくか概要は理解できたが、著者を含む専門家の方々が「2040年の社会

を想像できない」と言っており不気味だ。

A今後、優秀な人と普通の人との能力の格差が大きくなっていくと思う。そんな環境で、脱労働社会の

価値観が共存できるとは思えない。AI門外漢の私は、これからの混沌としたAI社会の変遷をじっくり

観察することを、短い余生の楽しみにしたいと思っている。

U.意見交換・感想

・AI社会についての過去の読書会では、AI社会に対する不安や疑問の意見が多く我々は見守っていくだけ

との立場であったが、今回は、AIを利用しながら人間の役割は何かとの意見が主体となった。生成AIを

利用している出席者はいなかったが、利用している人が周辺に居りAI社会が到来していることを皆さん感

じ取っているのだと思う。

・教材に書いてないことを教えるのが教育者だ。 ・回り道、無駄なこと、効率の悪いことも必要。

・体験からしか学べないものもある。 ・「読み書き算盤」は大切。 ・音楽は体験から得た感動を伝える

ことができる(AIにはできない)。等々

・「人間は生命であるのに対しAIは生命ではない。生命である人間が持っているものは、「意思」「体験」

「価値判断」の3つだ」(P55)の記述に救いがある。これが今回の読書会の結論となった。

V.事務局より

今後の予定

6月30日(日) 清水吉治担当:「この国のけじめ」藤原正彦著 文芸春秋 (1190円+税)

7月28日(日) 斎藤健一担当:「ゴッホの手紙」小林秀雄著(新潮文庫)

その後の担当

8月25日 肥沼光彦、 9月29日 肥沼さん講演会

10月27日 金井礼子、 11月24日 伊藤岬、 12月22日 六波羅秀紀

以 上


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公開読書会 令和3年 530() 13:0016:00   参加者20名  進行・通信:六波羅秀紀 

    テキスト:渡辺秀樹著『芦部信喜 平和への憲法学』岩波書店

著者・信濃毎日新聞編集委員の渡辺秀樹さんをお迎えしての公開読書会。初めに著者から本の内容とそれに関連する問題を1時間半説明して頂き、次に参加者からの質問に同じく1時間半、お応え頂いた。


2020年「いななき学舎」発足15年となりました。記念して15年の歩みを発行しました

☆「いななき学舎15年の歩み」編集に際して   いななき学舎代表 六波羅秀紀

 

 「いななき学舎」の発足は20058月、代表は森本尚武さん、事務局は有賀功さんと若林敏明さん。設立の目的は @地域に根差した活字文化の振興をはかる。 Aそのために読書会、講演会等の活動を行う。 B「信州岩波講座」の伊那での開催を目指す。というものでした。「信州岩波講座」は岩波書店、信濃毎日新聞社、須坂市等の支援のもとに、須坂の市民団体が毎年夏に須坂市メセナホールを会場として、ひと夏に4回、全国の著名な講師810人が講演しています。松本市でも同地の民間団体が年1回、講演会を開いています。いななき学舎でも当初、有名講師をお迎えして講演会を行いましたが、会費2,000円で運営する私たちに、どこからの支援もなく著名な方々をお招きするには千円のチケット販売での実施でした。 このチケット販売は大変で結局止めになり、その後は、会員や費用の少なくて可能な方々の講演会を実施しています。また、読書会は当初より毎月1回行われ、現在に至っていますが、須坂や松本ではないそうですから、読書会はいななき学舎の特質すべき活動かもしれません。

私が参加したのは2007年であり、その時のテキストは半藤一利著『昭和史戦後編』平凡社で、有賀功さんが解説する形で進められ、一冊のテキストに数か月かけていました。当時は読書会の会場はカフェ・アビエントでしたが、20096月より創造館に変わり、更に20139月より、伊那図書館になりました。有難いことに、どこも私たちの活動に理解を示してくれ協力的で、有難いことです。20092月から有賀功さんに代わって六波羅が事務局に入り、有賀さんは副代表として、実質、会の運営に当たりました。2014年には有賀功さんが代表、伊藤一夫さんが副代表、事務局に六波羅、白田信隆さん、伊藤岬さん、三宅生郎さん、清水吉治さん、湯沢文象さんが入り、順番に「会員通信」を発行し、伊藤和義さんが会計担当になりました。テキストは会員が順番に決めており、20193月より、テキスト選定者が「会員通信」も発行することになりました。東京から参加されている方や、海外生活の長かった方もおります。大学で教鞭を執っておられ、定年退職後に参加された方もおり、会員は多彩です。信濃毎日新聞社には2006年に主筆の中馬清福さんに講演して頂き、2013年のフォーラム「東日本大震災から見えてきたもの」では編集委員の増田正昭さんがパネリストとして参加、更に来春には『芦部信喜 平和への憲法学』の著者・渡辺秀樹さんを迎えての公開読書会が予定されるなど、大変お世話になっています。

2020年は会が発足してから15年目になり、取り上げた本は約150冊になります。この9月のテキスト・出口治明さんの『還暦からの底力』の中に、沢山の人に会い、沢山の本を読み、いろいろな所に出かけて行って刺激を受ける。つまり「人・本・旅」の生活からアイディアは生まれる旨の記述がありますが、私たちの読書会はまさにその通りの活動です。アイディアが生まれたかは別として、一茶の柏崎、良寛の出雲崎、軽井沢の軽井沢高原文庫、大伴家持が越中国守として赴任した富山県の高岡市万葉歴史館、多くの文学者ゆかりの鎌倉にある鎌倉文学館、島根県松江市の小泉八雲記念館、会津、日本最古の学校・足利学校等々を訪れています。

さて、私も今年傘寿、腰は痛くなるし、記憶力もおかしくなり、複数の仕事をこなすことも困難になりました。その様な訳で同じく傘寿の伊藤和義君とともに、世代交代することになりました。それには今までの活動を記録として残して引き継ぐ事が必要ということで、今回の「いななき学舎15年の歩み」の小冊子作成することになりました。

私がなんとか代表として務められたのも、足を引っ張るような人はおらず、善意の会員の皆様の協力があったからこそであり感謝しています。 新しい代表の中堀謙二さん、会計の吉岡郁子さん、継続の事務局・伊藤岬さん、三宅生郎さんに対しましても、同様のご協力ご支援をよろしくお願い致します。      

伊那図書館といななき学舎           伊那市立伊那図書館 館長 北原善昭

 

いななき学舎15年の歩みの記録に寄稿依頼をいただき、私でいいのかという思いで記しております。

2005年(平成17年)8月にいななき学舎は設立されましたが、当時、伊那市は市町村合併に向けて慌ただしい時期だったと記憶しています。伊那図書館は伊那市にある唯一の図書館でしたから、それが合併をすると高遠町にも図書館があり、その在り方について議論を重ねていたと聞いています。合併後も現状のままでいいということで落ち着き、今に至っています。 
 伊那図書館は図書館法に則って設置されています。図書館法が施行されてから2年後に日本図書館協会から出された「図書館の自由に関する宣言」において、「図書館は、基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供することをもっとも重要な任務とする。」と冒頭に記載があります。図書館法は施行されましたが、図書館とはこうあるべきという方向性が示され、これに倣ってどの自治体も図書館の整備を進めていきました。この宣言に基づいた活動、サービスの提供は諸先輩方から脈々と受け継がれています。いななき学舎の活動も、この「資料と施設の提供」にあたり図書館としてはもっとも重要な任務として捉えています。
 いななき学舎の皆さんが伊那図書館を利用し始めたのは、2013年(平成25年)9月からで、毎月1回読書会を重ねてきています。重ねていくうちに、図書館と共催で講演会を開催し、お互いに連携をしながら活動を続けてきました。月一回の読書会では、ジャンルを問わず会員のオススメ本を読んでいますが、その内容の解釈について異論を唱えてはならないというルールがあるようです。このルールは初めて聞いたとき、とてもいいな、いいグループ活動をされているなと感じたのをはっきりと覚えています。お互いを尊重し合わなければこのようなことは出来ませんので、仲のいいだけのグループではない素晴らしさを備えたグループ活動だと思います。代表の六波羅さんは世代交代と仰ってますが、いななき学舎の良さ、らしさを引き継いでいただき、今後もますますご活躍されますことをご祈念申し上げます。
 今後も図書館としてもっとも重要な任務と捉え、皆さんの活動を少しでも支えられるように尽力いたします。引き続き伊那図書館のご利用お待ちしております。


☆「共に学んだ日々」
(いななき学舎15年のあゆみに寄せて)

信濃毎日新聞社製作局局長(印刷担当)中村賢二

 

 私が伊那市で勤務したのは2009年春からの約2年間でした。新人記者時代を過ごした懐かしの地での約20年ぶりの生活に心を弾ませ、家族とともに赴任しました。1階の信毎支社、3階の「週刊いな」編集室に挟まれた2階で暮らす日々にあって、学識、社会経験豊かな「いななき学舎」の皆さんと一緒に、歴史をはじめ政治や社会、文化を学び意見を交わす場は知的刺激を得る貴重な機会でした。世間知らずな新聞記者にとって、外に開かれた「窓」でもありました。
 入社したころ、「寝る前に本を10分だけ読め。積み重ねが将来の大きな力になる」と先輩に言われましたが、仕事に明け暮れて休みは惰眠を貪る日々。時間の余裕ができても勉強しようという気は起きませんでした。2回目の伊那勤務も同様でした。いななき学舎の読書会に際しては100ページほど読んでいればよい方で、斜め読みして出席したこともありました。衆院選、市町村長選、統一地方選と選挙も多く、告示日や投開票日に休んだことも多かったように思います。
 そんな私をいななき学舎の皆さんは温かく迎えてくれました。当番の方が課題となった書籍の要点を丁寧に発表し、私の理解を深めてくださいました。討議の場で本の内容を外れて発言しても、どなたかが意見をくださり、読書会の2時間はあっという間に過ぎました。本を読み意見を交換し合う機会は、学生時代のゼミ以来だな、といつも思いながら参加していました。主会場だった創造館の味わい深く重厚な造りが、学問をする雰囲気に合っていたのだとも思います。読書会後に居酒屋に行って皆さんとまた盛り上がり、親交はさらに深まりました。
 いななき学舎の特筆すべき点は、読書会にとどまらず講演会や文学の旅を継続して催してきたことではないでしょうか。講演者は作家、医師、映画監督…と多士済々。哲学者内山節さんの講演会を開いた際は、私も運営側の一員として駅への送り迎えやお昼の手配などをしたことは懐かしい思い出です。作家落合恵子さんを県伊那文化会館にお招きしたときは、聴講者の反応がよく、落合さんの話しぶりにいっそう熱が入っていたように思います。
 講演会では地域においてその道の第一人者である会員自身をはじめ、地域社会のさまざまな方も長年にわたる研究の蓄積を披露されてきました。学舎の名の通り、地域の人々が共に学び合う姿勢を地道に体現されてきたことは誇るべき点だと思います。
 さて、パソコンやスマートフォンは現代社会に広く、そして深く浸透してきました。情報の伝達、意思や思いの交換といった用途だけでなく、物品の売買、預貯金や株取引をはじめ商習慣や経済システムに大きな変化をもたらしました。
 一方で、文字・活字文化は年々勢いを失い、書籍、新聞といった印刷物の発行部数は右肩下がりの状況が続きます。ネット販売の進行もあいまって、全国の商店街では本屋さんが次々と姿を消しています。新聞も若年層の購読率の減少が指摘され、電車の中で新聞を広げる姿を見かけることも少なくなりました。
 文字を読むことは考える力を付ける、として学校教育で新聞と読書に関する教育が推進されていますが、社会人になると文字・活字から離れてしまう、それが現状です。新聞社で働く自身にとって、入社時に考えられなかった変化です。
 文字や活字から遠ざかる生活が続けば、読解力、思考力をはじめとする知的活動の衰えにつながるとも懸念されています。そのことが民主主義や言論の自由の衰退に結びつかないでしょうか。経営における広告への依存度が高い米国では地方紙が撤退する事象が相次ぎ、そうした州や市では権力を批判する勢力が存在しなくなった結果、首長の給料がお手盛りで大幅増額され、汚職や職務の怠慢がはびこる、などの弊害がすでに指摘されています。
 その米国で、大統領がツイッターをはじめSNSで自分の考えを述べ、自らに都合の悪い事実をフェイクと主張する、といった事態が進行しました。彼を論じるジャーナリストの本によると、彼は文字がたくさん記された書類を読もうとしないそうです。米国のこうした現実は文字・活字文化が衰退してきた、軽んじられてきた風潮を象徴的に表しているように思います。
 主体的に文字を追い、思考し、そのうえで意見を述べ合うことは民主主義の原点だと考えます。その意味において、紙に書かれた文字・活字を読み合うことを重んじ、世の中のさまざまなことを語り、学び合ういななき学舎の役割はますます大事になっていくと思います。今後は、若い世代も仲間に引き入れ、読書の本当の楽しさ、喜びを伝えていっていただけたらと存じます。
 私は11月から長野市に異動となり、印刷工場の現場から日々の新聞を読者の皆様にお届けする仕事をしています。いななき学舎の皆さんと机を並べ、語り合った日々をときどき思い起こしながら、地域から世界に至るさまざまな情報を正確に伝え、健全な民主主義を守っていく新聞の役割を果たすため、しっかりと輪転機を回していきたいと思います。

 

☆いななき学舎の発足よもやま話                   若林敏明


 会発足から15もうそんなにもなるのかと驚く。考えてみれば、私がカフェあびえんとを通り町に開店して 来年で20年になるから同時代なのだ。
 この際お店を始めることになった経緯からお話ししておこう。当時長野県は田中康夫知事による「しなやかな県政改革」が過激に繰り広げられ、その最中の県議選で私は突然無職になった。捲土重来を期して街中に拠点をと思い、半年物色していなっせビルの建設予定地の正面に市民活動の拠点としてコミュニティーカフェを構えることにした。1階がカフェ、2階が市民情報センター、3階が貸事務所です。そして様々な団体の事務局を引き受け、多様な会合が開かれた。市民活動サポートセンター南信、市民ネットワーク、市民ひろば、日仏親善風の谷の会、高遠石工研究センター(3)、また東日本震災のときには伊那市民災害ボランティアセンターとして支援拠点になり、多くの人が出入りしていた。いななき学舎がこのお店で始まるにもそれなりの必然があったように思う。
 さて本題に入ろう。ある日初老の紳士が店にやってきた。コーヒーを啜りながら、彼は岩波書店と信濃毎日新聞社が主催して始めた信州岩波講座の話を始めた。彼が設立以来毎月東京から参加し続けていた山岸さんだ。そして岩波といえば縁のある小林書店もあることだし、伊那でも是非開催したいものですね。」とふってきた。
 実は私も新聞を読んで、井上ひさしや後藤田正晴など、時代を象徴する文化人・論客の話が直接聴ける講座を羨ましく思っていたので意気投合。その日のうちに実現を誓い合った。ただ何も確信があったわけではない。とりあえず関心のありそうな、伊藤一夫さんや伊藤岬さんなどに声をかけた。声をかけて集まった方々は「伊那だけじゃもったいない、南信や木曽にも参加を呼びかけよう」ということで、「いななき」学舎と命名した。
 間もなくして、講演会は無理にしても、仲間づくりのために読書会をやろうと言うことになり、当時評判だった半藤一利氏の「昭和史」をテキストに選んだ。
 従来の歴史書と違い、読みやすく、しかも核心に迫る昭和史に読書会場あびえんとは「熱狂」した。読書会後の「懇親会」が更に盛り上がったのは言うまでもない。
 また、初回から信濃毎日新聞社新津伊那支局長(現在は支社長)に声をかけたのは正解でした。身内だけの読書会にとどまらず一般市民を対象にした公開講座にするためにもメディアの支援が必要だったからです。将来の岩波講座伊那開設の為にも それは意外にも早く実現しました。1年後の講演会には信濃毎日新聞社主筆中馬清福氏を伊那へお迎えすることができ、心に残る講演会となった。
 昔話はこの辺で終わるが、いななき学舎は、本に出会い人と語らう心豊かな時空。益々の発展を祈ります。

 

☆ つれづれなるままに「いななき学舎」               伊藤 岬

 

