性 格 | ●名古屋生まれの田舎育ち。 ●典型的な総領の甚六。使わなくてもいい神経を使って落ち込んで、とことん落ち込んだら、 まぁーいいかーと開き直って切り替えてしまう極楽トンボ。どこかピントがはずれてい るみたい。 ●「づく」はあるけど、創意工夫まるでダメ。一生懸命体を動かす事は好きなんだが、 成果なしって感じかな。 ●血液型・AB型 |
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好きな食べ物 | 嫌いな食べ物がなし。その地方の名物だったり、そこのお店のお進め品だったら、 とにかく頂いてみる。 熱燗を手酌で、美味しいものを頂く時は最高の幸せ。 お酒は好きです。冷酒を美味しく呑む様になりました。量はあまり進みませんが、お食事をしながら 頂くのが好きです。最近は九州の麦焼酎を、ただの炭酸水で割って楽しんでいます。 |
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カラオケ | 酔うほどに他人の迷惑顧みず、マイクを離さなくなってしまう。「和田アキコ」「桂銀淑」「美空ひばり」 最近の歌は全く覚えられないが、たまには思いっきり唄ってみたいなー。 桂銀淑さん、ハスキーな声で雰囲気のある歌だったのに残念です。早く立ち直っていただいて お声が聞きたいです。最近はほとんどカラオケをする機会がないので、声が出ません。 たまに機会があっても男の人が歌っているような低音になってしまいました。 |
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好きな言葉 | ★親切という名のお節介、黙っている事の思い遣り。 ★馬には乗ってみよ、人には添ってみよ。 ★無我夢中 ★オンリーワン・ NHKでおなじみの手話講師丸山浩路先生の「オンリーワンの生き方」の講演は 感動した。 |
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茶の湯 | 私の若い頃は、手に職とか、芸は身を助けるといって、みなさんお稽古事に通っていた。 母が厳しく、無駄な時間を過ごすなと言われ、茶道、生花、お琴、編物、和裁、日本舞踊・・・ 不器用で創意工夫の無い私は人の何倍か努力をしないと身に付かないし、お金がかかった。 編物機械は叔母のお古の錘のついた旧式で、和裁の教材は小さい頃に着た四つ身の着物を 解いて洗い張りして調達し、お琴は頑張って練習して行くとハイよく出来ましたと、 今度はこれをと渡される譜面が月謝より高く、日本舞踊は先生から 「私は日本舞踊を教えているつもりで、ラジオ体操は教えていない」と言われたり、 それなりに一生懸命やってきたが、免許と看板が取得できたのは茶道と生花だけ。 取得したからと、どれほど生活に役立ってきたかわかりませんが、お花は自分で 咲かせた花々で家の中を飾り、お茶はたまには訪れてきた友人や姪達に 1服点ててあげると喜んでくれる。 茶釜でシンシンとお湯の沸き立つ音のことを松風と言いますが、静かに松風を聞き入っているのは本当に心が落ち着く。1服点てる時、沸き立っているお湯に水を注いだ一瞬 シーンと静まり返る・・・その瞬間もいいものです。 |
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感 謝 | このHPは全く個人的なもので、私からみなさんに発信できる情報は何も無い。 定年後海外旅行したり、温泉旅行したりと夢を描いていたが、家庭の事情で家を 空けられなくなり、人のせいにしてストレスを貯め、イライラしている自分を押さえるために、 始めたのです。自分のパソコンにあるソフトでどれだけ出来るか・・・ 作成している過程では苦労しながら結構楽しめた。 そうしている内に、自分を反省する事が出来ました。愚痴っている自分が恥ずかしくなったり、 平凡な生活ってこんなもんじゃないのかとね。 身の周りの状況を受け入れてゆく余裕みたいなものが、少しづつわかってきたかな? だからもしこのHPを読んで下さった方々には、無条件で感謝します。 母の介護も終わり、食べることの好きだった母が、固いものや熱いものが食べられなくなった ため、毎日やわらかい食事を時間をかけて作ってやったという満足感と、 もっとアーしてやればよかったコーしてやればよかったという後悔とが入り混じっていますが この年まで母が健康で側に居てくれた事を改めて感謝している。 2人の孫が(母からは曾孫)が常に大きい婆ちゃんと言って、母のベッドの側に寄って 話しかけてくれたり、何も食べられなくなってからは、好きだったコーヒーを香りを愉しむように 少し濃いめにし、少し甘めにし、綿棒に湿らせて舌の上にやり美味しいって聞くとかすかに うなずいてくれた。2人の孫が交代で口に運んでくれていた。こんなに素直に優しく育ててくれた 長男も吸引機で口の中を綺麗にしてくれ、気持ちが良いかいと言葉を掛けてくれていた。 素直に優しく育ててくれた長男夫婦に感謝するとともに、身内心を1つにして母を見送ることが 出来たことを心から感謝している。苦労の連続だった母もきっと喜んでくれただろうと・・・ 母の介護が終わって、ホットし気楽を楽しんでいましたが、主人の生死をさ迷う大病にあって 半年の1時間半かけての病院通い・・・奇跡が起こらない限りダメだといわれていましたが、奇跡が起き、退院することが出来ました。 仕事も、スポーツも100パセント出し切って活躍してきたので、未だ、その頃の自分に戻ろうと 努力をしています。好き嫌いが激しくて食事には苦労しますが70歳まで頑張って来たんだからと、感謝しています。 病に負けてしまっている主人を見ると、悲しくなりますが、悠々自適の生活と思って 残り少ない日々を大切に過ごそうと思う。 海外旅行も、あちこち行きました。 フランスのモンサンミッシェル・カンボジアのアンコールワット・ フインランドへオーロラを見に行ったり、バリ・中國・韓国・香港・シンガポール・マカオ 人生いろいろ、楽あれば苦あり 昭和・平成・今年は年号が変わります。 3代を生かしていただいて、良い人生だったと感謝の日々。 これからは、好きなことだけを、いいとこどりで、惨めったらしくなく、みずぼらしくなく お洒落を楽しんで、明る生活することを心に決めて日々を過ごそう。 |