そして日々の...

May 2004

目次

May 28:今日の一日
May 21:僕たちの戦う相手は...
May 18:開設から3ヶ月余り
May 11:『莫妄想』
May 10:究極の受動性
May 08:写実画
May 05:線を描き、色を塗る

Home

May 28: 今日の一日

東京から長野県駒ヶ根市の隣村の宮田村へ出張した。
出向いた先は、もと居た職場で、みな仲間内のようなものだ。
緊張感があるはずもない。
まして自宅が近い。東京で勤務しているときより、
どれだけリラックスしているか判らない。

東京から駒ヶ根に帰ってくると、植物の香りがする。
天気の好いときは草の蒸れるような香りだ。
湿度も充分に満ちていて、やはり日本は東南アジアの
一地域だったと気付かされる。
水平方向に新緑のじゅうたんが広がり、
針葉樹の深い緑の森がアクセントとなって点在する。

お金を出しても買えない自然が
当たり前にそこにある。
長く住んでいると気付かないのだけれど、
こんなことに気付くのも2住生活のゆえだろうか。

Page Top
Home

May 21: 僕たちの戦う相手は...

僕たちの戦う相手は、自分の心の中の
意地悪、嫉妬、やっかみ、など心の弱さだと思う。
もうこれは、古今東西、間違いないところだと思う。

心の弱さに囚われたとき、
どれほど無益な争いが起きたことか。
相手が傷つき、本人が苦しむ。
そんな無駄なことはやめたいものだ。

人との争いの結果、平和になり
幸せになるということがあっただろうか。
「正義の裁判」で勝利しても、
金銭的にも精神的にもボロボロになることのほうが
多いのではないだろうか。

自分の感覚に正直に、自分が幸福だなと
感ずる瞬間を思い起こしてみたいと思う。

仏陀の語られた言葉の重さを
思わずにはいられない。

Page Top
Home

May 18: 開設から3ヶ月余り

表題だけのホームページをアップして、
遊び心でWEBサイトを作リ始めて、早や3ヶ月余りたった。
今月からはひとり東京勤務に戻り、
「逆単身赴任」生活(いわゆる逆単)を始めた。
したがってコンテンツ更新作業も週末のみとなった。
(この事態は何とかせにゃー。。。)

昨年末の年賀状作りから足を踏み入れたこの世界。
この過程で本当に多くのことを学んだ。
特に、パソコン、ポケコン、計算尺と、計算ツール世界を
渉猟している職場後輩の 畏友に負うところが大きい。

この3ヶ月の短い期間に、WEBデザインの面白さ
を垣間見ることができたことは収穫だった。
さらに自分にとって意味深かったのは、『自分の売りは何?』
ということをいつも意識する習慣がついたことだ。

むろんWEBサイトには、『言いたいホーダイ、書きたいホーダイ』
というスタイルもあるけれども、公開して他人の眼に触れる以上、
自分のサイトのコンテンツを冷静に見つめるプレッシャーを
与えてくれたと思う。
このような機会は、普通自分からは求めないものだ。

まして定年というキーワードがチラチラ脳裏を過ぎる日々の
わたくし弥太夫としては、自分の資産棚卸の作業とダブっている。
いろいろ言ってもサラリーマン生活ウン十年ともなると、
霞のように『カイシャ』存在が、心の中に巣食ってしまい、
自分でコトを起こすということが出来にくくなる。

いったい自分は何者で、何ができるの?
WEBサイトは静かに問いかけてくる。

Page Top
Home

May 11: 『莫妄想』

脳細胞の活動の大半を、妄想を湧きおこらせるために使い、
起きた妄想により自分の苦しみの種を作るとしたら、
まったく人の一生とはいったい何のためなのか、
と言いたくなる。

しかしながら少しでも自分の内を内省すると、
妄想と呼ぶべきモノがゴロゴロしていて、
あきれ果てるばかりだ。
振り返ってなぜあんなことをしてしまったのか、
自分でも理解できないというような行動は、
妄想の中に呑み込まれて訳が分らなくなった所作だ。
妄想、恐るべし。

Page Top
Home

May 10: 究極の受動性

言葉あるいは観念の世界と現実。
この二つの世界のギャップに、はさまれている自分。
観念が指し示すあるべき世界が、実在を決定していくのか、
現実に自らが置かれているこの世界だけが実在なのか、
そんな議論は蒸し返さない。

