弥太夫メモ 詩 2005年 文学賞 落選記 (注記) |
2.選考過程と落選、批評 長野日報主催、第15回長野文学賞への応募締め切りは、2005年6月15日だった。ジャンルは、小説、詩、随筆、評論の4つである。 文学賞に応募するというよりは、ふと力試しくらいの軽い気持ちで、以前書いた詩を少し手直し、詩部門に応募した。あまりこの賞のことも知らず、態度が安易だった。これがのちのち後悔することになっていく。最終段階に至り、こんな詩に対する気楽な姿勢があとで鋭く批評されてしまう結果となった。
応募からひと月あまり、7月15日付けの新聞が、郵送されてきた。何だろうとめくって見たら、文学賞の108作品が1次選考をを通過とある。 8月5日付けの新聞が、再び郵送されてきた。文学賞の記事かなと思い読んでみると、2次選考26作品が通過とある。詩部門では8点が残る。ここにまた自分の名前が残っていた。 にわかに緊張感が出てきた。こんなもので残っていいのかなという気持ち。それから次の最終選考でひょっとしたら入選するのかなという気持ち。期待と不安感が徐々に広がってきた。最終選考会は9月30日にとあるホテルにて開催され、11月1日発表の予定とある。9月30日。何もおきなかった。 11月1日。文学賞発表。やはり新聞が送られてきた。しかし今度は自分の名前はなかった。ホッとするような残念なような気持ち。最終選考過程の解説文があった。 選考方法は、各部門で二点づつ挙げてもらい絞り込むというもの。詩に関しては、昨年度部門賞を取ったT氏『おととい・・・』が入賞、そしてすでに詩集3冊を世に出しているG氏『ぐれる・・・』が部門賞となったとある。ほかに、S氏『蝉・・・』のテーマの重さや、Y(わたくし)の『風にのせて』のさわやかさも話題に挙がった、と補足の文章があった。 ダメだったねとわかってから、急速に気持ちが萎えていくのを感じた。しかし、少しは話題になったのだからよしとするか・・・ 後日、律儀にも新聞社から作品掲載された11月12日付け新聞が送られてきた。受賞作品はどんなものなんだろう。 妻から「アナタのことも出てるわよ」と言われ、もう一度よく読んでみた。すると最終選考委員4名の選評が下段に掲載され、自分の作品の批評が出ている。ドキッとした。 まず詩人のI氏の選評。入賞作、部門賞作に言及したあと、 『ほかに、もう一遍上げるとすれば「風にのせて」(Y:わたくし)。パソコンのインターネットを題材にした今日的なもので、機械を介在させながらも温かみのある”妻恋”の詩に仕上がっている。若干線が細く、「ぐれる・・・」のように言葉に身が乗っておらず、ふらっと書いた印象だが、さわやかで好感が持てたことも事実だ』 信州文芸誌協会会長のK氏の選評。入賞作のTさんの作品について言及したあと、 『 T作品同様に導入部が見事なY(わたくし)「風にのせて」、・・・と皆よかったが、そんな中で、詩としての完成度でT作品と、「ぐれる・・・」、内容の深さで「蝉・・・」を推した。』 今回初めてこのような賞に応募してみたのだが、指摘されたようにフラッと出した姿勢は否めない。そこまで読み取られてしまうとは恐ろしいものである。入賞、受賞された方は、同人として研鑽を積まれた方であったり長年投稿するという努力をされている。いわば他流試合を重ねてきた人たちである。落選も致し方なしと納得した。いただいた批評を糧にして詩に向き合ってみようと思いを新たにした。 2.応募作品 「風にのせて」
デスクのパソコンから インターネットの 目の前には 緑と茶に塗りわけられた 予報では 雪を頂いた山の斜面から 田園風景のはるか遠くで 今日は寒いか あぜ道を散歩するとき (2005/06/15) (注記)新聞発表された記事を元に、本ページを作成いたしました。その際、自分以外の他の作品、作者の名前は、伏せさせていただきました。何か問題ありましたら、ご連絡お願いいたします。 |