 「いななき学舎」が発足したのは2005年の8月、そのきっかけは通り町にあった「あびえんと」を山岸昭七さんが訪れ、須坂市で行われている信州岩波講座のことを話題にしたことが発端だった。その話に共鳴した店主の若林敏明君から呼び出されたぼくは、あびえんとを訪れ山岸さんとお会いした。
 山岸さんは大手広告代理店博報堂に定年まで勤めておられたが、退職して自由の身になったのでときどき空き家になっていた郷里・小沢の生家に戻っては管理しておられるとのこと。
 そこで、須坂市では「信州岩波講座」が活発に行われているが、この伊那谷も岩波書店とは古くから関わりが深いので、その伊那谷版のようなものを立ち上げたらどうだろう、と語りかけてきた。
 ちなみに岩波書店創業者の岩波茂雄は諏訪市の出身で、岩波茂雄の娘婿・小林勇は現在の岩波書店の礎を創った一人だが赤穂村(現・駒ヶ根市)の出身であり、先頃店を閉じた伊那の老舗「小林書店」も小林勇とは縁続きにある。近年の元岩波書店専務の今井康之さんも駒ヶ根市の出身であり、この今井さんは「いななき学舎」の設立初期の頃、なにかとアドバイスをしてくれることになる。
 「信州岩波講座」のことは『信濃毎日新聞』でたびたび記事になっていたので知っていた。毎年、錚々たる講師を呼んで夏期に数回にわたって講演会を行っている。そんな大それたことを若林君やぼくの周辺にいる者だけでできるはずもない。
 そこでまずは、力になりそうな知人に声をかけてみようかということになり、若林君が郷土史家として知られる『伊那路』編集長だった伊藤一夫先生等に連絡をとった。
 ぼくの知るなかで思いついたのは、信州大学の学長(当時)だった森本尚武さん、南箕輪村在の名士有賀功さん、そしてまんが家の橋爪まんぷさん。
 組織づくりに大いに貢献されたのは橋爪まんぷさん。自分の出身校である伊那北高校の同窓生に積極的に声をかけて、そのなかに現代表の六波羅秀紀さんもいる。そんなきっかけもあり、以来この会は昭和1516年生付近のまんぷさん同窓の会員が多数在籍することになった。
 有賀功さんは、一市井人ではあったが、東大から政府系の金融機関に入り、手腕を買われ傾きかけた企業の再生も手がけてきた人であるが、やり手の経済人のイメージとは真逆の朴訥とした学者肌の人。この人が設立初期から事務局長として会を支え、牽引してくれることになる。
 ともかく賛同するメンバーが集まって、会の方向を決めようということになった。
 会のおもな会員エリアとして想定したのは、伊那市・駒ヶ根市・木曽などで、「いななき」は、伊那谷を挟んでそびえる木曾・甲斐両駒ケ岳に因み、伊那・南信・木曾の頭文字をつなげてつけた名前だ。会のロゴマークはその場でまんぷさんが描いてくれた。 会の方向として、須坂のような行政ぐるみのイベントを主催してゆくというには地域人口もスタッフも少ない。まずは地道に読書会として力を蓄えてゆこうということに落ち着いた。発足代表に森本尚武さん、事務局に若林敏明さんと有賀功さんにあたってもらうこととなった。発起人にあたる山岸正七さんが役員にならなかったのは、住まいが遠方であり、頻繁に運営に加わるのは難しいだろうという判断だったが、その遠方から例会にはほとんど欠かさず参加してくれた。
 北信での「信州岩波講座」は主催構成団体として、須坂市と並んで信濃毎日新聞社も主要な役割を担っている。伊那でも協力して貰えるだろうかと、伊那支社を訪ねたところ、新津伊那支局長が「私も会員として協力しましょう」と表明してくれ、それ以来、濃淡こそあるが代々の『信毎』伊那支社長は読書会にも積極的に参加し、「いななき学舎」で採り上げた本の著者や知名人等を会とつなげてくれるなど、側面から協力してくれることになる。
 手始めともなった『朝日新聞』論説主幹を経て『信毎』主幹となった中馬清福さんが講演に駆けつけてくれた。その後も小さな会には贅沢ともいえる著名人と裏交渉をしてくれた。思いつくままあげてみると、内山節、色平哲郎、なだいなだ、窪島誠一郎、落合恵子の各氏のほかにも、様々な方が講師としていななき学舎の演台に立ってくれ、懇親会などでは身近に接する機会を得ている。
 読書会としての初期に採り上げた本は、半藤一利著『昭和史19261945』、『昭和史 戦後篇』(平凡社)だったと思うが、これは分厚い本だったので会は二ヵ月にわたった。
 その後、田中成之著『改革の技術 鳥取県知事片山善博の挑戦』(岩波書店)、赤川学著『子どもが減って何が悪いか』(ちくま新書)、藤原正彦著『国家の品格』(新潮新書)、ビル・エモット著『日はまた昇る 日本のこれからの15年』(草思社)、養老孟・牧野圭一著『マンガをもっと読みなさい』(晃洋書房)、香山リカ著『いまどきの「常識」』(岩波新書)、伴野敬一著『信州教育史再考』(龍鳳書房)、暉峻淑子著『豊かさの条件』(岩波新書)、内橋克人著『悪夢のサイクル ネオリベラリズム循環』(文芸春秋)、宮沢賢治詩集・童話集、池澤夏樹著『言葉の流星群』(角川書店)、窪島誠一郎著『「無言館」への旅 戦没画学生巡礼記』(白水社)、藤沢周平著『暗殺の年輪』(文春文庫)等とつづいてゆく。
 当初は若林氏の「あびえんと」を読書会の会場としたが、会員数が増えるにつれ手狭となり、伊那市創造館の会議室へと移った。読書会の後は有志による二次会を行い言い足らぬ読書論などを語り合ったが、読書会より二次会が楽しみという者もいた(その一人は他ならぬぼくであるが)。しかし、二次会での余談が「いななき学舎」にえもしれぬ深みをもたらしたことは間違いない。 その頃、ぼくの印象深かった出来事をひとつあげるとすれば『「無言館」への旅』を読んだことに触発され、窪島誠一郎氏を招き講演会を行ったことだろう。その熱で、会員有志で上田の「無言館」「信濃デッサン館」を訪れ、窪島氏と交流をもった。
 そうした経験を契機として、年に数回、知名人を呼んでの講演や、文学とゆかりの深い地域への旅や講演会などを行うことが恒例となり、いよいよ「信州岩波講座」の伊那谷版に近づいたかと歓迎の声があがった一方、少人数で大きな講演会をもつことの負担も大きく、熱心だった会員の退会の一因ともなった。また一方では、講演会を機に入会する人もいたから、その功罪についてはどちらとも言えないが、身の丈以上の活動だったかも知れない。
 そうした教訓などから、会員の負担の少ない方法でこの読書会を市民に知って貰おうと、通常の読書会のほか、会員が講師となり「自前講座」も行ってきた。その試行版として、不肖伊藤岬が「金子みすずになりたかった女の子」という小講演をしたのを皮切りに、事務局長の有賀功さんによる「日本人の宗教意識」という講演を行うなど、会員や会の周辺の人々が講師となり、多様な自前講演も行ってきている。
 また客員のような形で、外交官から世界銀行などを経てアメリカ在住の木村洋さん等が、たびたび日本人論やアメリカの政治情勢など、読み応えのある質の高いレボートを提供してくれたことも「いななき学舎」の活動に厚みをもたらしてくれた。木村さんは、伊那も訪れ小講演や懇談もしている。
 文学・文筆家にかかわりの深い地域を訪れる旅も年に1度ほど行ってきたが、それぞれ想い出深いものとなっている。そのなかで小泉八雲ゆかりの「松江・出雲の旅」はひときわ印象に残っている。「小泉八雲記念館」館長で八雲の直系にあたる小泉凡先生との交流は、信州に戻ってからもつづいた。
 直近では、カナダ人英語講師のJack Morlog氏やイギリス人英語講師のレイラ・ニコルソンさんの講義も興味深く、意義深く拝聴することができた。
 思い起こしてみると常に20名足らずの「いななき学舎」であったが、この小文のなかであげたお名前だけでなく、実に多くの方々が講演やレポートで参加してくれている。
 また会員通信への感想も力作が度々寄せられている。
 当初目指した「岩波講座」伊那谷版はならなかったが、むしろ地道に本来の活字文化啓蒙の活動ができていたのではないかと自負するところである。伊那谷文化の底流をわずかながらも支えてきた会としての存在感を示しているのではないだろうか。 余談になるが、個人的に印象深かった思い出がある。それは須坂の「信州岩波講座」への参加である。 
 ぼくの最初の参加は、山岸正七さん、有賀功さん等に伴ってのことであったが、講演会の後、岩波書店専務であった今井康之さんに「せっかくここまで来たのだから夜の交流会に参加したらどうか」と誘われ、交流会会場の峰の原高原のクラブハウスを訪れた。そこでは市長や過去に講師をつとめた方々と深夜に及ぶまで杯を傾け、語り合う機会を得た。
 二度目に参加したときには、交流会翌日に小布施町にある北斎館や高井鴻山記念館などを案内され、桜井甘精堂の桜井佐七さんには昼食までご馳走になるという歓待を受けた。もちろん今井さんの手引きがあってのことだが、氏の「いななき学舎」への期待を感じた出来事として記憶に残っている。
 以来十五年以上も会の活動はつづいていて、様々な出来事が走馬灯のごとく浮いては消了えてゆくが、故人となられた有賀功さんから引き継いだ六波羅秀紀代表の代になってはより活動は幅広くなったかにも見え、また英智あふれる三名の女性会員を迎えるに至った。新しい独自な趣向を凝らしながら、新時代へと継承されて欲しいものである。 
 ひとつの課題としては、活字離れも影響してか若い世代の掘り起こしにもうひとつ成果をあげていないことだが、そのことに関してはあらためて会員諸氏と考えてみる必要がある。

 
☆遠距離参加して                       市川和雄

 

私は高校卒業後実家を離れ、学生、勤め人、定年/年金生活と歳を重ねてきた が、常に故郷信州伊那と係わりを保ちたいと考えていた。そこで帰省に便利な八王子市に家を建て勤め人時代から結構頻繁に帰省してきた。血縁、地縁を大切に したいという長男としての当然の責務だとも思っていた。父母亡き後、ありがたいことに東京生まれの次男が実家を継いで一家を構えてくれたので、帰省の楽しみも増え 60 歳台後半から毎月 3 回ほどのペースで帰省するようになった。そんな折、私は高校同期諸兄から「いななき学舎」入会を勧められ、故郷伊那の皆さんと一緒に学べるいい機会だと喜んで入会させていただいた。
 小型手帳を括ると初参加の例会は 2011 7 31 日(会場:創造館)、テキ ストは渡辺誠著「目からウロコの縄文文化」だった。創造館の学芸員の方も出席し大変印象に残った読書会だった。終了後歓迎会をして頂き皆さんと親しく話 ができて感激した。
 「いななき学舎」は、会員の皆さんが多士済々で様々な分野の本を取り上げてくれることが大変魅力的だ。そして、故郷伊那の皆さんと情報、意見交換をできる 貴重な場である。本の著者を講師にお願いをする「公開読書会」、会員が講師となる「自前講演会」などは興味深い企画だと思う。バス旅行「文学の旅」も「いななき学舎」らしい素晴らしい企画だ。女性会員が増え取り上げる分野も広がり 読書会はさらに充実した。また、二次会もいつも盛り上がり伊那の皆さんとざっくばらんに話ができる楽しい場だ。八王子からの遠距離参加ではあるがつくづく会員になってよかったと感謝している。
 私にとって最大の課題は例会開催日に合わせて帰省できないことがあるということだ。私は毎月第4土曜日の東京の「結社俳句会」に参加し、翌日(日曜日)八王子から車で伊那へ移動し夕方の「いななき学舎」例会に参加するのが通例であるが、この帰省日程が厳しい状況にある(特に観光シーズンの交通渋滞)。 また、その他の用件なども入り物理的に帰省できないことも多々あり参加率の 悪い会員となってしまい反省している。私にとって貴重な機会である「いななき 学舎」例会への参加機会を増やすべく伊那への交通手段、俳句結社への係わり方 など検討しなければならないが、当面は参加できる範囲で参加するということ で皆さんのお許しを頂きたい。コロナ禍もあり皆さんとの距離がさらに遠退いてしまい申し訳ありません。

 

 

☆これからのいななき学舎                三宅生郎

 

 年齢とともに、脳みそがサビついてきたかな、とボンヤリ感じていたとき、友人の伊藤岬さんから入会を勧められました。もしかすると、これは脳のサビ止め、あるいは、サビ落としに役立つのかもしれないかも、と思いつき、入会させていただき、かれこれ七、八年。お陰さまで間違いなくサビつきは止まっているようです。月一回の例会を楽しみに待つようになりました。
 読書とは、それ自体が楽しいもの(ムロンそうでない方もいるでしょうが)、その一冊の読書を一人だけで楽しむのではなく、参加者が一堂に会し、それぞれの感想、批評を述べ合い、語り合う。それは、読書の楽しみの新しい発見でした。一冊の書物に、様々な感想がある、受け止め方がある、いろいろな考えがある。それは、ステキな小宇宙です。この小宇宙は、宇宙が永遠であるならば、それと同じように永続するでしよう。
 コロナウイルスの地球的な広がりに伴い、日本のこれからも、世界のそれも、見通し難い今日ですが、「コロナ禍の影響で読書量が増えた」との答えが、17〜19歳の青年で24・9%にのぼった(日本財団意識調査)という記事が新聞にありました。(201029日付・朝日)。
 コロナ禍も、まんざら悪ばかりでもないことを知って、ポッと明るい気持ちにさせられました。伊那〜駒ヶ根間の飯田線に夜乗ると、下校時の高校生で、いっぱいの時があります。ほとんどすべてが、うつむいて手にしたスマホ?をみている姿ばかりです。ごくごく稀に参考書らしきものを読んでいる者を見かけると、なんだか嬉しくなって、「おいがんばれヨ」と声をかけたくなります。
 若い人たちの活字離れが進んでいるということも、よくいわれます。しかし、先日(11月)例会で取り上げた山極寿一さんは、ゴリラ社会の研究からヒトの未来を展望し、「スマホ、ラマダン」を奨めておられました。
 昔、「書を捨てて、街に出よう」と唱えた、元気のよい演出家が、いましたが、それは、今は、「スマホを捨てて、書物に帰ろう」と呼びかけたいところですが、さて、、、。 しかし、いずれにしても未来は若者たちのもの、その若者たちが、どんな日本の未来をつくっていくのか、これも、さて? さて?・・・ 。
  しかし、現役世代のわれわれは若い世代にせめて、いななき学舎の灯をバトンタッチしていかなければならないのでしょう。 小型ではあっても体格がよく、力強い木曽馬のように、ヒヒヒ―ンといななき高く、若い世代に引き継がれていくでしょう。

☆「いななき学舎会員通信」からの抜粋

 

1.『安心のファシズム――支配されたがる人びと――』

                                             有賀 功

以下は、624日の例会でご紹介した齊藤貴男著の標記題の本の要旨です。

エーリヒ・フロム(1900年生、1980年没)は、ドイツの社会心理学者で、ナチスに追われてアメリカに帰化し、学会に重要な地位を占めた人。第一次大戦後、理想的な民主主義憲法をつくったドイツ国民が、なぜ簡単にナチスに屈服しこれを支持したのかを解明したのが、彼の主著『自由からの逃走』である。初めから狂信的にナチスを支持した人々と、英雄的にナチズムと戦った少数の人々を除いて、多くのドイツ人は、強力な抵抗をするでもなく、また讃美者になるでもなく、ナチ政権に屈服した。彼らは労働者階級や自由主義的ブルジョアが主で、ナチに対し敵意を抱いており、すぐれた組織も持っていたのに、いざという場面で内的な抵抗をも示さなかった。これは、心理的には、内的な疲労とあきらめの状態によると思われる。そこでは人々は、個人の無意味さと無気力さに直面していた。人々は、いかなる外的権威にも従属せず、自分の思想や感情を自由に表現できることが、民主主義の基礎だと考えている。しかし、自由に思想を表現する権利は、自分の思想を持つことができる場合にのみ意味がある。ナチス・ドイツの場合、大衆にその条件がなかった。
 ひるがえって現代日本において、人々(われわれ)は自分の思想を持っているか、あるいは少なくともそれに近付きつつあるか、というのが齊藤著者の問題意識である。
 この視点から著者は、権力者による国民の思想・行動の統制を意図した動き、また当事者にそのつもりがなくても結果としてそれにつながるおそれのある動きをとらえて、ひとつひとつ丹念に検証していく。すなわち、監視カメラ(「防犯カメラ」というこわくない名前で通用しているが)、携帯電話、自動改札機、国旗・国歌の扱い、小・中学校における「心の教育」というサブ・テキスト、サラリーマン税制(年末調整)、心の世論調査、等であり、これらが本書分量の大半を占めている。本書発行の2004年当時の実態であるが、現在はさらに進行しているであろう。
 前記の問いに対しては、人々が自分の思想を持っているという状態は「達成されていない、と私たちはうなだれるしかないように思われる。」と著者は言う。国会の憲法調査会である議員は、「こういうふうにものを考えれば幸せになれるんですよ、ということをおおまかな国のなかで規定してほしいというのは、潜在的にマジョリティーの国民が持っている願望ではないか」と言っている。イラク戦争の自衛隊派遣の際にボランティア活動家3人が人質になったのに対し、日本国内では「自己責任」論で悪意の集中砲火が浴びせられた。最初に言い出したのは政府筋だが、やがて大衆がネットによって参加し、戦時中の、「非国民」の存在を許さない、「銃後」の国民の空気と似たものになった。識者の発言も、これに調子を合わせたものが目立った。村田良平・元外務次官:私の兄などは、私あての私信ですが、「この3人は死んでも止むを得ない」と書いていました。ノンフィクション作家上坂冬子氏:私だって、村田さんあてに書くのなら「殺しなさい」と書きますよ。
 齊藤著者は、超国家主義の復活の動き――「銃後」の空気をむしろ心地よく感ずることのできる土壌が、この国の人々の生活の中に着々と蓄えられつつある、と指摘している。

