ここに記した内容は、個人的な絵画への思いを綴っています
内容は、弥太夫の胸のうち(基準)に合っていて正直に書いています
しかし、誰に対しても役に立つとは言えないようにも思います
美とはそんな性質のもので、絵を描くとは個人的な営みなのです
ですから、ここに記したことの1,000分の1、いや10,000分の1でも、
絵を描くヒントを感じていただければ、とてもうれしいことです
自分では意識していなかったが、けっこう線の描き方にこだわっている自分がいることに気づく。 線は生き生きとしていなければいけないと頑なに思っている。 なぞった線は、どれが自分の表現したいホンモノの線なのかハッキリしない分、弱いと思う。 一番いいのは、一発でためらうことなく決めた線。これほど強く感動を呼ぶものはない。
ダ・ヴィンチが描いた下絵のペン画や、ラファエロのデッサンの線、エゴン・シーレの病的な線、 どれもが個性を持ちながら強い。生き生きとした魅力を持つ。
部屋には、エゴン・シーレの鉛筆画のリトグラフ複製が飾ってある。 ちょっと高価だったが、線の魅力には勝てなかった。たった一本の線で描いた裸婦像が、美術史に残っているとは、 線はそれほど重要な意味を持っている。
(2007/08/23)
風景に出合って、ああいいなぁと思う。でもたいてい何がいいと感じさせているのか、 どんなところに反応したのかは、自分でもハッキリしない。すべてを意識するなんてとてもできない。 美を感じる瞬間は、頭で理由を探るなんてとても追いつかないと思う。 でもハッキリしていないのだけれど、どこかがピンと来ている。 風景の美の世界に没入する扉の前に立ったのだと思う。
この扉が見つからないときは苦しい。とても苦しい。 だから何かを感じた時には、 そこへ入っていかなければならないと思う。 手を動かして紙の上にとにかく一本の線を描くのだ。 扉が閉まらないうちに扉を押し開けてその先へ入っていく。 何に感動したのかが自分でわかるまで どんどん線を加えていく。
うまくいくのかって?それはわからない。でもうまくいけば、描いた線や絵画を眺めるとき、 扉の前に立ったときの美の感動がそこにあることを感じることだろう。
(2007/08/22)
風景を前にして、鉛筆ではじめの一本の線をひくときに、
これはうまくかけるな、と分かるときがある。 この感じは不思議と当たっていて、
手の動きが違うような気がする。この背景として、
以前は、手が自然に動くからだと思っていた。
でもその前にもうひとつの段階があるのじゃないかと思うようになった。
絵を描きに出掛けるときから、 それは始まっている。気分が高揚している。
そして風景の語りかけを感じ、足が止まる。
すでにこのときから一本の線の描きだしが始まっている気がする。
今日は描けないのじゃないかという恐れが、そこには介在しない気がする。
(2006/11/20)
絵は楽しければよい、と本当に思う。色を楽しみ、線を楽しみ、配置とコントラストを楽しむ。
逆いえば、そういう側面を持たない絵画はいくら精密に丹念に描かれていても、
あるいは大変な努力の結果生まれた作品でも、見たい、欲しい、買いたいと思うことはないのだと思う。
少ない線でアッサリ描かれた作品が、見飽きないことがある。線の一本一本が楽しめるからだと思う。
あるいは何か描かれたものか分からないのだけれど、とってもいい色が使われている抽象画。
それだけで充分意味を発揮していると思う。
(2006/10/24)
現場で描くことの意味は、実物の色や形を写し取るためではない(と思う)。
しかし小学校の図工の時間や美術に時間では、 ホンモノそっくりにかけるとよい点が取れる。
うまいと言われる。でもそれは、よく観察し、絵の具に置き換えてうまく構成できたという
ことでありそれ以上ではない。
それなら写真を撮ればいい(と思うことがある)。忠実に写しとる技量の競争をすることが、
美を表現することに通じるとは思われない。
美とはなにか?美しいと感じているそのものは何か?
たとえ風景を描いていても、そこに焦点を当てるべきだろう(と思う)。
(2006/10/20)
描くからにはテーマがある。それから描きたい動機がある。それらを見失わないようにする。 描いている途中で、気移りがして別のことに熱中してしまうことがよくある。 でもこれは余りうまく行ったことがない。 一貫して描きたいものを忘れずに、その動機を維持できたとき、 本当に集中して描いたなという実感がある。 またどこで筆を置くべきかが、自然に判断できる。
(2006/10/18)
自分は、風景画を描く際に、必ず現場でスケッチする。風景が発散しているインスピレーションを感じないと、 気分が乗って来ない。 乗って来ない時は、描き続けることすら飽きてしまう。
(2006/10/17)
自分の手を疑いながら、いい線が引けることはない。ためらいがあったり、なぞったり、
自信のない線はすぐに分かる。 描くなら思い切って、自分はなんてうまいんだと陶酔するくらいに描く。
勢いのある線というものが存在する。
手が自然に線を描くくらい、乗りまくっているときが最高だ。
(2006/10/17)