66年ぶりの「戦地からのたより」

伊那村報を見て考える>連載31回

(NO1) 《 戦争のない・平和な世界をめざして 》

〔はじめに

 1987年6月(s62)、ある人から『戦前に発行された「伊那村報」(昭和13年〜15年10月)を保存してある』という話を聞き見せてもらいました。    <伊那村・現駒ヶ根市東伊那>

 読んでいくうちに「これは大変だ」と強く心に感じるものが次から次と出てきました。

 私が生まれたのは、昭和16年(1941)で、太平洋戦争のはじまった年です。それまで、日本が戦争に本格的にかかわるのは、太平洋戦争の12月8日の真珠湾攻撃からと大まかにつかんでいました。

 ところが「村報」を読むと、昭和13年には本格的に戦争状態であり、「村報」は、その“侵略戦争”をおしすすめるための、思想的、物質的な「道具」の役割を担っていたことが明らかではありませんか。

 1931年(s6)満州の奉天郊外でおきた鉄道爆破事件(柳条湖事件)から「満州事変」・日本の中国への侵略戦争がはじまりました。

 満州事変から太平洋戦争終結までの、15年戦争のはじまりです。

 さらに「一発の銃声から戦争へ・・」と発展した(蘆溝橋(ろこうきょう)事件)から「支那事変」がおきたのは昭和12年で、その年の12月には“南京大虐殺”をひきおこしました。今から67年前のことです。

 こんにち、「南京大虐殺はまぼろし」とか、教科書からその「事実の記述を消す」とか、「日の丸・君が代」を強制するなど、次から次へと時代に逆行する世相もあります。

 さらに、憲法違反の自衛隊をイラクに派兵しました。

 自民党も公明党も、そして民主党も総選挙の「政権公約」で憲法改正をうちだしました。“平和憲法”を、“9条”を守らなければと思います。

 みんなで一緒に考えてみましょう。

☆次回予告・『昭和13年2月10日、北支にて』


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