2.良寛のこと

小田切藤彦

私は良寛という人が好きであり、良寛の生地出雲崎には二度ほど参り、良寛の足跡を辿ったことがあります。また何年か前「いななき学舎」主催の読書会で「良寛に学ぶ」と題して講演をさせていただいたことがあります。この5月には、いななき学舎の方々が中心で一茶と良寛の里を見学する計画がたてられているようで、少し何か書いてと頼まれたので、先ず良寛について、ポイントだけを纏めてみたいと思います。
 良寛は日本海岸の出雲崎に生れ、18才位までそこで学を修め、たまたま国仙という玉島円通寺の高僧と出逢い22才より11年間にわたり、円通寺で厳しい学習と修業の日々を送る。有名な道元の「正法眼蔵」を学び、禅僧としての道を歩み始める。34才で円通寺を出て、諸国編参をなし39才で帰郷し、国上山の五合庵に入り、約20年間その草庵の暮しを続け、59才で山を下り乙子神社の草庵暮しをし、69才で島崎というところに移り住み74才で入寂するまで貞心尼という良寛を慕い良寛の住いへ、遠くから通って歌のやりとりをする生活が始まる。
 この最晩年の貞信尼との交わりこそは良寛にとって、最高に昇りつめた境地であったと思われる。貞信尼の残した歌集「はちすの露」は二人の心のやりとりを歌った名歌が多いと思われる。良寛の生きた時代と現代とでは人の生活に大変なちがいがあり、我々現代人が良寛のような貧窮に耐える生活をしようとしても出来るものではないということは、良寛を慕い、「良寛に生きて死す」などというすぐれた書を残された評論家の中野幸次氏の書かれていることに耳を傾けるとなるほどなと、うなずけるものがある。 彼によれば、現代のように科学が進歩し、ラジオ、テレビ、冷蔵庫、洗濯器、パソコン等にとりかこまれている生活の中にいる者にとって良寛の生活など解らない。自分もそうだと言いながら、だからこそ良寛は捨てがたく慕わしい存在であるということになり、現代人が失ってしまっている人間的なものをもう一度とり直したいというのが彼の願いであるにちがいない。言うまでもなく、今人間そのものが危機にひんしている。内容のない人間の増加、個人の孤立化、モラルの低下などを見てもわかるし、交通事故は毎日おこっているし、殺人は平気で行われるし、あげればきりのない状況である。宮田村の出身の唐木順三先生は「良寛」という書をかいているが、その中で先生は「良寛にはどこか日本人の原型のようなところ、最後にはあそこだというようなところがある」と言っておられる。拝聴すべきことばと思う。良寛について書きたいことはいっぱいあるが全部書くわけにはいかないので、自分に心に残る良寛について2,3のことを書いておきたいと思う。

良寛という人は逸話の多い人であるが、子供のころの逸話を一つあげる。良寛は栄蔵と呼ばれていたが、橘屋という名家の惣領息子で、小さい頃から本を読むことを好む孤独な息子であったが、ある時盆踊りの輪の中にいた栄蔵がいつの間にか見えなくなってしまった。心配した母親があちこち探してみると裏木戸の明かりのともった石燈籠のあたりに坐りこんで本を読んでいる彼を発見した。論語一巻を一心に読んでいたのであったという。
 もう一つ、年をして国上山の五合庵に住まうようになってある時友人と酒を飲んでいたが酒がなくなったので買に出たが、いつまでたっても帰ってこないので友人が探しに出てみると、道端の木の下で煌々と照る月を眺めていたという。乙子神社の境内に居たとき、近所の子供たちが遊びに来て、まりつきをして遊ぼうということで子供たちと一緒になって、まりつきをしている良寛はいつまでも童心を失わなかった彼の姿をみる思いがする。良寛の墓碑は木村家の北に近接する隆泉寺にある。その近くには彼の弟であり、生涯彼と交流していた由之の墓もある。晩年の彼と尼僧貞心との交流については先ほど書いたが、死の時は貞心尼と弟由之の見守る中、「死にとうない」と言って静かに息をひきとったとのことである。
 良寛と貞心尼の愛については瀬戸内寂聴さんが書かれているが、普通のラヴ・ロマンスよりもさらに深い純愛であったようだ。寂聴さんは少しエロチックに書いておられるように思うけれど。 最後に良寛が20年近く住んだ国上山のことについて書き終わりたいと思います。
 国上山は小さい山でかなり急な坂をしばらく登るとその中腹の平になったところにあるが、五合庵という小さな庵があり、大正3年に改築されたものであるようだが8畳ぐらいの広間があり、囲炉裏があってそこで彼は山から拾ってきたたきぎをくべて暖をとり、雪に閉された寒い冬を過したのであった。

        わが宿は国上山もと冬ごもり
                         峰にも尾にも雪の降りつつ  

 

3.「いななき学舎」に入会して           

2011.3.28    白田信隆

 今年130日の読書会を皮切りに「いななき学舎」に入会し、これまで3回の読書会に参加しました。3回の体験を踏まえ、いななき学舎・読書会についての感想を述べてみたい。
 もとより読書量の少ない私でしたが、現役生活を終え余暇時間が増え、読書する時間が少しずつ増えてきたところでした。時々、特に目的もなく本屋や図書館へ行って、読みたい本を探し求めていたのですが、どうも読む本が自分に興味のある傾向に偏りすぎているなと思い、どうしたものかと考えていた頃でした。同じ町内に住んでいる伊藤和義さんから紹介されたのがこの読書会です。「読書会」と聞き、直ちに渡りに船とは思いませんでしたが、案内文に「研究会ではなく、自由に感想を話し合う会」と書かれていたこと、最近読んだ本の一覧の中に私が既に読んだ本が何冊かあり、何か親近感を覚えたのが入会を決意したきっかけです。 
初回のテーマは、池内紀著『文学フシギ帖―日本の文学100年を読む』でした。この本を読み始めてまず感じたことは「(読書会がなければ)この本は買わないな!」でした。しかし読み進むにつれ興味がわき、読み終わったときは「いい本を読ませてもらった」と思うと同時に「あっ、これが読書会の効用か」と皆さんの感想などを聞く前に読書会の意義について半分合点がいくことになりました。当日の参加者は13名、私と同じ初めての方が34名いたためか、幹事の六波羅さんの「今日は聞くだけの人がいてもよい」との気遣いに気持ちよく仲間入りが出来ました。本の内容は、著者が51種にもおよぶ文学作品を小気味よく評価・分析したものであり,読み手にとっては抱いた興味が一人ひとり異なり、その違いを感じ取る面白さがあったと思う。全員が感想を述べられ、私にとって、自分にない視点・思考を聞かせてもらったことが大変勉強になりました。本の帯封に記されていた<読者力>を鍛える!に相応しい読書会のスタートになったと思う。
2月のテーマは、城山三郎著『落日燃ゆ』でした。
 私は、この本を20数年前に読んでいましたので今回が2回目になります。そのため少し距離を置いて読むことができ、最初の時とは違った視点での感想が得られたと思う。自分の感想は読書会で話しましたのでここでは省きますが、悲劇の文官首相広田弘毅に対する著者の思い、政治家のあり方、軍の暴走を許した時代背景、敗戦と東京裁判について等々、その当時、子どもの頃の体験から現在の政治状況まで幅広い意見が交錯した読書会であった。冒頭に、山岸さんから著書の概要を纏めた資料による説明があり、議論がスムーズに進んでいったと思う。皆さんの意見には夫々感心したり、納得するものが多く、まだまだ話し足りない雰囲気であったが、有賀さんから「事実を提示して読者に考えさせる書き方が城山流の表現方法で、これにより文学賞を受賞した」との文学視点からの指摘があり、この日の議論を締めてくれたと思う。この読書会に専門家の存在を感じ、期待が膨らんできた。
3月は、曽野綾子著『老いの才覚』。
 初版が昨年の9月で、既に80万部のベストセラーになっているそうだ。大変読みやすく、短時間で読めるので、前月の『落日燃ゆ』より前に読み終え、読書会に出席しました。始めに、小田切さんから著書の内容について懇切丁寧な説明をいただけたので、忘れかけていた読後の感動を蘇らせることができました。私は、女房なしには生きていけない、と自覚しているので、この本の内容は全て頷けるもので胸にささる思いで読みました。それだけに読書会で話す内容は「自己分析」型になるのかなと思っていましたが、そうはなりませんでした。本の内容についての批判・反論が主だったと思う。皆さん、著者の言ってることは概ねその通りだ、でもこの部分はおかしい、と批判論で終始したように思う。「わざと不親切な書き方をしている、また文章も粗い、曽野綾子自身が書いたのか?」との具体的な疑問点の指摘になるほどと思いました。読書会の後、ベストセラー本についての感想がどうして批判で終始したかを考えてみたが、今日集まった皆さんは「曽野さん、あなたにそこまで言ってもらわなくていい。覚悟はありますよ」という人たちなんだ、と気がつき納得できました。
 以上が3回の読書会の総括的な感想になりますが、改めて読書会の意義を私なりに考えてみると、次のようになるのかなと思っています。

 ・自分が普段読まないような本に接し、知識の幅が広がる。

 ・自分にない視点・思考が手に入る。

 ・考えながら読むので、深読みの楽しみがある。

最後に、一つ不満を言わせてもらえば、女性の参加者が初回の一人だけであったことです。是非、女性の参加者を増やしていきたいと思います。いななき学舎・読書会が、私にとって「知の創造館」になっていくものと予感している。  


 
4.Impressions from Izumo-taisha                Jack Morlog

             (冊子「松江・出雲の旅」より)

 In the weeks prior to the trip I had heard a lot about Izumo-taisya both in Lafcadio

Hearns Glimpses of Unfamiliar Japan and from my talks with Reiko sensei. However, I had not expected how thoroughly the space would affect me. Walking along the pine-lined path toward Izumo-taisha, I was immediately transfixed. The towering pines whose branches twisted at sharp angles gave the path an otherworldly feel. Passing through the impressive tori, I felt as if I was stepping through the gate to another plane. As if I was phasing through the liminal space between men and gods. Scattered along the path were a series of statues that represented stories from the Kojiki. Many of these stories I was familiar with because of my Japanese lessons, so seeing these depictions within such a space really brought these stories to life in my imagination. They were not merely tales, but were intermixed into the history of this place.
 Sitting at the end of this path was the temple in all its austere majesty. While we werent able to enter the temple itself, just inhabiting the space induced a profound sense of awe. The roofs speaking out over the walls were visibly ancient seemly of another world than mine entirely.  The temple was different than any other temple I had ever seen. The rich colour of the interlocking wood, the large shimenawa, and the metal ear like structures that protrude from the tall roofs gave the temple its own charm, and made it immediately distinct.  It was apparent that it was a special place from appearances alone.  Hearn described this temple as more than a single wonderful temple, but also the life-pulse of the ancient Shinto faith. I personally could not agree more. I may not be as elegant of speech as Mr. Hearn, but I too was struck by the temples ability to effortlessly engross me. 
 However, I must say what really captured my interest is not even the building itself, although it was a sight to be seen, but the stories and lore that accompany these timeless structures. Tiny details especially those that flesh out the areas connection to the Japanese gods of yore really captured my interest.
Things like, for instance, seeing the seats in which the gods sit in which the gods sit during the October celebrations, and learning what part of the path is only meant for the gods to tread upon really give a sense of life and energy that is hidden just beneath the surface. The place feels lived-in as if you can still see the gods footsteps along the path and feel their presence at the temple. Knowing this, the temple feels as though it is always awaiting  the time when the gods return to once again grace the hallowed ground. And, I too await the opportunity to spend time in such a place with such a good group of people again.

                   日本語訳             金井礼子

 出雲大社については旅行の数週間前から、ラフカディオ・ハーンの『日本の面影』や礼子先生との話をとおしてたくさんのことを見聞きしてきました。けれども、こんなにも心を動かされることになろうとは予想していませんでした。出雲大社の松並木を歩き始めるとすぐに、私は感動で立ちすくみそうになりました。空に向かって捩じるように枝をまげた松の木々は参道に別世界の趣を与えていました。鳥居は印象的で、異次元への門に足を踏み入れるかのように感じました。まるで神々と人との間にある境界を順に通り抜けていくかのように。参道のあちこちには古事記のものがたりの彫像がありました。日本語の授業で話の多くを知りましたが、この彫像を見て、頭の中で想像していた物語にいのちがかよったように感じました。それらは単なる物語に留まらず、この場所の歴史と融け合ったものになっていました。 参道のつきあたりには本殿がありました。辺り一面簡素で荘厳な雰囲気に包まれていました。本殿の中には入れませんでしたが、そこにいるだけで深い畏敬の念が生まれてきました。塀越しにそびえる屋根は見るからに古くて、まったく別世界のもののようでした。このお社はこれまで私が見てきたどれとも違うものでした。組み合わされた木材の深い色合いや大きなしめ縄、背の高い屋根から突き出る金属の耳のような形をした構造物は拝殿に独自の魅力を与え、他とは違った独特なものになっていました。ここが特別の場所であることは一目瞭然です。ハーンはこの出雲大社を、「一つの立派なお社以上のもの」といっただけでなく「古代神道の信仰の脈拍が鼓動する所」とよんでいます。私もまったく同感です。ハーンのように優雅な表現はできないのですが、私をすっかり魅了してしまう出雲大社のもつ力に心を打たれました。
 しかしながら、私の関心を最も強くつかんだのは、建物そのものというよりは、時を超えて立つこれらの建物にまつわる物語や言い伝えです。この土地と古代の神々との繋がりを思わせる逸話の数々が私の関心を掻き立てます。例えば、10月に集う神々がお座りになる場所を見たり、参道にも神様だけがお通りになる場所があることを知ったりすると、目には見えないけれども、出雲大社に息づく「いのち」や「力」を感じます。まるで、神々の足跡を参道に見つけ、神々の存在を拝殿に感じることができるような、生き生きとした感覚を覚えるのです。出雲大社はいつも、神々がまた戻ってきてその聖なる土地に美しい彩りを添えてくれるのを待っているかのようです。そして私自身もまた、このように素晴らしいグループの皆さんとこのような場所で時を共に過ごす機会に再び恵まれることを待ち望んでいます。

5.大統領選挙の先にあるもの           

2016年6月  木村 洋

                                                                                                               

 トランプ現象の不思議

 

2016 年のアメリカ大統領選挙にドナルド・トランプが出馬した当時は、誰も本気で彼のことなど相手にする人はいませんでした。あんなに乱暴で短絡的、独善的で八方破れな男が、まともな大統領候補になれる訳がない。・・大半の人々がそう考えたようでした。それがあれよあれよという間に予備選挙を勝ち進んで、今 (6月)ではもう正規の共和党候補として指名確実のところまで来てしまいました。すると今度はみんなが何故そんなことになったのかを説明し始めました。その中でも特に説得力があるように見えるのは、社会の経済格差が余りにひどくなったため、取り残された人々の不満が、トランプ支持という形で表面化しているのだという解釈です。彼等は民主党の掲げる社会福祉の増加や、イスラム教徒との融和、ラテン系住民との共存などを、自分自身に対する脅威のように感じていて、その心情とトランプの孤立主義、排他主義、国粋主義などが、うまい具合に呼応しているというのです。経済はグローバル化し、巨大企業だけが勝ち残り、庶民はますます貧しくなって絶望感が広がり、やり場のない怒りがくすぶっている中へ、トランプのような人間が現れて、「もう私は我慢出来ない、これからは私自身のやり方で強き良きアメリカを取り戻す」 ・・ みたいなことを言えば、みんなが飛びつくのも無理はないという訳です。
 そう言われてみれば確かにトランプの言い分には、多くの不満分子の気分をすっきりさせるような面がありました。ラテンアメリカからの不法移民が安い賃金で働くために、自分達の仕事がなくなったのだと感じていたアメリカ人にとっては、「自分が大統領になったらメキシコとの国境に高い塀を作り、不法移民は一人も入れなくする」 と言われれば、一瞬自分の仕事が戻ってくるような気がしたとしてもおかしくありません。「その塀の代金はメキシコ政府に払わせる」 と言われれば、尚更悪い気はしなかったことでしょう。「今の経済格差はアメリカ全体が貧しいから生まれたのだ。私がビジネスでやったように、もっともっと金を儲けて、このアメリカを本当に強く、豊かな国にすれば、格差など問題ではなくなる」 と言われれば、成程そうなるかも知れないと思ったでしょう。「オバマは本当はテロリストをやっつける気などないのだ。私ならイスラム教徒など、初めからみんな閉め出してしまう」 と聞けば、本当にこの男なら、もう少し有効なテロ対策を取ってくれるかもしれないと思ったでしょうし、「日本はアメリカが発明したものをみんなコピーして豊かになったのだ。何故あんな国のために、我々の軍隊を派遣して守ってやらなければならないのか?」 と言われれば、「確かにアメリカは損ばかりしているねー」 という気になる人もいたことでしょう。
 然しちょっと考えてみれば分るように、これらの発言は全て何の裏付けもない、口から出まかせのハッタリばかりです。ラテン系アメリカ人の殆どは合法的移民ですし、彼等がいなければ、全米の農業も、製造業も成り立ちません。それにどの国の大統領が隣の国に向かって 「お前達の金で国境全部に塀を作れ」 と命令出来るのですか? 国全体を太らせれば、経済格差など問題ではなくなると言って、国を挙げて金儲けに血道をあげれば、逆に格差は益々広がって、国民の殆どが貧困層に落とされてしまうことは確実です。イスラム教徒をみんなこの国から締め出せばテロは減るなどという理屈は、ISがイスラム教を信じない者は皆殺しにすると言っているのと、対象は逆でも発想は同じことです。そんな風にして信教の自由という、アメリカ建国の柱まで捨て去ったら、アメリカ自身の存在意義がなくなってしまうことが、トランプには理解出来ないのでしょうか? 日本はずるいから守ってやるに値しないと言う彼は、アメリカの必要とする共産主義防衛の最前線を日本が務めていることも、アメリカ基地費用の相当部分を日本が分担していることも、知らないのでしょうか?
 いや、勿論トランプ自身は自分の発言が乱暴で、行き当たりばったりであることは、知っている筈です。然しそういう物の言い方をした方が人々は喜ぶし、自分の人気も上がることもまた、彼は十分知っているから、ああいう話し方をしているのに違いありません。現に小学生にも分るレベルの言葉だけを使い、同じことを二度ずつ繰り返して言うという彼の話し方は、群衆の心理を上手につかむ、周到に計算されたやり口です。その選挙戦術がいかに巧妙だったかは、今までの予備選挙の結果が示している通りです。その意味でむしろ彼にうまく利用され、踊らされてきたのはメディアの方であって、レポーター達の激しい攻撃を許しながら、彼の方こそ、メディアの弱みを実にうまく利用しました。視聴率を上げるためなら、ハッタリだろうと矛盾だろうと構わず放映するというメディアの体質が、逆にこれまでのトランプの暴走を可能にしたのです。
 それではそのメディアに煽られて、彼を正規の共和党候補にまで押し上げてしまった支持者達はどうだったのでしょうか? 彼等だとてトランプの言い分がいい加減なことは、ちょっと考えればすぐ分った筈です。それなのになぜ彼等はトランプの発言を聞いて単純に気分がすっきりし、一度この男に大統領をやらせてみようと思ったのでしょうか。彼等がそんなにやけくそになるまで追い詰められてしまった経済格差というのは、どうやって生れたのでしょうか。

