◆ニコラ・ド・スタール試論◆Homeへもどる--> |
目次 |
第1章 はじめにどうも気になる画家がある。ニコラ・ド・スタールもその筆頭だ。なにが魅力なのか、なにに惹かれているのか。自分でもよく判らない。でも好きだということははっきりしている。
初めてニコラ・ド・スタールの絵画に触れたのは、日経新聞に4回連載された『美の故郷』(1996年7月7日から28日)である。連載のタイトルは『カモメになった男 ニコラ・ド・スタール』。ヘッダには次のように紹介されている。 具象絵画と抽象絵画のあいだの新しい道を模索した画家は、創造の真実を輝かせながら四十一歳の命を絶った。アトリエに残された「カモメ」の絵のように、鳥になって絵画空間を突き抜けたのか。 ゆっくりペースで、考え込みながら、ニコラ・ド・スタールに関して記してみたい。ただ系統だった記述は、資料も少なく難しい。お気に入りの絵に対する勝手な感想を述べるようなスタイルになると思う。 |
第2章 「カモメ」新聞連載で、始めに目に飛び込んだのは「カモメ」だった。なんだかとても暗い絵だと思った。そしてその暗さの根源は何だろう、と惹かれた。 飛び去るカモメが8羽。頭の姿は見えず、どのカモメも背をこちらに向けて飛び去る姿だ。自分から逃げていく印象だ。 1995年3月16日の夜、ニコラ・ド・スタールは南フランスのアンチープという町に構えていたアトリエのテラスから身を投げた。その死の3ヶ月前、友人に宛てた手紙に、「渦潮にに飛ぶカモメの群れと苦闘中」と書いていたそうだ。 そうか、渦潮なのか。地中海に面したこのアンチープから見える海は、きっと穏やかで暖かく深い青を湛えていると想像していた。でも、「カモメ」に描かれた海の色は、雪さえ降っているのではと思わせるほど灰色もしくは白だ。しかも激しく渦巻いている海が背景なのだ。単にアトリエから眺められる穏やかでやさしい海をモチーフにして、絵と格闘していたのではなかった。 この暗さの根源は何か。ニコラ・ド・スタールを初めに見出した画商ジャンヌ・ビュシェの画廊を引き継いだジャン=フランソワ・ジャジェール氏の回想では、死ぬ8日前ニコラ・ド・スタールに会い、彼はひどく落ち込み、僕は失ってしまった、もうなにをしたらいいのかわからない、などと語ったとされる。 ニコラ・ド・スタールは、やはり何かを失い、あるいは失ったと思い詰め、その焦燥の中で身を投げた、というのが本当のところらしい。ならば、その焦燥とは何なのだろう。「カモメ」を見る限り、その表現力の卓越さ、心理描写から、絵画に関する何かを失ったというふうには思えない。カモメと格闘中と表現したのは、己から飛び去る何ものかを失うまいとする緊張感だったのだろうか。 |