自分が生き、置かれている現在の状況、
それが不当なものであれ望まないものであれ、
そこにしか自分のベースとなる地盤はない、
という思いが強い。
もっと言えば、不当だという認識そのものが
本来不要なヒラヒラしたものかも知れない、と。

そんな思いを行ったり来たりしながら、
思い起こすのは、昔の知者の言葉。
「いきながら死人(しびと)となりてなりはてて
おもひのままにするわざぞよき」
至道無難禅師・道歌より

Page Top
Home

May 08: 写実画

「そういえば昔、絵を写実的に描くことで悩んでいたな」と、
喫茶店で会話しながら、改めて若い頃のことを思い出した。

学校の美術の授業では『絵が上手』とは
『ホンモノそっくりに描ける』ことだったような気がする。
非常に分かりやすい基準だと思う。
絵がホンモノに似ているかどうか判断するのは、
たぶん誰でもできる。
芸術を鑑賞して価値を云々するよりは容易に思える。

その基準をどこまでも押し通していくと、
絵の最終地点は『写真』に到達してしまう。
写真こそ、究極の写実画ではないか?
ならば写実的という基準でいえば、
絵は不完全な写真に過ぎないのか?
結構、若い頃悩んだ問題だった。

関連して思い出すのは、
『美』の問題だった。つまり、
絵は何をテーマにするものなんだろうという思いだ。
(こんな純粋だった頃があったんだねぇ。。。)

ウン十年も昔のこれら疑問に関して、
今の自分が回答するとすれば
『表現者』が主役になっていなかった、と思う。
その代わり対象物が『主役』になってしまい、
『表現者』が対象物に隷属する関係と言ったら良いのか。

対象から受ける感動は、表現者のモノである。
これが主役(=エンジン)となって絵画が描かれ、
作曲がなされるのだと思う。
これが創作というプロセスに相当する。

したがって感動のないものは、表現にはならない。
写実的に写し取る技量は(これも別の意味で大切なんだけど)、
これだけでは絵は描けない。
対象を記録するだけの写真は、芸術にならない。

学校の中で美術を授業として教える困難さを思う。

Page Top
Home

May 05: 線を描き、色を塗る

日本画家の千住博さんが、大徳寺聚光院別院の
ふすま絵77枚を完成させた。その製作過程7年間を追った
NHKドキュメンタリ番組を、一昨日見た。

墨絵で描かれた滝の迫力は素晴らしいものだが、
それとは別の感銘を2つ受けた。そのうちのひとつは
千住さんが言葉少なく語られていた言葉だ。

ニューヨークにアトリエを構えている千住さんは、
ふすま絵の製作途上で、あの同時多発テロ9.11に遭遇する。
グラウンドゼロの周りでは、価値あるものが崩壊するという
無力感と猜疑心が蔓延したという。
千住さんも筆が止まり、絵が描けなくなった。
アトリエのふすま絵は、裏向きに伏せられた。

『1千年後までもつ絵を製作しようとしているが、
ひょっとして後世からは評価されずに、
歴史に埋もれてしまうのかも知れない。
自分は思い違いをしているのではないか。。。』
という趣旨のことを口にされていた。

やがて絵を描く自信を取り戻される。
当時を振り返り、こう述べられている。
『一瞬だったが、自分の絵が信じられない時があった。
しかし、自分はこの道でいくという決心がついて、
再び描けるようになった』(注)

画家や作家は、歴史という大きなものの評価を受ける。
多くの人々の眼と悠久の時間が重なる大きな評価だ。
あらかじめ決められた評価基準があり、
それを前提に製作するわけではない。

ペンを走らせるとき、選んだ絵の具を紙に載せるとき、
その色で良いのか、その線が正しいのか、誰にも分らない。
秀作になるはずの絵を、たった今駄目にしているかも知れない。
そもそも、構想自体が見当はずれかもしれない。

そんな惧れは常にある。
ネガティブな思いは、宿命とも言える。
しかし自分以外の誰が答えを出してくれるだろう?
自分を信ずるところから答えを導くしかないのだ。

行動規範は企業や上司から与えられ、
それに沿って行動するサラリーマンと
決定的に異なるのは、こんなところかも知れない。

(注)千住さんの発言を正確にメモしたわけではないので、
言葉が違っているかもしれません。
またこちらの受け取り方がご本人の発言の趣旨と
異なっている可能性があります。

Page Top
Home