資本主義の限界は人間の限界

資本主義の基本理念は人間の強欲を肯定することにあります。人の欲望には限りがなく、それがみんなの生きる原動力なら、むしろそれを正面から認めて、みんなが出来るだけ自由に、自分の欲望を追及出来るような社会を作れば、人々は先を争って豊かになろうと頑張り、彼等の努力は神の見えざる手に導かれて、最も効率的に集積され、最大多数の最大幸福をもたらす ・・ それが資本主義システムを作った人達の理屈でした。そして初期のアメリカのように、まだ人間の数が少なく、土地も資源もふんだんにあって、人々の利害がぶつかりあったら、また別の土地へ行けば幾らでもやり直すことのできた国では、この理屈は非常にうまく機能して、確かにみんなが目立って豊かになることが出来ました。
 然しそのプロセスが進んで、個別に利益を追求するより、組織的にやった方が効率的だということから、企業が作られ、資本が蓄積されて、それらが逆に人間を支配するようになると、色々な矛盾が表面化するようになりました。1920年代、資本主義は見事に花咲いて、世界経済は繁栄を極めていたのに、それでも飽き足りなかった各国は、もっともっとと自分の利益だけを追求して、極端な為替切り下げ競争をやった結果、それによって伸びる筈の貿易は却って縮小し、全てが行き詰まってしまいました。既にそれまでにイギリスに代わる世界最大の資本主義帝国となっていたアメリカは、急激な世界市場の縮小に合わせるように、1929年、大恐慌に陥り、世界経済のバランスは完全に破綻してしまいました。そこでルーズベルト大統領が選ばれてニューディール政策を打ち出し、大規模な財政支出をして国内需要を作り出し、それで不況から脱却するという、懸命な努力をしましたが、その政策が完了しない内に、世界は第二次大戦に突入してしまったのです。
 然しニューディール政策の基礎をなしたケインズの経済理論は、その後目覚ましい有効性を発揮し、当時のアメリカ経済を立て直しただけでなく、戦後の日本経済や、ヨーロッパ経済の復興にも、輝かしい成果を挙げました。その過程で明らかになったのは、野放図な自由競争だけでは資本主義経済はうまく行かないこと、かなり大きな政府による、積極的な規制と介入が欠かせないこと、通貨の安定には緊密且つ広範囲な国際協調が必要なこと、・・ などでした。それを最も鮮明に示して見せたのが、政府主導による高度成長期の日本経済で、単に成長率が高く、整合性のとれた発展がなされただけでなく、結果としての日本社会も、資本主義国家の中でも際立って平等で、所得再分配が行き届いた状態になったのです。
 ケインズの経済理論は殆どそのままの形でIMF と世界銀行という形に結実し、第二次大戦後40年近くの間、国際通貨制度の安定と、戦後世界の復興と開発を可能ならしめました。然し人間の記憶というのは、これほどまでにもろく、短期的なものなのでしょうか、1980年代半ば頃からは、人類があの悲惨な戦争の経験から学んだ共存のための知恵も、すっかり忘れ去られたかのように、再び徹底した自由競争と規制緩和こそが、最も効率的な経済発展の方法であるとする、新古典派のミクロ経済理論が一世を風靡し、ケインズのようなマクロ経済理論は影が薄くなっていきました。
 現代の経済学は高度な数学を駆使し、専門家以外には分らないような方程式を解いて結論を出すのですが、その結論が必ずしも正しいとばかり限らないことは、経験的な我々の勘の方が当っていることがあることからも分りますし、ノーベル経済学賞受賞者を二人も抱えたヘッジファンド(LTCM)が、設立後わずか数年で崩壊したことにも象徴的に表れています。LTCMの破綻は世界中に金融恐慌を引き起こすかもしれないと恐れた連邦政府は、自ら即座に救済措置をとっただけでなく、アメリカの多くの大銀行を動かして、巨額の救済資金を出させました。その結果LTCMの倒産は比較的穏やかに進み、世界へ波及することはなくて済みましたが、その過程でLTCMの持っていた機密情報や技術的ノウハウは全部、救済資金を出した資本家達の手に渡ったと言われています。
 このように極端に専門化された世界で、巨額な資金を持った、ごく少数の人々が、世界の金融市場の命運を左右するような大きな取引や介入を、時々刻々行っている現在では、一般庶民は完全にその枠外に置かれていて、何が起こっているのかも知らないまま、自分の命など幾つあっても足りないような、予測不能の危険にさらされている訳です。こうした人々の無力感と怒りは、時には 「ウォールストリートを占拠せよ」 運動のような形で爆発することはあっても、大抵は誰にぶつけられることもなく、ただ悶々とみんなの胸の内に溜め込まれているだけです。こんな中で幾ら政府や企業が 「貴方方にも機会は均等に与えられている。努力次第で誰でも大統領になれるのだ」 と叫んでも、その気になれる人がいないのは、むしろ当然というべきでしょう。

 

個人と組織の対立

人間は一人一人、この世に生れ落ちた時から、遺伝や、病気や、環境など、自力ではどうしようもない多くの条件に縛られているため、幾ら機会は均等に与えてやるから、あとは自力で成功しろと言われても、背負わされたハンデキャップの方が大きすぎて、そう誰もがみんなアメリカン・ドリームを実現出来る訳ではありません。それどころか、初めから個人より強い力を持たせるために企業を作ったのですから、いくら個人が抵抗したところで、企業に勝てる訳はありません。だからこそ国家が独占禁止法や、公正取引委員会、消費者保護制度、環境保護法、などを作って、企業活動を規制しているのですし、持てる者からより多くの税金を取って持たざる者を支える、社会福祉もやっているわけです。それはそうやって強制的にでも所得の再分配を計らなければ、経済を下支えしている弱い働き蜂達がみんな死に絶えて、結局この経済制度全体が崩れてしまうことが、経験的に分っているからです。
 然し企業というのは、本来飽くことなき人間の欲望を最も効率的に追及するために作られた組織なのですから、そうした規制や、所得再分配のメカニズムを、歓迎する訳はありません。そこで彼等は出来るだけ規制を減らし、法人税を下げ、国の財政支出を削って、企業利潤を最大に出来るようにしてくれる政党にお金を出します。また弱者保護を約束し、企業への締め付けを強めるような政党が政権を取った際には、出来るだけそうした規制の少ない国へ逃げ出し、そこで生産活動をしますし、溜め込んだ利潤は一番税金の安い国の銀行に預け、為替レートや地域経済の変動に応じて、その資金を動かしては利益を増やし、ひいては意図的な市場操作や、ファイナンシャル・エンジニアリングのような奇術を用いて、更なる利潤を得るなど、文字通りやりたい放題のことをしているわけです。経済のグローバル化というと聞こえはいいかもしれませんが、その実態はまさにこういうことであって、昔、企業が国内でやっていた、なりふり構わぬ金儲けを、今は世界的規模でやっているに過ぎません。ところが国際社会には、国内ほどしっかりした規制や監督のメカニズムが存在しないため、企業は今でもかなり伸び伸びとやりたい放題のことが出来るのです。
 トランプが知っているのは、こうした企業のやり方であって、それをそのまま国に当てはめて、今まで自分がやってきたのと同じように、アメリカという国家企業を、世界一にしてみせる、と言っているにすぎません。然し国家運営とビジネスとは全く別のものです。一方の理屈を当てはめて適当にかき回せば、他方もうまくいくような話ではないのです。確かに国家も、国境という線で囲まれた一地域の住民の利益を守るために作られた組織ではありますが、それは企業と違って 「住民の強欲を最も効率的に実現するための組織」 ではありません。そんなことはもう帝国主義の時代にやりまくって、世界中が滅茶苦茶になってしまったことは、まだ人々の記憶に新しいところです。国家とはそんな風にみんなで金儲けに血道を上げるための組織ではなく、本来民間では出来ないことをするために作られた組織なのです。例えば教育、医療、防災、社会福祉、環境保護、外交、立法、司法、治安、国防、などといった作業がそれに当り、これはある意味では 「企業に任せてはおけないから国がやる」 という風にも考えられるものです。
 それをトランプのように 「自分はビジネスで成功した。だから政府も同じように、徹底して自分だけの利益を追求すれば、絶対うまく行く」 ・・ と言われても、それは 「自分はアパート作りで成功した。だから子育ても上手なんだ」 と言われているのと同じくらい不毛な発言にすぎません。而も彼の豪放で自信に満ちた話し方を聞いて、「彼なら自分の苦境を打破してくれるかもしれない」 と感じている支持者達というのは、グローバル経済の進展と共に、自分だけが取り残され、働いても働いても貧しくなるばかりだという、そのやり場のない怒りのはけ口を求めているのですから、彼等をそこまで追いやった経済の仕組みを、もっと徹底させてやると言っている男に投票してみたところで、その怒りが解決される筈はありません。仕事にもありつけず、子供もろくに食わせられず、医者にもかかれず、ガソリンも買えない状態で、ほとほと行き詰ってしまっている彼等が、自分を置いてきぼりにした企業や、組織や、システムをもっと強くしてみても、自分自身は益々取り残されるばかりで、勝ち組に入れてもらえることなど決してないのです。それなのに国が本当に強くなれば、ひょっとしたら自分にも波及効果があるかもしれないと思うのは、全くの幻想に過ぎません。その点が理解出来ない限り、哀れな働き蜂達は、実際にトランプを選んでみて、数年後にその結果がどうなるかを具体的に体験してみるまでは、自分の犯した間違いが理解出来ないことでしょう。
 然し恐ろしいのは、そうやってようやく自分達の過ちに気づいた彼等が何をするかということです。曲がりなりにも法の支配が保たれている今のアメリカですら、銃を乱射して無差別に何十人もの市民を撃ち殺す事件が後を絶ちません。そうした精神異常者や、狂信者が、散発的に引き起こす事件だけでも、これだけあるのですから、国民の何割をも占めるような、精神的には正常だけれど経済的には追い詰められた人々が、本当に人生に絶望して、くそくらえという気になったらどんなことになるか、それは想像するだけでも恐ろしいことです。 而もこの国には今のままで、既に国中を血の海にして有り余るほどの銃器が充満しているのです。    

注:木村洋氏は外務省から世界銀行に移り、中国の沿岸地方の開発にご尽力しました。
縁あっていなき学舎の会員通信へ寄稿して頂いています。(ワシントン郊外在住)

 

                 

☆ 年表

20058月※いななき学舎発足 代表:森本尚武 事務局:有賀功、若林敏明

9月第1回読書会 会場:カフェ・アビエント

6年 11月講演会 「読む・話す・考える」信濃毎日新聞主筆:中馬清福氏

     7年11月講演会 「見ること と読むこと」(上田)無言館館主:窪島誠一郎氏

  8年10月講演会 「常識の歴史」精神科医・作家:なだいなだ氏

  9  1月『井月の魅力―その俳句鑑賞』の著者・竹入弘元さんを迎えて公開読書会

2月※ 有賀 功に代わって事務局に六波羅秀紀が入る

5月講演会「金子みすずになりたかった女の子」531日 18:00〜 

いなっせ501号室  いななき学舎会員:伊藤 岬氏

6月より読書会会場は創造館に変更

        8月講演会「良寛に学ぶ」「今なぜ良寛なのか」の問いに応えて
          830日 18:00〜 いなっせ501号室  いななき学舎会員:小田切藤彦氏
       11月講演会「医療・健康情報を正しく判断しよう――メディアリテラシーとメディカルリテラシー」
                医師(地域医療):色平哲郎氏

         1128日 18:00〜  いなっせ501503号室

    
   10年  2月講演会 「知られざる歴史を読み解く」 
                      江戸・明治期における上伊那の記録に
見る人権格差の実態と平等化への動き 
            221日 18:00
いなっせ501号室 参加者30名  いななき学舎会員:伊藤一夫氏

         9月講演会 「子供たちの考え方と意識の変化」いななき学舎代表:森本尚武氏

            94日 14:00〜  創造館講堂

        11月講演会 「清浄なる精神―日本の自然思想を読み解く」哲学者:内山 節氏
           1128日 創造館講堂 参加者約130人    

   11年 5月講演会「日本人の宗教意識」いななき学舎副代表:有賀 功氏

 8月講演会「今回の巨大地震は伊那盆地にどう影響するか」
                       飯田市美術博物館顧問:
松島信幸氏

11月講演会「いま、いのちの声を」作家:落合恵子氏 県文小ホール 参加者400

   12  5月講演会 「日本人の宗教意識」(その2) いななき学舎副代表:有賀 功氏

        8月講演会 「植物界の縄張りとその移り変り」植物研究家:柄山祐希氏

  13  5月震災フォーラム1 第一部・復興ドキュメンタリー映画「超自然の大地」
                                 映画監督:梶野純子氏(伊那市出身)

          震災フォーラム2 第二部「東日本大震災から見えてきたもの」
                       パネルディスカッション(創造館講堂)
              進行:震災支援ボランティア市民ネットワーク事務局長、いななき学舎会員・若林敏明氏

              語る人;伊那市長・白鳥 孝氏、信濃毎日新聞編集委員・増田正昭氏
                    NPO法人チェルノブイリ支援会員・原 富男氏

3月『竹沢長衛物語』の著者・松尾修さんを迎えて公開読書会、14:0016:00
                              会場: 伊那公民館 参加者40 

        9月『ドラッカーとオーケストラの組織論』の著者・山岸淳子さんの公開読書会
                              会場:伊那図書館 参加者24名       

       ※是より読書会会場は伊那図書館となる     

         109日木村 洋氏を囲む集い 於:海老屋料理店 13:0016:00 参加者13

 

 14年  5月『一茶無頼』の著者・吉田美和子さん(盛岡市)公開読書会、
                            会場:伊那図書館 参加者40

5月文学の旅、一茶・良寛ゆかりの地を訪ねて 518日〜19日 参加者16

    6月『信州二人の放浪俳人 一茶と井月』の著者・春日愚良子さんの公開読書会 
                 会場:創造館講堂 15:0017:00 参加者41

 10月※役員交代  代表:有賀功 副代表:伊藤一夫 事務局:六波羅秀紀、若林敏明、白田信隆、伊藤岬、           三宅生郎、清水吉治、湯沢文象、会計:伊藤和義 (六波羅から湯沢までの順番で通信を発行)

 
 15年  4月『おいしい穀物の科学』の著者・井上直人さんの公開読書会
         会場:伊那図書館視聴覚室 14:0016:00 参加者30

4月観桜会 伊那公園 天山にて 415日 11:00〜 参加者16

7月納涼会 会員・清水吉治氏別荘  727日 11:0015:00 参加者14

11月文学の旅、軽井沢文学と歴史の旅 1115日〜16日 参加者30

    16  7月納涼会 清水吉治氏別荘 731日 参加者25

       10月木村洋氏を囲む会1015日いなっせ5階会議室 13:3015:45 参加者12

 11月『高遠旅石工たちの幕末』の著者・松尾修さんを迎えて公開読書会 14:00
                              伊那公民館2階研修室 参加者35名 

12月文学の旅、鎌倉文学の旅 122日〜3日 参加者20

   17年  2月※役員交代 代表・六波羅秀紀、事務局・伊藤岬、三宅生郎  会計・伊藤和義

       6月『水力発電が日本を救う』の著者・竹松幸太郎氏を迎えて公開読書会
               いなっせ5階会議室13301530参加者71名(伊那市協賛・白鳥孝市長参加)

7月納涼会 会員・清水吉治氏別荘 730日 参加者27

      12月文学の旅、越中研修の旅 122日〜 3  参加者19                                                


 18年   6月文学の旅、松江・出雲の旅 62日〜4
                     小泉八雲記念館で曾孫の館長・小泉凡
氏のお話を聞く 
          小冊子「松江・出雲の旅」(34ページ)発行 参加者21

   
       7月講演会、「小泉八雲とアメリカ――ハーンが遺した日米の絆―」講師:小泉凡氏
            712日 伊那図書館 11:0013:00 参加者56

      7月納涼会 清水吉治氏別荘 参加者18

 10月講演会、「変貌する伊那の里山」いななき学舎会員・中堀謙二氏
            1014日  伊那図書館 14:00〜  参加者62名 

 193月より通信担当はテキスト選定者となる   

 6月講演会、「韓国生活体験の紹介」春日郁夫・伸子夫妻(郁夫氏は元サムソン技術顧問)
                 伊那図書館16001900 参加者21

 7月納涼会 清水吉治氏別荘 参加者19

      8月文学の旅、会津・大内宿・東照宮・足利学校の旅 829日〜31日 参加者15

 12月講演会 「イギリスの紹介」伊那北高校ALTLeila Nicholsonさん
               伊那図書館10001200 参加者20

  20※新型コロナウイルスの影響で4月、5月の読書会は中止となる

8月講演会、”Reflections on the culture of Japan and the UK”  於:伊那図書館
           伊那北高校ALT :Leila Nicholson さん 通訳・金井礼子10:0012:00参加者22    

  21年 1月※役員交代
         代表・中堀謙二 事務局・伊藤岬、三宅生郎 会計・吉岡郁子

 

                           

☆ いななき学舎の読書会で読んだ本

       (059月〜0612月)

   半藤一利著 『昭和史 昭和前期篇』、『昭和史 戦後篇』(平凡社)

   柳田邦男著 『壊れる日本人――ケータイ・ネット依存症への告別』(新潮社)

   ポール・トインビー著 『ハードワーク――低賃金で働くということ』(東洋経済)

   田中成之著 『改革の技術 ―鳥取県知事片山善博の挑戦』(岩波書店)

   赤川学著  『子どもが減って何が悪いか!』(ちくま新書)

   藤原正彦著 『国家の品格』(新潮新書)

      養老孟司・牧野圭一著 『マンガをもっと読みなさい』(晃洋書房)

      ビル・エモット著 『日はまた昇る ―日本のこれからの15年―』(草思社)

      香山リカ著 『いまどきの「常識」』(岩波新書)

   伴野敬一著 『信州教育史再考』(龍鳳書房)

 (071月〜12)

   半藤一利著『昭和史 戦後編』平凡社

   暉峻淑子著 『豊かさの条件』(岩波新書)

   内橋克人著 『悪夢のサイクル ネオリベラリズム循環』(文芸春秋)

   宮沢賢治の詩集・童話集から各自選択

   池澤夏樹著 『言葉の流星群』(角川書店)

   窪島誠一郎著 『「無言館」への旅 戦没画学生巡礼記』(白水社)

   藤沢周平著 『暗殺の年輪』(文春文庫)

 (081月〜12)

   猪瀬直樹著 『二宮金次郎はなぜ薪を背負っているのか』(文春文庫)

   斉藤槙著  『社会企業家 社会責任ビジネスの新しい潮流』(岩波新書)

   纐纈厚著  『監視社会の未来』(小学館)

   佐藤卓己著 『メディア社会――現代を読み解く視点』(岩波新書)

   内田樹著  『下流志向――学ばない子どもたち 働かない若者たち』(講談社)

   中村哲著  『医者、用水路を開く アフガンの大地から世界の虚構に挑む』(石風社)

   永井路子著 『岩倉具視 言葉の皮を剥きながら』(文芸春秋)

      堤未果著  『ルポ貧困大国アメリカ』(岩波新書)

      奥中康人著 『国家と音楽 伊澤修二がめざした近代』(春秋社)

      なだいなだ氏の著書から自由に選択し、その本について各自が発表

        (091月〜12月)

      竹入弘元著 『井月の魅力―その俳句鑑賞―』(井上井月顕彰会)

      五木寛之著 『林住期』(幻冬舎文庫)

      半藤一利著 『幕末史』(新潮社)

      姜尚中著  『悩む力』(集英社新書)

      郷原信郎著 『思考停止社会 「遵守」に蝕まれる日本』(講談社現代新書)

      村上春樹の著書から各自選択

      武田邦彦著 『偽善エコロジー 「環境生活」が地球を破壊する』(幻冬舎新書)

      武田邦彦・杉本裕明著 『武田邦彦はウソをついているのか』(PHP研究所)

      雑誌「文芸春秋」09年10月号

      山岡淳一郎著『医療のこと、もっと知ってほしい』(岩波ジュニア新書)

         (101月〜12)

  明日香寿川著『地球温暖化』岩波ブックレット

  水村美苗著『日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』(筑摩書房)

  内田樹著『日本辺境論』新潮新書

  古井由吉著『人生の色気』(文芸春秋)

  佐々木瑞枝著『日本語を「外」から見る』(小学館101新書)

  加藤陽子著『それでも日本人は戦争を選んだ』(朝日出版)

  内山節著『清浄なる精神』(信濃毎日新聞社)

  中村政則著『「坂の上の雲」と司馬史観』(岩波書店)

(111月〜12)

  池内紀著『文学フシギ帖』(岩波新書)

  城山三郎著『落日燃ゆ』(新潮文庫)

  曽野綾子著『老いの才覚』(ャxストセラーズ)

  加藤秀俊著『常識人の作法』(講談社)

  小島健輔著『ユニクロ症候群』(東洋経済新報社)

  渡辺誠著『目からウロコの縄文文化』(ブックショップマイタウン)

  落合恵子著『積極的その日暮らし』(朝日新聞社)

  古賀茂明著『日本中枢の崩壊』(講談社)

(121月〜12)

  藻谷浩介著『デフレの正体』角川書店

  井上ひさし著『この人から受け継ぐもの』(岩波書店)

  北杜夫著『楡家の人びと』(新潮文庫)

  橋本大三郎×大澤真幸共著『不思議なキリスト教』(講談社現代新書)

  齊藤貴男著『民意のつくられかた』(岩波新書)

  梯久美子著『散るぞ悲しき―硫黄島総指揮官・栗林忠道』(新潮文庫)

  司馬遼太郎著『空海の風景』(中公文庫) 注:12.9.30(台風のため1か月遅れ10月実施)

  戸田金一著『国民学校物語』文芸社

  神保哲生・宮台真司()著『税金は誰のためか』扶桑社  (レポートのみ)

  孫崎享著『戦後史の正体』創元社

131月〜12月)

  『文芸春秋』、『世界』、『中央公論』の各2月号、 テーマ「これからの日本を語る」

  澤地久枝著『密約…外務省機密漏洩事件』岩波現代文庫

  松尾修著『竹沢長衛物語』山と渓谷社 (公開読書会) 

  中野幸次著『良寛に生きて死す』考古堂書店

 いななき学舎フォーラム(519)

  第一部 復興ドキュメンタリー映画「超自然の大地」梶野純子監督(伊那市出身)

  第二部「東日本大震災から見えてきたもの」 
                  語る人:白鳥孝伊那市長、増田正昭信毎編集委員、原富男NPO法人チェルノブイリ支援中部会員、                  進行:若林敏明災害支援ボランティア市民ネトワーク事務局長(いななき学舎会員)

  ジャレド・ダイアモンド著、倉骨彰訳『銃・病原菌・鉄』上・下 草思社文庫

  橋爪大三郎・大澤真幸・宮台真司著『驚きの中国』講談社現代新書

  平野克己著『経済大国アフリカ』中公新書

  山岸淳子著『ドラッカーとオーケストラの組織論』PHP新書 (公開読書会)

  半藤一利著『日本型リーダーはなぜ失敗するのか』文春文庫

  吉村昭著『関東大震災』文春文庫

  渡辺京二著『逝きし世の面影』平凡社ライブラリー

(141月〜12)

  マーティン・ファクラ―著『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』双葉新書

  田部聖子著『ひねくれ一茶』講談社文庫

  辺見庸著『もの食う人びと』角川書店

  鈴木宣弘著『食の戦争 米国の罠に落ちる日本』文春新書

  吉田美和子著『一茶無頼』信濃毎日出版社 (公開読書会)

  春日愚良子著『信州二人の放浪俳人 一茶と井月』ほおずき書籍 (公開読書会)

  大澤真幸・水野和夫著『資本主義という謎』NHK出版新書

  ロジャー・パルバース著、早川敦子訳『驚くべき日本語』集英社

  国分(こくぶん)功一郎著『来たるべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治学の諸問題』幻冬舎

  藻谷浩介・NHK広島取材班著『里山民主主義』角川書店

  広田祐弘著『日本人に生れて、まあよかった』新潮新書

  島薗進著『国家神道と日本人』岩波新書

151月〜12月)

  太田昌克著『日米〈核〉同盟 原爆、核の傘、フクシマ』岩波書店

  五木寛之著『孤独の力』東京書籍

  橋本禮次郎著『リニア新幹線・巨大プロジェクトの真実…』集英社新書

  井上直人著『おいしい穀物の科学』講談社 (公開読書会)

  堤未果著『沈みゆく大国アメリカ』集英社新書

  石平著『私はなぜ(中国)を捨てたのか』WAC(ワック)文庫

  石井妙子著『日本の血脈』文春文庫

  戸ノ下達也著『「国民歌」を唱和した時代』吉川弘文館

  増田寛也著『地方消滅』中公新書

  山折哲雄著『さまよえる日本宗教』中公文庫

  佐伯啓志著『従属国家論…日米戦後史の欺瞞』PHP新書

  阿古智子著『貧者を喰らう国 中国 格差社会からの警告』新潮社

161月〜12月)

  堀田善衛著『方丈記私記』ちくま文庫

  佐藤優著『知性とは何か』祥伝社新書

  益川敏英著『科学者は戦争で何をしたか』集英社新書

  エマニュエル・トッド著、堀茂樹訳『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』文春新書

  馬渕睦夫著『世界を操るグローバーリズムの洗脳を解く』悟空出版

  山田康弘著『つくられた縄文時代――日本文化の原像を探る』新潮社

  瀬川拓郎著『アイヌと縄文』ちくま新書

  小熊英二著『生きて帰ってきた男 ある日本兵の戦争体験』岩波新書

  小林秀雄著『モオツァルト・無常ということ』新潮文庫

  永井龍男著『一個 秋その他』講談社文芸文庫

  夏目漱石著『門』新潮文庫、角川文庫、集英社文庫

  松尾修著 『高遠旅石工たちの幕末』講談社エディトリアル (公開読書会)

  矢部宏治著『日本はなぜ「戦争ができる国」になったのか』集英社  

171月〜12月)

     松山義雄著『狩りの語部――伊那の山峡より』法政大学出版局

  田原総一朗著『トランプ大統領で「戦後」は終わる』角川新書

  関岡英之著『拒否できない日本』文芸新書

  田村隆一著『自伝から始まる70章 大切なことはすべて酒場から学んだ』詩の森文庫   

  半藤一利著『大人のための昭和史入門』文春新書

  竹村公太郎著『水力発電が日本を救う』東洋経済新報社

  ラフカディオ・ハーン著 池田雅之訳『新編 日本の面影』角川ソフィア文庫

  山本謙一著『利休に尋ねよ』PHP文芸文庫

  吉川洋著『人口と日本経済』中公新書

  加藤周一著『言葉と戦車を見すえて』ちくま学芸文庫

  藤田正義著『日本文化を読む 5つのキーワード』岩波新書

  日本再建イニシアティブ著『現代日本の地政学』中公新書

181月〜12月)

       中島敦著『李陵・山月記』角川文庫

       鴻上尚史著『不死身の特攻兵』講談社現代新書

       豊田隆雄著『本当は怖ろしい韓国の歴史』彩図社

       ローズマリー・サトクリフ著 猪熊葉子訳『ともしびをかかげて』岩波少年文庫

       前田速夫著『「新しき村」の百年〈愚者の園〉の真実』新潮新書

       『「戦後80年」はあるのか』―「本と新聞の大学」講義録―集英社新書

      今井宏平著『「トルコ現代史」オスマン帝国崩壊からエルドアン時代まで』中央公論新社

      佐藤弘夫著『「神国」日本―記紀から中世、そしてナショナリズムへ』講談社学術文庫

      林香里著『メディア不信―何が問われているのか』岩波新書

      大日向悦夫著『満洲分村移民を拒否した村長』信毎選書

      カズオ・イシグロ著『日の名残り』ハヤカワ文庫

  (191月〜12月)

      ルイス・フロイス著『ヨーロッパ文化と日本文化』岩波文庫

      井上智弘著『人工知能と経済の未来・・2030年雇用大崩壊』文春新書

      堤未果著『日本が売られる』玄冬新書

      芦沢壮寿氏が書いた論考「日本の古代史―“万世一系の皇国”の国史がなぜ生まれたか」
                             及び「故郷の歴史―ヤマトタケルと倭国について」の二つの冊子

      五木寛之著『白秋期 地図のない明日への旅立ち』日本経済新聞出版部

      山本義隆著『近代日本150年――科学技術総力戦体制の破綻』岩波新書

      梯久美子著『死と愛と孤独の肖像』岩波新書

      カズオイシグロ著・土屋政雄訳『忘れられた巨人』ハヤカワepi文庫

      河合雅司著『未来の地図帳――人口減少の日本で各地に起きる事』講談社現代新書

      後深草院二条著・佐々木和歌子訳『とはずがたり』光文社古典新薬文庫

      ロジェ・カイヨワ著、西谷修訳『戦争論』NHK出版
   
       (201月〜12月)

      内田樹著『街場の読書論』潮出版社

      HD・ソロー著、飯田実訳『森の生活 ウォールデン』岩波文庫

      磯田道史著『天災から日本史を読み直す 先人に学ぶ防災』

      藤岡換太郎著『フォッサマグナ 日本列島を分断する巨大地溝の正体』講談社

      ケネス・グレーアム著、石井桃子訳『たのしい川べ』岩波少年文庫

     阿部勇・高橋千幸他著『蚕糸王国ものがたり』信毎選書

     出口治明著『還暦からの底力  歴史・人・旅に学ぶ生き方』講談社現代新書

     加藤典洋著『どんなことが起こってもこれだけは本当だ、ということ幕末・戦後・現代』岩波ブックレットNo.983

     山極寿一著『スマホを捨てたい子どもたち野生に学ぶ「未知の時代」の生き方』ポプラ新書

     ブレイディみかこ著『ワイルドサイドをほっつき歩け』筑摩書房

☆ いななき学舎主催の公開読書会・講演会

 

公開読書会(著者による講演)

 

  第1回 061月    「井月の魅力―その俳句鑑賞」(井上井月顕彰会)著者:竹入弘元氏

  第2回 13331日 「竹沢長衛物語」(山と渓谷社)著者:松尾 修氏

  第3回 13929日 「ドラッカーとオーケストラの組織論」(PHP新書)著者:山岸淳子氏

  第4回 14525日 「一茶無頼」(信濃毎日出版社)著者:吉田美和子氏

  第5回 14629日 「信州二人の放浪俳人 一茶と井月」(ほおずき書籍)著者:春日愚良子氏

  第6回 15426日 「おいしい穀物の科学」(講談社)著者:井上直人氏

  第7 161127日 「 高遠旅石工たちの幕末」(講談社エディトリアル)著者:松尾 修氏

  第8回 17625日 「水力発電が日本を救う」(東洋経済新報社)著者:竹松幸太郎氏

 

会員による自前講演会

  第1回 09531日 「金子みすずになりたかった女の子」 伊藤岬氏

  第2回 09830日 「良寛に学ぶ」 小田切藤彦氏

  第3回 10221日 「知られざる歴史を読み解く」 伊藤一夫氏

  第4回 1094日  「子供たちの考え方と意識の変化」 森本尚武代表

  第5回 11529日 「日本人の宗教意識」 有賀功氏

  6回 12527日 「日本人の宗教意識(その2)」 有賀功氏

  第7回 181014日 「変貌する伊那の里山」中堀謙二氏

 

特別講演会

  第1回  11828日「今回の巨大地震は伊那盆地にどう影響するか」松島信幸氏 

  第2回 12826日 「植物界の縄張りとその移り変わり」 柄山祐希氏

  第3回 19630日 「韓国生活体験の紹介」 春日郁夫氏

  第4回 19127日 「イギリス紹介」 ALT Leila Nicholson さん

  第5回 20822日 「Reflections on the culture of Japan and the UK
                            ALT Leila Nicholson さん 

講演会

  第1回 061126日 講師:信濃毎日新聞主筆 中馬清福氏 演題「読む・話す・考える」

  第2回 071125日 講師:(上田)無言館館主 窪島誠一郎氏、演題「見ること と 読むこと」
 
  第3回 081018日 講師:精神科医・作家 なだいなだ氏、演題「常識の歴史

  第4回 091128日 講師:医師(地域医療) 色平哲郎氏
                             演題「医療・健康情報を正しく判断しよう−メディアリテラシーとメディカルリテラシー」 
  第5回 101128日 講師:哲学者 内山 節氏、演題「清浄なる精神―日本の自然思想を読み解く」

  第6回 111123日 講師:作家 落合恵子氏 、演題「いま、いのちの声を」            

    7回 18712日 講師:小泉八雲記念館館長 小泉 凡氏、演題「小泉八雲とアメリカ―ハーンが遺した日米の絆―」

 

震災フォーラム 135月  13519

1部 復興ドキュメンタリー映画「超自然の大地」映画監督:梶野純子氏(伊那市出身)

  第2部「東日本大震災から見えてきたもの」パネルディスカッション(創造館講堂)
             進行:震災支援ボランティア市民ネットワーク事務局長、いななき学舎会員・若林敏明氏
              語る人;伊那市長・白鳥 孝氏、信濃毎日新聞編集委員・増田正昭氏
                             NPO法人チェルノブイリ支援会員・原 富男氏

 

☆編集後記 

この度、六波羅代表より、自身が傘寿を迎えて世代交代したい旨のお話がありました。それには引き継いでくださる、次世代の方々に、今までの「いななき学舎」の流れ、歴史をお知らせする必要があるのではと提案したところ、快くご了承いただきました。
 丁度、今年が設立15周年に当たるので、今までの会の歴史を冊子に纏めることとなり、設立当時の関係諸兄には発足当時の思い等のご寄稿いただきました。
 また会員以外の方々にも急なご寄稿依頼にも拘わらず、ご協力ありがとうございました。毎月発行の会員通信からも一部掲載させていただきました。併せて講演会・文学の旅等の会主催行事一覧も掲載しました。表紙及びカットは会創立時のメンバーでもある漫画家・橋爪まんぷさんにご協力いただき冊子に花を添えていただきありがとうございました。最後に日頃、読書会会場をご提供いただいている市立伊那図書館様には、この冊子発行にご協力いただき、誠にありがとうございました。                                                                             (湯沢文象・伊藤和義)

 

  会津・大内宿・東照宮・足利学校の旅

 令和元年8月29日より31日まで、今年の文学の旅は会津方面でした。8月とはいえ雨混じりの
涼しい天候の中、高遠の殿様保科正之公から戊辰戦争に至るまでの会津藩の歴史に思いを馳せる旅となりました。伊藤岬さんによる随筆「会津と東北魂」、またバス中各氏より頂いた解説のおかげで予備知識を持って臨むことができました。初日は土津神社、御薬園を訪問。2日目は鶴ケ城と西郷頼母の武家屋敷を見学し、地元ボランティアガイドさんの熱のこもる説明を受けました。午後は大内宿を散策。最終日は日光東照宮見学の後、日本最古の学校、足利学校を訪問。ここには以前読書会で読んだ「ルイスフロイス」の資料がありました。

皆様のご準備のおかげで、今年も実り多き楽しい旅ができましたこと感謝です。

以下に小田切藤彦さんによる俳句、守屋臣介さんによる短歌をご紹介します。

☆ 会津方面への旅 俳句十四句    ☆ 会津の旅十五首   

守屋 臣介

米どころ手の入らぬ田と見えて稲穂より出づ雑草の丈

曲りくね赤く濁りて阿賀野川東北人の血反吐の色か

種まきし大根の芽の気になるも会津の地で大酒を飲む

バイキング言葉の意味をふと気にし会津を攻める官軍ごときか

本陣の軒先で聞く異国語に尊王攘夷脱藩投獄

薬味より辛きことよく噛り付く「ねぎそば」すする大黒屋の軒

じじばばが店番をして客を呼ぶ向こうの畑は荒れ地のままで

「庄助さん朝酒朝湯が大好きで」臣介さんは遠く及ばず

あかべこのごとく頭を下げおれば出世も出来たかお金持ちにも

「このところ雪少なくて」語る老女「六尺ほどだ」と何気なく言う

黒船の波いつの日に届きしか急峻なる山会津西街道

守るもの武士のみに非ず鑿(ノミ)の痕溶結凝灰岩赤き石垣

幕末に保科殿様城主であれば白虎隊は高遠の若者

介錯もなく自刃せし女たち武士よりもなお胆のすわりて

幾人の血が流れしか柱あり会津角番所刀傷痕

 

小田切 藤彦

会津着バスにゆられて六時間

青空に聳えて白し鶴が城

鶴が城石垣高く秋めく日

高遠の保科氏の墓ここにあり

白虎隊眠る飯盛雲かかる

酒楽館酒を買う人数多あり

会津の地歩き通して足傷む

食事どきうどんの甘さや舌鼓

バイキング食べ放題の宿料理

三人部屋話はつきず秋夜長

売店で会津男女の書物買う

古寺の仏像見ごと眺めいる

名物のカステラ買いて帰るわれ

茅葺の日本最古の教えの場

 

いななき学舎・松江・出雲の旅(2018年6月2日〜4日)

素敵な松江・出雲の旅、行って参りました

旅のきっかけは、例会でラフカディオ・ハーン著「日本の面影」を皆で読んだことからでした。島根県松江にハーンの面影、足跡を辿ってみょう、衆議一決。二泊三日の旅程は、金井、吉岡両会員とトラビスジャパンとの度重なる話し合いで、綿密に組み立てられました。ハーンの曾孫にあたる小泉凡さんに対する金井さんによる熱意のこもった講演の依頼要請も旅の充実に期待を高めるものでした。

6月2日。朝530分、清々しい快晴のもと伊那市役所駐車場からスタート。中央自動車道、名神高速道、中国自動車道、米子自動車道をすいすいとわたり走り米子経由で松江入り。「直線距離で青森行きと同じ程度の距離」とバスの車内でその旅程の長さを鈴木さんは教えてくれましたが、車内では、六波羅さんがダビングされたNHKの小泉八雲についての解説番組がTXで流され、車内はあたかも“八雲教室”。約8時間半のバス旅を飽きさせませんでした。車窓から伯耆大山の大きな山容を目にし、いよいよ中国地方に入ったかの感を味わいました。午後3時過ぎにバスが滑り込んだのは、「松江堀川遊覧船」の駐車場。国宝松江城の築城当時の姿を今も残すという城をぐるりとめぐる堀川一周の遊覧の船旅。バスから小舟に乗り換え掘割を進む小一時間の船旅はゆったりとした城下町の風情を早速味あわせてくれました。そして、今宵の宿舎、松江市内の「サンラポーむらぐも」へ。夕食を済ませると日没を逃さぬようにと歩いて20分ほど、暮れゆく宍道湖畔に佇み、大きな落日を目の当たりにしました。湖面を茜色に染め、出雲方向の山並みを黒く影色一色にして真っ赤な太陽は沈んで行きました。

翌日3日も快晴。宿から掘割沿いの道を歩いてほぼ小半時、小泉八雲記念館に。館長で八雲曾孫・小泉凡さんの講演に接しました。ギリシャで生まれ、幼時をアイルランドで過ごしイギリス、アメリカ・シンシナティ―、ニューオリンズ、マルティニークを経て来日したその遍歴なかで得た数多くの不思議な物語、妖精譚。そして日本で結婚した妻セツを通して語り聞いたかずかずの日本の怪談。凡さんは、八雲のこうした文学の特徴は周辺性と反人間中心主義にあるという説明にとても今日性を感じました。

さてこの後は、各自の自由行動。八雲の旧居訪問、出雲大社への参拝、境港の水木しげるロート探訪、夥しい銅剣等が出土した荒神山遺跡見学、八雲ゆかりの月照寺等への訪問、古代出雲歴史博物館見学等々、21名の参加者それぞれの興味、関心の赴くままに散開。今宵のお宿は玉造温泉「保性館」に夕刻には全員また参集です。この夕食後、これは又愉快なショーに巡りあわせ。宿から徒歩5分ほどの演芸場で安木節を見せてくれたのですが、この舞台上に金井さんの夫の素水さんと、カナダから来日し伊那でEAT(イングリシュ・アシスタント・ティーチャー)を務めるジャックが招きあげられ、即席で教えうけたのち、プロの踊り手とともに軽妙に安来節を踊って見せ、客席からは拍手、喝采。思いもよらぬアクター誕生でした。

最終日、本日も快晴。宿の出がけに思わぬ発見がありました。ロビーの壁面に飾られた大きな日本画は小泉八雲と妻セツがテーブルを挟んで椅子にすわり対する情景を描いたものでした。守屋臣介さんが早速、フロントに作者やここに飾られたいきさつなどを尋ねておいででしたが、何か嬉しい因縁のようなものを感じる一瞬でもありました。そして、バスは一路、足立美術館へ。横山大観の収集と日本庭園の美しさで国際的に評価か高いとのことでしたが、庭園美、聞きしに勝るもので感心しました。昼食の安来節園芸館のどじょう松花堂膳も大変、美味。かくして、バスは一路、来たコースの逆を辿り無事に全員帰着したのでした。トラビスの乗務員さんに感謝。(事務局 三宅生郎)

以下守屋臣介さん作成旅の画像集です





                         

  いななき学舎・越中研修旅行(2017年12月2日〜3日)

道中記・会員作品集

 待ちに待った(私だけかな?)旅行の出発は予定よりも遅れたにもかかわらず、交通渋滞もなく進み快適な旅になりました。道中の中堀・三宅・征矢・守屋各氏による解説はこの会の旅のとても素晴らしい、誇れることではないでしょうか?ただ、守屋氏の貴重なお話の最中に行先の間違いがあり、大騒ぎをして本当に失礼いたしました。やはりナビだけを頼ることのよくないことが起こってしまいました。申し訳ありませんでした。

 この度で恵まれたことの第一番は天候でした。二日間ともに晴天で夕方・日の出の時に立山の山々がそれはそれは見事に見えて、まさに「立山に 降り置ける雪を 常夏に 見れども飽かず 神からならし」の歌が思われ、立山を神山と崇めた人々の思いが伝わってきました。

 次に、村上家でご当主によるお話は勿論ですが、思いがけず「ささら踊り」を無料で見ることが出来たことです。これはご当主夫人のご厚意に感謝申し上げたいです。

 そして、宿のお料理のおいしさと心暖まるおもてなしでしょうか?宿のお料理だけでももう一度という方もいらっしゃるようです。

 特に車の手配をして下さった岬さんに心からお礼を申し上げます。また「つまま」と「たぶ・椨・閧フ木」を結び付け実際に「つまま」を見つけ、教えてくださった中堀さん、一葉失礼して持ち帰り、写真に載せてくださった守屋さん! 感激いたしました。万葉集のDVD,帰りの車中での歌の用意など六波羅さんにも感謝いたします。また、差し入れの数々も忘れられません。おいしくいただきました。

 このほかに人知れず楽しいことが多くあったようです。百円硬貨事件・カメラポケット事件など・・・・。

 行き届かないことが多くありまして反省することばかりですが、皆様に助けられて無事終えることができました。気持ちよく会計を引き受けて下さり、何から何まですべてお世話になりました湯沢さん。心からの感謝でいっぱいです。準備をしたおかげで一番楽しむことが出来たのは私だと思います。有難うございました。

 心残りは万葉歴史館でもう少し時間が欲しかったこと、歌碑を予定通り見ることが出来なかったことなど伏木をゆっくりと巡れたらと残念でなりません。出来れば「物部の 八十少女らが 汲みまがふ 寺井の上の 堅香子の花」の寺井の井戸とかたかごの花を見にもう一度訪ねたいとひたすら願っています。  吉岡 郁子)

参加者の投稿作品集です。

 

吉岡 郁子

        毛嵐を 見れども飽かず 日の出待つ  

 

六波羅秀樹

        いななきの 寒ブリ初日 氷見の宿  

 

三宅生郎

熊笹の葉擦れの音のさやけくて冬の陽眩し万葉の跡  
この年の最大といふ満月の夜空に明かき有磯海

昨夜には大きな月に照り映えし有磯の朝(あした)日輪上る
幼子の二人もともに客送る主らさわやか氷見の民宿
店頭にむかご商ふ店のあり井波のまちは面白かりき

 守屋臣介

茅葺の丁なの跡も黒々と 煙の中に鈍く光りて

五箇山や流人の小屋の脇にある 四角のもみじ幾年数う                                     
若き日に友と登りし剣岳 今宵は氷見の宿から望む                                 
雨晴偽りも無き海辺にて 夕日に染まる立山を見る

海有磯富山の海を中に置き 神の山なる立山望む

月を見て波の音を聞きながら 疲れを癒す氷見の湯船                                
柿の名のババロア食べて人麻呂を 鴨山恋し石川の貝                                
氷見の海波穏やかな島影や 立山仰ぐ新しき陽を

尋ね来しの中国小春日の 雪山見えれど優し海風

つままの木片かごの花大嬢に カスミ桜や家持が恋

家持が見れど飽かじと詠みし山 千年もあとの我も思ほゆ                              
潮音館古き海辺の宿なれど 女将恋しや鰤も食べたし

 

 小田切藤彦

      氷見の海沈む夕日に合掌す

      万葉の歌詠すぐれ今に生く

      木彫する職人たちの生きる街

      家持の歌に綴られ歴史館

      高岡の宿は楽しき語りて尽きず

      舟もりのさしみは甘し食べ放題

      日常を忘れて旅寝我ここに

      歌詠みの心は豊か万葉人

      万葉集万葉仮名にて書かれたり

      北陸は文化の宝庫古き町

  伊藤 岬

  冬枯るる岬に立ちて万葉の海に向かへば立山ひかる

   夕焼けの移ろひまでも映しつつやがて暮れゆく富山の海は

      黄昏のまほらを空にかへしつつ月ゆつくりと沈みゆくなり

      暁光の波間を静かに飛ぶ鳥に世俗まみれの愚かさはなし

      万葉の言葉は肌にまとわりて微熱をもちて記憶を醒ます

 






             いななき学舎鎌倉文学の旅 2016年11月20日(日)〜21日(月) 

「2016 いななき学舎 鎌倉文学の旅」を終えて           子                              

1120日、日曜日の早朝、バスは伊那各地を巡って予定通りに出発しました。岡谷で武居美智子さんが乗車されるといよいよ「鎌倉文学の旅」のスタートです。まずは県内乗車の15名がそれぞれに自己紹介。旅の楽しみは出逢いにあり。道中皆様とお話しできる楽しみが膨らんでまいりました。

車中続いてのプログラムは、「鎌倉ゆかりの文学者」についてのお話でした。まずは小田切藤彦先生より高村光太郎についてです。戦争賛美の詩を書いたことへの悔恨から宮沢賢治のふるさと花巻に引きこもっていたこと。彼をデカダンスから救ったのは智恵子との出会いであったこと。その智恵子が統合失調になり53歳で亡くなってしまうことなどお聞きしながら、高校の時歌った「レモン哀歌」の旋律を思い出したり、「安達太良山」の詩を思い出したりしておりました。続いては三宅さんから白洲次郎と正子について、とても詳しいお話を伺いました。とりわけ、薩摩藩出身の樺山大将の孫であった正子が、会津藩主松平容保公の孫の松平勢津子さん(後の秩父の宮妃殿下)と女子学習院以来の友人でとても仲良しであったという話には興味をそそられました。会津藩の悔しさには胸の痛みを覚えるところがあり、その勢津子さんが皇室に嫁いだことで、あの新島八瀬さんが「やっと長年のしこりが解ける思いになった」との逸話を思い出しました。「実朝と公暁の首」の話も興味深く伺いましたが、私は不謹慎にも、「源何某の三歳のしゃれこうべ」という江戸の小噺が気になり始め、「はてどこで読んだ話だったか」どうしても思い出せなく気になってしまっておりました。後で調べてわかったのは、小林秀雄の随筆「真贋」の中に出てきた、「頼朝公三歳のしゃれこうべ」という話で、「実朝」ではありませんでした。最後のお話は伊藤岬さんによる「中原中也論」でありました。「神童」と呼ばれるほどの秀才であった幼少期からの成長過程、長谷川康子さんとの出会い、小林秀雄に彼女を奪われた経緯等とても詳しく語ってくださいました。また、武居さんからも中也や立原道造への思いをお聞きすることができました。

 それにしてもこのようなお話をたっぷりとバスの中でお聞きできたこの時間はなんと贅沢なひと時だったことでしょう。しかも、おいしい白菜のお漬物やリンゴの煮物をいただきながらです。この上なく幸せな時間でした。 残念なのは、荻原さんご夫妻と吉岡郁子さん、守屋武夫さんが参加できなくなったことでした。吉岡さんはもとよりこの旅のブレーンでしたから、さぞご自身も残念だったことでしょう。武相荘についての6枚綴りの資料を用意してくださり見どころの情報満載でありがたいことでした。

 10時半頃、バスは町田の武相荘に到着しました。周辺は雑木林で、赤黄に色づく葉に常緑樹の緑が混ざり陽ざしを受けて光っています。冬枯れの伊那谷と何たる違いでしょう。小春日和の暖かさに解放感を味わいました。黄葉の美しい木があって、「シデ」という名であることを米山さんからお聞きしました。

さて、いよいよ武相荘へステップインです。ひっそりとした竹林に入り、木道の小径を緩やかに曲りながら辿っていくと目の前に白壁の建物が現れました。その脇の階段を上がるとあの立派な長屋門の前に出ます。ここまでの小径がなんと素敵だったことか。吉岡さんの資料によれば、裏門からのアプローチはお能の舞台の「橋懸かり」のイメージだとか。「聖地」へ至る「結界」ともいうべき存在とのこと。本当に心憎い演出です。ここで東京にお住いの山岸さんと市川さんが合流されフルメンバーがそろいました。

初めて訪れる憧れの武相荘は、本当に美しいと思いました。茅葺の屋根に漆喰の壁、黒い柱や窓枠からなる古民家は、周囲の自然の中にしっくりとおさまって、落ち着いた雰囲気ながらあか抜けた佇まいでありました。ミュージアムの中の展示品は目を見張るものばかり。室町時代や鎌倉時代の壺があったり、天平時代の薬壺があったりと、その骨董的価値は私の想像の域を超えるものでした。自分の好きな世界を妥協なく求めていく生き方。それができた白洲正子とはどういう人物だったのだろう。全く家事をしなかったそうだけれど・・・とわが身をちょっと振り返ったりもしました。邸内レストランでの食事時、近くに座られた鈴木さんが、中央病院に掛けられている「シェルパの親子」の絵を描いた方だと知り、感激いたしました。

 さてバスはいよいよ鎌倉へと向かいます。またお楽しみが用意されていました。文学者による歌詞につけられた歌を湯沢さん六波羅先生がご用意くださり皆でカラオケに合わせて歌いました。「白鳥の歌」、「初恋」、「砂山」、「惜別の歌」、「宵待ち草」、「遠くへ行きたい」、「小さい秋見つけた」と懐かしい歌ばかりです。そして「鎌倉」の歌もありました。本当によかった。ご用意ありがとうございました。

 さて、鎌倉文学館に到着です。吉岡さんのご友人、平田恵美さんが迎えてくださいました。平田さんは鎌倉市中央図書館で近現代史資料室の研究員をされておられます。加賀百万石のお殿様の子孫にあたる前田侯爵の別邸であったこの建物もまた、素敵なお屋敷でした。漱石が妻鏡子さんにあてた手紙など、鎌倉ゆかりの文学者直筆の原稿や所持品が収集展示されておりましたが、私にとっては、犬が星を見るようなもので、心に残るのはむしろ、窓からのぞく海の眺めや、庭園から振り返るお屋敷の建物の美しさでした。六波羅先生の奥様が、以前来られた時はバラ園がなく、そのほうがかえって建物の美しさが感じられたとおっしゃっていましたが、私も、バラはきれいながら余計な気がいたしました。

 さて次は平田さんのご案内で近くの道を歩いて川端康成や山口瞳の家、また吉屋信子の家等を見て回り、そのまま鎌倉市中央図書館へお邪魔致しました。こちらの一室に御案内いただき、近代の鎌倉の変遷を映像とともにご説明頂きました。特に駅周辺については、関東大震災前後を含めて、その移り変わりがとてもよくわかりました。永井龍男の小説にもしばしば登場する「谷戸」が、鎌倉にある谷地形の山あいの土地を意味し、「やと」或いは「やつ」と読むことなど、鎌倉独特の地形や周辺の都市開発の歴史などたくさんお話しいただきました。資料室にもご案内くださり、鎌倉アカデミアの膨大な資料があることもわかりました。平田さんのおかげで鎌倉の姿を一歩踏み込んで見せていただくことができました。

 「秋の日は鶴瓶落とし」。日もすっかり暮れかけたころ、図書館前で平田さんとお別れし、鎌倉駅から「江ノ電」に乗って長谷で下車。そこからは徒歩でホテル「鎌倉あじさい荘」に向かいました。ここでは清水さんのスマホを頼りにたくさん歩きました。三宅さんの万歩計は8000歩を超えていたそうです。10キロ程度は平気で歩かれるという清水さんの奥様にとっては何でもない距離でしょうと思いながらも、日ごろの運動不足が解消できたと嬉しい思いでした。

 さて、夕食後の団欒のひと時です。「伊那も鎌倉のように近現代の写真や資料を集め保存し、後世に伝える歴史資料を整えていく必要があるのでは。」とのご提案が横森さんよりありました。本当にそのとおりですね。皆さん口々にその必要性を述べられ盛り上がっておりました。またその折「カヤの実」をいただきました。小さいころ母がよく「カヤの実」の歌を歌っていましたが、実際見るのは初めてで、うれしくいただきました。ごちそうさまでした。

 さて第二日目は円覚寺参拝からスタートです。横須賀線北鎌倉駅のすぐ脇にあり、線路は確かに敷地内と思われるところを通っていました。明治政府の廃仏毀釈の実例を目の当たりに見た思いです。

総門に続く階段下に一匹の猫がお行儀よく座っていたのがご記憶にありますでしょうか。後で調べてわかったのですが、これは円覚寺に住み着いている2匹の猫のうちの一匹で、「しいちゃん」という名前だそうです。総門あたりに座っては、お客様をお迎えするのが彼女の日常なのだそうです。

赤、黄に美しく染まるもみじの下の階段を登って総門をくぐると、二層の立派な屋根を頂いた堂々たる山門の姿がありました。これが漱石のあの『門』か。『門の下に立ちすくんで日の暮れるのを待つべき人』と書かれた「宗助」を思い出しながら見上げていると、そこに昨日の平田さんが来てくださっているのに気づきました。ご好意に甘え境内の中を案内していただきました。仏殿の隣にある「選仏場」は震災に耐えて残った建物で、当時ここで禅を組んでおられた方々は助かったとのお話を伺いました。中にはなんとも美しい仏様の像がありました。「居士林」「方丈」を左右に見て「虎頭岩」のある「妙香池」を左に見て左に曲がると国宝「舎利殿」がありました。?葺きの屋根が美しいこの舎利殿はもともとは近くにあった大平寺から移築したもので、15世紀の建築と推定されているとのこと。さらにその奥にある観音堂までご案内くださいました。円覚寺はそれぞれの塔頭やお堂一つ一つに趣があり、紅葉もちょうど見頃で本当に美しい世界です。守屋さんが写真をたくさん撮ってくださいました。見せていただくのが楽しみです。最後は漱石が滞在した塔頭、「帰源院」にお連れ頂きました。平田さんはここで開かれる「鎌倉漱石の会」に参加されているそうでよくご存じの様子です。おかげで普段は非公開の内部を見せていただきました。漱石がご住職富沢さんにあてた手紙が飾られていました。庭には漱石の句碑があり、「佛性は白き桔梗にこそあらめ」と刻まれておりました。平田さん本当にありがとうございました。

 さて、次は建長寺です。ここは鎌倉五山第一位のお寺とのこと。創建は1256年北条時頼によるもで、

我が国最初の禅寺だそうです。広々として明るい境内でしたが、私としては円覚寺の印象があまりにも強く、もはや素晴らしさを味わうセンサーを使い果たしてしまった感じで、正直なところあまり感動できない状況にありました。

 食事処「峰本」での豪華な昼食をはさんで、午後の最初は「化粧坂(けわいざか)」ウォーキングです。化粧坂は「鎌倉七口」と呼ばれる代表的な「切り通し」の一つで、左右にはごつごつとした岩肌が露出しており、頭上には木々が葉を繁らせていて、昼なお暗いつづら折りの坂道でした。遊女がいたとか、平家の武将の切り取った首に化粧をしたとか、様々な伝説があるらしく、鎌倉時代の人たちの哀惜が漂っているようでもありました。一人旅なら怖くて来られなかっただろう、などと思いながら坂をのぼりつめると、パッと空が広がって明るい風景が開けました。小高い場所に若き日の頼朝公の座像があって、その周辺で2匹のプードルがお散歩を楽しんでいました。鎌倉時代と現代とがまじりあった風景でした。

 鶴岡八幡宮は階段と根本だけの大イチョウを遠目に見て駆け足で通り抜け、秘かに楽しみにしていた小町通りにある「ターシャ・チューダー」のお店を美智子さんと尋ねました。たった10分のお買い物時間でしたが私たちにとってはもう一つのハイライトでした。

 最後の訪問は瑞泉寺。永井龍男の随筆「秋」の舞台です。参道を上っていくと道は二手の階段に分かれます。永井は「男坂」を選んだとありますが、私たちは、緩やかな「女坂」をのぼっていきました。たどりついた門には、虚子の句「初時雨これより心定まりぬ」が掛けられてありました。門の中はこぢんまりと整った庭園で、「冬桜」が咲いておりました。「秋」の随筆さながら本堂の後ろに回り込むと、対岸に断崖をいただく池のある庭が広がっていました。夢想国師の設計といわれる庭園です。「秋」の中の「私」は、この池に映る十三夜の月が見たくて独りそぞろ歩いてきたのでした。「月の明るい秋の夜の冷え冷えとした夜気が感じられる見事な叙述」と、中野幸次が評したあの情景を思い描きながら、しばし雨の中に佇みました。

 2日目も本当にたくさん歩きました。ぐったり疲れて寝てしまうのではとの不安をよそに、帰りのバスの中にも、楽しい時間が流れました。稲村ケ崎周辺では、伊藤一夫先生から新田義貞の歴史物語をお聞きしました。後醍醐天皇、護良親王、宗良親王などなど、まるで身近なお知り合いかのように話される先生のお話しはとても面白くてもっともっとお聞きしたいと思いました。「眠れない最後のプログラム」は、白洲次郎と正子のDVDの放映です。1巻、2巻と流してくださり、すっかり見入ってしましました。退屈する間も寝入る間もなくあっという間に岡谷です。ああ、楽しかった。本当に充実した2日間でした。参加の皆様、事務局の皆様本当にお世話になりました。「いななき学舎文学の旅、鎌倉編」は私にとって忘れえぬ旅になりました。本当にありがとうございました。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    

                      小田切藤彦 氏 四句

 

  ・鎌倉の土踏みしめて冬はじめ                 ・武相荘鉄瓶かかりし囲炉裡あり                         

  ・冬日さす文学館の文士たち                      ・サブレー売る店は繁盛冬鎌倉

 

 今次旅行にあまり勉強せづに参加させていただきました。皆様とは「武相荘」で合流、二日目鎌倉若宮大路でお別れしましたが、小春日和に恵まれ楽しい2日間でした。

                        市川和雄 氏 三句

                   ・飛石にいろをこぼして冬紅葉

                   ・天井の龍睨みをり冬はじめ 

                   ・人力車山門に待つ小春かな

 

          武相荘を訪ねて            湯沢文象

 いななき学舎「鎌倉文学の旅」の往路に立寄った旧白洲邸今でこそ宅地開発で住宅地のど真中であるが、当時はど田舎、そこえ移り住む潔さと、エリートであるご夫妻の身の処し方、生きざまには感動さえ覚えた。バスの中でのビデオ映像を見て確信した。

売店で白洲正子の書籍「私の古寺巡礼」が目にとまり和辻哲郎のそれを連想、買って帰り読んでみる。古寺巡礼のバイブル和辻哲郎のそれとは違い古都以外各地を巡り“1418歳多感な時期のアメリカ留学で日本のものが珍しく懐かしかった”と云った視点からとらえたようだ。巻末、高橋睦郎の解説に「すいたことをしての一文に白洲正子の死後も衰えない人気は、上流家庭に生まれ育ち、裕福な家に嫁いだ人なら、他にもたくさんいる。そんな人の常として、師、先輩、友人に恵まれ人少なくないだろう。それらの人々が全て晩年の正子のような魅力的な存在になったわけではない。反対に、選良意識ばかり強い鼻もちならない存在になってしまった人の方が多いのではないだろうか。」と

拝金主義的志向が強い今の世に警鐘さえ感じた。先日の新聞記事で世界の自殺者率ワースト、日本は三位、一位は韓国と出ていた。心の貧しさは深刻な問題と考える。

                          

                若宮大路を歩いて感じたこと           山岸正七

 由比ヶ浜から鶴岡八幡宮へと一直線に伸びる若宮大路、古都鎌倉のメインストリートである。今年の春に約100年ぶりの大改修を終えたと、新聞報道で知った。

中央部の一段高い参道「段蔓(だんかずら)」の石積みを補強し、老化した桜並木を若木に植え替え、参道を明るいベージュの舗装にしたと言うのである。今回舗装された段蔓を歩いてみて、これは参道というイメージとはちょっと違うなと思った。関係者が検討の上このように改修したのだろうが、参道はやはり砂利道がふさわしいのではないか。

 鎌倉は人口3万、旧市街は半径2キロほどの範囲に収まる小さな街である。東京から電車で一時間足らず、前に海、後ろを山に囲まれていて、ほかとは違う空気を肌で感じる、住んでみたい街である。  

 

               武相荘・鎌倉のたび所感             伊藤 岬

 この秋のいななき学舎の、白州次郎・正子の「相荘」と綺羅星の如き文学者のかかわる鎌倉の旅はとびわけぼくにとって感慨深いものであった。
 鎌倉、ことに北鎌倉は何度か訪れていたはずであったが、これまでは観光客のひとりとしての鎌倉であり、わが意識とは少し遠い存在での鎌倉であった。この旅で、鎌倉という街に伏流する「日本」の血脈の一端を感じた思いがした。
 その鎌倉もさることながら、それに先立つ「
相荘」に漂う白州夫妻の空気に触れたことも嬉しかった。
 鮮やかに戦後日本を皿に盛り相荘たる晩餐会よ
 憲法とゴルフボールを手のなかに白須次郎の見つむる空よ
 妻なりし正子(ひと)にも黙し男の子(おのこ)たる孤独の裸身さぞや寂しき

               鎌倉文学の旅で得たもの                清水吉治

 入会させて頂き三年となりました。皆様の研鑽を積む姿を拝見しつつ、何とかしなければの思いが強くなり

初出稿をさせて頂きます。

・木漏れ日に錦際立つ円覚寺

・瑞泉道歩み止めれば射る紅葉

・竹林と石蕗絶妙武相荘

・瑞泉寺岸壁穿って祠あり幾重か登りて西方を見たし

・我が師匠悟り開かん円覚寺光悦武蔵いずれとも成す

・化粧坂足とられしも紅葉踏む源氏の夢に今も賑わう

 

                     振り返って             六波羅秀紀

 三人の女性会員、金井さん・武居さん・吉岡さんのアイディアに基づいて企画され、旅行社の全日本で具体的に立案された良い旅程計画であったと思います。ただ、ガイドが同行するわけではないので、事前に正確な地図を調べて道順や買い物を考慮した時間等を確認しておくことは絶対必要でした。当日利用した観光案内の地図ではだめでした。最近、物忘れが多く気になっていましたが、今回そのために一部の方々に大変ご迷惑をおかけしてしまい申し訳ありませんでした。

それにも関わらず何とか終わりまで行けたのは、主催者として清水さん・湯沢さんが本気になって取り組んでくれたこと、また事情があって参加できなかった伊藤和義さんが専門知識を生かして詳細な予算を立ててくれ、責任をもって最後の精算してくれたことでした。加えて武相荘へは事前に何回も連絡を取ってくれ、また旅行社への連絡も一手に引き受けて頂きました。この旅は28人乗りのバスをチャーターしているので、会員以外の方々が参加してくれたお陰で成り立ちました。 加えて吉岡さんの友人で鎌倉在住の平田恵美さが散策の案内をしてくれ、勤めておられる中央図書館で準備された映像を見ながら説明を聞けたことは得難い好運でした。 意外に歩く距離が長く初日は1万歩、2日目は1万8千歩とのことでした。当然歩行速度には差がありましたが誰かが自発的にフォローするなど参加された方々が極めて協力的であったお陰で何とか旅を終えることが出来ました。ここに改めて感謝し御礼を申し上げます。

          出かければ 何かが生まれる そうずら 行くずら そうするじゃん



いななき学舎軽井沢文学と歴史の旅

  2015年11月15日〜16日の2日間で下記コースで行ってきました。それぞれの場所で詳しい先生の解説をいただきました。
1115日) 伊那杖突峠〜富士見高原療養所・富士見高原ミュージアム・富士見公園〜野辺山(昼食)〜臼田・五稜郭〜 旧中込学校〜
          堀辰雄文学記念館〜軽井沢(泊) 「レクトーレ軽井沢」 
1116日) 宿舎〜軽井沢高原文庫(野上弥生子の書斎・有島武郎別荘「淨月庵」・堀辰雄1412番山荘…等)〜小諸懐古園・ 藤村記念館
          〜佐久(昼食)〜茂田井間宿(牧水歌碑・大澤酒造民俗資料館・信濃山林美術館・武重本家酒造)
〜笠取峠の松並木
           〜新和田トンネル〜岡谷〜伊那松島〜伊那

 コース的には盛り沢山の感がありましたが、事務局六波羅さんと会計伊藤和義さんの手際良い配慮で19名参加の楽しい旅となりました。
 (事務局・六波羅君のコメント下記します。)
旅の初日の15日は、天候が心配でしたが徐々に回復し、旧中込学校見学のころには日がさしてきて幸いなことでした。
翌16日には、浅間山を遠くに近くに眺めることが出来ました。目的地が軽井沢であったことは良かったと思います。 
木が多く、広い敷地の木々の間に点在する家々は素晴らしい風景画でした。 伊那より気温は3〜4度は低いでしょうか。
避暑地として素晴らしい才能が集まったことに不思議はありません。 
今回は、そこに関心を持つ方々が参加されたことも良かったでしょう。 各人、それぞれの得意な分野で旅を盛り上げて頂いたことも有難いことでした。心地よく旅を終えられたことを嬉しく感謝して御礼申し上げます。ありがとうございました。                  六波羅秀紀

「軽井沢文学の旅」紀行文                             伊藤 岬 

 いななき学舎の旅前回「一茶と良寛に関わる地域信濃町柏原新潟の出雲崎を旅してきた。 今回は信州の「軽井沢・文学と歴史の旅」と銘打たれての旅である。 信州の一地域とはいえ、軽井沢は垢抜けた都会の避暑地といった風情で、南信の者にとっては ややなじみの薄い地域である。地域的愛着というより、著名な小説家など有名人を通じて名を聞 く地域というのが、多くの信州人の実感であろう。参加者は19名、会員とそのご家族や友人など。会員の守屋さんより差し入れなどもあり、会 員外の人も含め和気藹々とした貸し切りバス旅行となった。バスは伊那より杖突峠を越え、最初の目的地は「富士見高原療養ここは初代院長・正木 俊二の交友関係もあり堀辰雄・竹久夢二・横溝正史らの文人が療養生活を送ったことで知られる。 映画『月よりの使者『愛染かつら『風立ちぬ』の舞台としても有名だ。ここでは、伊藤左千夫が設計した富士見公園を訪れ、アララギ派の歌人である伊藤左千夫本人 や島木赤彦・斎藤茂吉などの歌碑を巡った。ここから野辺山宇宙電波観測所を経るのだが、早めの昼食をとり、南佐久の臼田にある五稜郭 城として異彩を放つ龍岡城を訪ねた。城の中は学校となっており、城趾の石垣を巡りながらしば しの散策。そこより旧中込学校と訪ねた後、一路「堀辰雄文学記念館」へと向かった。バスの中で、三宅生カ会員による堀辰雄と「風立ちそしてその周辺にわたる文学的考察 の解りやすいレクチャー伊藤一夫会員による「秩父困民党事件」にまつわるレクチャーもあり、 これらの学びが旅を一層味わい深いものにした。堀辰雄文学記念館」などの見学は、三宅会員のレクチャーの下敷きもあったため、より興味 深く見学することができた。 国の重要文化財となっている旧中込学校はわが国に現存する洋風建築の学校としては最も古い 建物。当時の信州教育の息吹を感じた。そこからのバスの中では参加者の下島さんの持参した唱歌集のDVDにあわせて合唱しながら 軽井沢へと向かった。まもなく、バスは目的地付近まで着いたのだが、別荘地内の道は街路樹に よって狭く細いため、宿の差し向けたマイクロバスに乗り換えて、しばし高級別荘地の雰囲気を 楽しみながら宿の「レクトーレ軽井沢」に到着した。 宿は新日鉄の保養所だった建物を改造したものとのことで、軽井沢の別荘地の奥まったところ にあった宿までの通りが広大な公園のなかにある瀟洒な別荘地といった風情で素晴らしかった。 いかにもこの旅に相応しい環境のなかに納まっていた。宿の料理もサービスもやや控えめのイメージではあるが満足のゆくものだった。翌日は「軽井沢高原文庫」の見学。そこでは「軽井沢ゆかりの文学を訪ねて」という展覧会が 行われていた。有島武郎正宗白鳥室生犀星芥川龍之介川端康成堀辰雄立原道造……等々、 綺羅星のごとき大作家たちのプロフィールや原稿などに堪能した。軽井沢高原文庫」の周辺には、有島武郎別荘「浄月堀辰 1412 番山荘、野上弥生子書斎などが移築保存されており、また中村真一郎文学碑や立原道造詩碑など、短時間に通り過ぎる のはもったいない気分であった。

 ちなみに、宿からのバスの中で伊藤岬が「有島武郎の雑誌記者波多野秋子との情死事件」につ いてつたない考察をさせていただいた。当然ながら別荘に事件の痕跡はまったく残ってはいない が、文学に関わる男女の恋愛模様にひとときの思いを巡らせた。それにしても、軽井沢駅は標高 940m野菜も育ちにくいであろう寒冷地域がなぜこれほ までに日本有数の別荘地として発展を遂げたのだろうか。単に宣教師など外国人や文人たちの別 荘地としての「特別な空気」というだけではないだろう。別荘を持てるだけに比較的裕福な層の 人々が集まるということもあって、軽井沢は飲食店も商店もレベルの高いものを求められ、また 訪問客もそれを認めてきたから、文化も生活感、空気も全体としてハイレベルなところを維持さ れてきたということだろう。軽井沢を離れ、途中では小田切藤彦会員により、島崎藤村にまつわる諸々のレクチャーを受け ながら、島崎藤村ゆかりの小諸懐古園へ到着。小諸懐古園は紅葉の真っ盛りということもあり良 い季節であったが、人出も多く賑わっていた。

 ゴールデンセンチュリーというホテルでの昼食のあと茂田井間宿へと向かった。茂田井間宿は古い町並みが残っているが、なにより飲ん兵衛好みの町である。若山牧水の酒に まつわる歌碑とともに、大澤酒造や武重本家酒造などの民俗資料館、信濃山林美術館など見所も たくさんあったが、聞き酒所もあり気もそぞろ。買い物など町並みの散策の後、笠取峠の松並木 へと向かった。笠取峠の松並木は散歩道としては手頃な歩道であったが、肝心の樹木は松食い虫にだいぶ荒ら され痛々しい姿をさらしていた。松食い虫の被害は、文化財といえども容赦ない。帰路は、唱歌を聴きながらいつしか新和田トンネルを越え、谷、輪、伊那市へと無事にた どり着き、楽しい旅を終えることができた。

 それにしても、この二日間は近代日本の多くの文学者たちや石碑との邂逅の旅であった。富士 見では「アララギ」の歌人たちとの関わりや、尾崎喜八や竹久夢二などとささやかな対話ができ たような気分に浸り、佐久そして軽井沢ではたくさんの文学者の作品やドラマとも触れた。信州 内という近場の旅ながら、中味の濃い旅であった。旅行会社の全日本さんにも感謝したい。おなじ信州にいながら見過ごしてきた時間をとり戻すことができたような様々な見つけがあ り、ぼくにとって、ちょっと心が豊かになれた二日間であった。

☆今回の旅から生まれた句

      散る哀れ残るも哀れなる木の葉

      冬霧の詩的流れや軽井沢

      文士らの血潮の名残冬紅葉    向山政俊

 

      落葉踏む中山道の松並木

      牧水の冬酒を酎()む酒造店

      紅葉する山晴れ晴れと軽井沢

      赤彦の歌碑眺めいる初冬の日

      冬の日も人にぎわいて懐古園   小田切藤彦

 

      浅間山の風をまとひて冬の鳶

      枯木立空の明るき別荘地

      屈み読む藤村の歌碑紅葉散る   市川和雄   



                堀辰夫文学記念館前

                   小諸・懐古園前



「小林一茶」についてのうんちく諸々 いとう  

いななき学舎で採り上げる本は、これまで政治 や経済など社会問題と関わるものが多い傾向に あった。しかし、このところ連続して俳人小林一 茶とその周辺についての論考がつづいている。伊那地方ではここ数年、漂泊俳人井月が脚光を 浴びてい北の一茶、南の井月」というが、 域での位置づけや全国的な知名度からは、残念な がら今のところ比べべくもないというのが現状だ ろう。蛇足だが、井月の観光的利用にはぼくは疑 問を感じる。あくまで、俳人井月としての作品評 価の高まりがあって、結果的に人が訪ねてくる順 序でなければ本物ではない。というのは余談。では、井月と一茶の作品はく らべるとしたらどうなのか、あるいは人物はどう なのか、といった興味深い考察は、6月 29 日の公 開読書会『一茶と井月』で春日愚良子さんが語っ てくれることだろう。ここでは一茶に関わる会と してのこれまでの活動に絞って報告したい。当然ながらこれから記す内容はあくまで、ぼく いとう岬の主観に基づくものであり、それぞれの 感じ方はおのずと違ったものもあるだろうことを お断りしておきたい。会として、最初に田辺聖子著の『ひねくれ一茶』(講談社文庫)を読んだ。これは、一茶の生涯を田 辺聖子氏特有な筆致で軽 妙に綴ってあり、読み物 として楽しめた。一茶と いう人物の入門書としても好著といって良い本で あったと思う。その田辺聖子氏は一茶についてこう語る。江戸風に染まらず、その場その場の風向きにあくせくせず、どこまでも自分を貫き通す。それで いて、他の俳人たちの才能を素直に認め、決して おごることがなかった。その変わることのないこ とのない態度は、一茶を好む者には、どこまでも 親身になって彼の世話をしようという気を起こさ せた。ありがたいほどの、人徳である。そんな一茶だが故郷では異母弟と財産を巡っ てさんざんいがみ合う。一茶の生活は俗であり続 けた。芭蕉のようにからりとしたわびやさびを求 めるほどには、人間が枯れていなかった。しかし、 どっぷりとつかった俗世界を一茶はこよなく愛し ていた。それが俳句の形をとると、情にあふれ、おかし みを含んだ飄逸な句となった。天才といわれる所 以である。そして、誰もに「一茶さんのような句 は作れない」と言わしめた。 「成美も蕉雨も道 彦も消える。その名さえ忘れられる。だがお前の 名と句は残る。誰にもよくわかるから最後 はよくわかる句が残るしかもいやなやつだねえ、 間、てのよくわかる句のなかでも『うつく しき』てのが残るんだ。お前のはよくわかってう つくしいんだ。鬼に金棒、仏に蓮華」というように、あくまで世俗のなかに生きた俳 人一茶を、面白き男として書いている。

余談だが、ぼくは趣味として川柳を書いてきて いるが、一般的にイメージされる「川柳」とは少 し違っているようだ。他文芸の人がぼくの川柳を 読むと(褒め言葉としてだろうこれは俳句で すねとよくいわれる。しかし俳人が自作品「こ れは川柳ですね」といわれるのは侮辱であるよう に、ぼくにとっても「俳句呼ばわり」はやや不愉 快でもある。実は田辺聖子は川柳については造詣も深良く読み込んでいることで知られる。その田辺氏の 一茶を捉える眼は、俳人としての眼より、川柳眼 としての角度からが見ていると感じる。たとえば、 このような部分。また、あきらかに他人の俳句を真似てつくった 作品に対して、一茶は怒りを押さえることができ ない。こんなものはァ川柳点でも雑俳狂俳でもありゃ しねえ、いかな雑俳狂俳でも自分の 心の声を五 七五にまとめるにゃ、七転八倒の苦しみをする、 だからこそ、雑俳狂俳でも人の心を打ち、人の頤 を解くってもんだ、まして俳諧というのは人の心 を清め高めるもんだ五七五で森羅万象を詠んで、 しかも浄化して和らげるもの、だからこそ、俳句 の一句にみなみな、のたうちまわって苦しむんだ、 それを、ひとののこりかすをもてあそんで、いい 気になるんじゃねえ。ぼくとしても我が意を得たりである。このとこ ろの俳句や川柳作品にひとののこりかす」 焼き鈍したにすぎない作品が蔓延している。と、寄り道が過ぎたが、このところのいななき 学舎は一茶の全体像を求めての寄り道行脚といっ たところだろうか。

 

一茶、良寛ゆかりの地を訪ねて

5月 18 日・19 日と、いななき学舎の 会員と会友 16 名は、一茶と良寛のふる さとを訪ねて、柏崎・北国街道そして上 越道から良寛の里・出雲崎などゆかりの 地を訪れてきた。主なところは、一茶の里の一茶館、 茶記念館、俳諧寺、出雲崎・良寛記念館、 良寛堂、和島村・良寛の里美術館、五合 庵などである。16 名という数は、行動するまたは案内 を受ける数としても丁度良く、訪ねる場 所場所で専門の案内人が詳しく説明をしてくれた。また小林一茶直系の家人との出会いや、出雲崎 で宿泊した宿の女将が加藤楸邨系の俳句結社に参 加していて旅館の仕事も忘れ俳句談義にしゃしゃ り出る(笑)など、予期せぬ出会いやハプニング も多い面白き旅であった。わずか二日間の旅だったが中味が非常に濃く、 それぞれの場所での出来事を記すととてつもなく 長いレポートになってしまいそうなので、おおま かな印象だけ簡単に書いてみたい。

一茶の信濃のでのくらしは、俳句宗匠としての 顔だけでなく、まことに人間臭い生き方が自身の 日記などにより詳しく記されている。幼い頃に継 母から受けたイジメそして江戸への出奔・(当 時の江戸では信濃者とは田舎者の代名相続争 いなど、真面目でしたたかで、哀れさももったど ろどろした生き方が一茶の反骨の精神となり、一 茶独特の俳句の源泉となっていったのであろう。ところで、一茶の人間臭さに対して、良寛の無 私高潔、清貧の思想にもとづく聖人君子ぶりはど うであろう。歌人として、書の達人として名高い良寛であり、 さまざまな逸話に登場する良寛さまは人間離れし た仏さまといった心地であるが本当にそうであっ たのだろうか。史実によれば良寛も生家を捨てて出ている。 い間出雲崎で名主を務めてきた家であったが、時 代の趨勢なかで傾きかけていた。長男であった良 寛はその家を捨てて出家した。そのことへの良心の呵責であろうか、一茶の「我欲」ともいえる人 生に対して「無欲」の生き方を貫いている。相続争いに決着をつけ居宅を手にした一茶が、 50 歳をこえて妻を娶り、それまてでの空白を取り 戻すかのように房事に執心したことなども日記に 残されている。

方や良寛に色を探すとすれば、晩年に 40 歳下の貞 心尼との関係であるが、現代人の眼からみればま ことに歯がゆい。和歌や書簡による交流はあるも のの肌を触れあうなどということは無かったので あろうか、例えば 30 歳の貞心尼が始めて憧れの良 寛を訪ねて交わした時の歌君に斯く相見ることの嬉しさもまだ 覚めやらぬ夢かとぞ思ふに対して良寛は、夢の世にかつ微睡みて夢をまた語るも 夢もそれが随にと返している。 俗っぽく直訳すれ良寛さまにようやくお逢いできた、この歓びをどうしたら良いのでしょう。 夢にまでみた良寛さまが目の前にいることが、ま だ覚めないままの夢かと思えます」と、熱烈な まなざしを向けているのに対して、良寛は「夢な ら覚めるなと仰るが、人間というものは儚い夢の ような、世の中を夢のように生きているだけのも のなのだよ。夢を語るも今を語るもあるがまま、 自然のまま生きておれば、それでもよいではない か」と、冷静に距離をとっている。もちろん、貞心尼と良寛は 40 歳もの歳の差があり、しかも良寛は 70 を超えていたのだから、あり 体の男女関係は精神的にも物理的にも無理があっ たであろうが(と、書けば元気ないななき会員のなかから異論もあろうが ^^; の(て、の)瀬戸内寂聴ですふたりの間はプラトニックラブであって、男と女のそれ はなかったのです」と語っている。一茶と良寛、どちらの生き方に共感を覚えるかは それぞれにお任せするとして、こうした対極の生 き方をしたかのようなふたりであるが、実はそれ ほどの違いがあるようにはぼくには思えなかった。 本音に忠実に生き、名をのこした一茶、含羞の なかに道を求めた良寛。何れも、強く真っ直ぐな 太い柱を貫く人生を送った、ということではないだろうか。 なお、宿ではみんなで連歌などを戯れてみた。俳人歌人など錚錚たる田舎文化人の集まりきっ とこれはと思う歌仙が巻けるのではと期待したが、 もうひとつ完成度に欠けたのは残念、とは川柳人 の偏屈眼。

5月 25 日「いななき学舎」公開読書会

『一茶無頼』の 吉田美和子さんを囲んで

吉田さんを迎えての公開読書会の仕掛け人はい とう岬であったのだが、不注意負傷という個人的 なお恥ずかしい事情で、すべて事務局の六波羅さ ん任せで折衝にあたって貰った。吉田さんからは氏の個人誌『木槿通信』や資料、 『うらやまし猫の          越人と芭蕉などを送っ て戴いていた。そのどれも中味が濃く、非常に丹 念に裏付けを正確に追って書いておられるという印象があった。当然ながら、講演も期待していた。 その講演部分に吉田さんに当てられていた時間 がわずか 30 分。質疑応答が1時間半という設定は『一茶無頼』をしっかり語って貰うには難しいので はないかと危惧したが、熱意をもって 30 分をしっ かり語ってくれた。アンケートにこもごもに語ら れていたように、内容も非常に良く、やはり 30 ではもったいなかった、というのはぼくの印象。吉田さんは岩手県盛岡市の人、岩手といえば宮 沢賢治が思い起こされるが賢治「雨ニモマケズ」 の手帳に一茶の句が書き込まれていたことから話 はスター葛飾や南無二日月草の花」というひ とつの句であるが、この句の記述は間違っていて、 正確には「葛飾や南無廿日月草の花」だという。この、ひとつの誤りをヒントに繰り広げられる 推理論考もとても面白く、しかも説得力があった。 ぼくは吉田さんの著書をあまり読んではなく、数冊だけの印象だが、著作に手抜きがなく、精緻 でいながら骨太の文章力に敬服していた。発言のなかで、他の一茶研究者等の判で押した ような修飾した措辞や一茶像への吉田さんならで はの違和感も呈された。ぼくはゴミのような短詩 作家のひとりだが、俳諧師は表面的な一面、作品 傾向だけの一筋では語れないというのは、まさに 我が意を得たり の気分であった。やや吉田さんの講演とはずれてしまった 茶無頼』の後書きのなかから一部を紹介すること で、小林一茶に対する 想い をくみ取りたい。思えば、いい句がいっぱいあった。触れないで しまって残念な句がいっぱいあった。私はこの論 鳥」と蔑称される田舎者と しての強烈な自意識から出発した孤 立無援の青年の、自立と克服の物語 として構想した。吸う息と吐く息の 両方に音の出るハーモニカのように、 一茶の呼吸のすべてが自在の句にな る詩人としての天分に驚きつつ、こ の希有の個性に大きな魅力と共感と を感じてきた。私は無頼一茶の、性と繊細とを併せ持ちながら、巧みに鈍刀を切り 回す不敵な面構えをうつくしいとおもう。言葉が 生きて人に愉快と活力を与える詩本来の力を一茶 句の豊饒が有するさまを、この論考の中でなんと か語ってみたかった。一茶句はその境涯の宿命的 な偏頗性(へんばせい)によって、やむをえず若 干ひねこびれた存在のスタイルを取らざるを得な かったけれども、その星雲の持つエネルギーの大 きさと輝きにおいて、一級の詩人であったと私は 思う。「芭蕉と一茶と子規とは、ちょうど百年ずつ離れ ている。一茶句のあるものは芭蕉よりずっと子規 に近。」終章の「一茶翁終焉記」のなかで私は そう書いた。このことは、また、こうも言いうる。 芭蕉と一茶と子規と私達とは、ちょうど百年ずつ 離れている──と。子規から私達はもう百年も生 きてしまったのだ(後略)世界のなかでも、日本の短詩文芸は希有な芸術 として注目されてきてい古今和歌集』以前 平安時代のさらに遡る時代より始まる日本の短詩 文芸が芭蕉一茶子規等によってさらに磨かれ、 時代ごとのスターも生み出したり、庶民のなかに 息づいている。日本語の変化自在さが昨今の「集 団的自衛権」論議にみられるように、しばしば政 治の世界で悪用されてはいるが、広大な庶民芸術 を育てるうえで果たしてきた経過は、日本語の誇 りとして語り合われていいのではないだろうか。

このところの連続した試みは、いななき学舎に 相応しい取り組みであるように思う(読了感謝)


              一茶の里・終の棲家前

                 出雲崎・良寛堂の前


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