66年ぶりの「戦地からのたより」 (NO2)<伊那村報を見て考える>連載31回 《 昭和13年2月10日、北支にて 》 伊那村報・第1号 昭和13年6月25日発行 ○ 井口秀隆君 最後の便り ☆戦線からの便り☆ 拝啓 長期応戦下における国家総動員、涙ぐましい銃後ご活動の程、ただ感激のほかありません。
●「村の日誌・5月分」
● 「謹んで英霊に哀悼の誠をささぐ」 「 6月4日突如として、出征奮闘中の2勇士戦死の公電に接し、直ちに村長、校長、兵事主任、書記、実家を見舞う。実に痛惜にたえずつつしんで哀悼の意を表する次第である。」 ・下平 武 君 5月27日、北支蘭封の戦闘にて名誉の戦死をとげられる。 ・福沢 孝一君 5月27日、北支蘭封の戦闘にて名誉の戦死をとげられる。 ○ 村報・第1号には、村長による「発刊の辞」 「 今やわが国は東洋永遠の和平を期せんがため、未曾有の国難に遭遇しており、まさに我々国民は、挙国一致、非常時局打開のため、まい進せざるべからざるは言をまたざる所であります。」 ○ 編集余録 「 戦はこれからだ!! 支那戦線はいよいよ拡大され、わが忠勇なる将兵の涙ぐましい奮闘により、いたるところ輝かしい戦蹟は、ただ感謝と感激のほかありません。 銃後産業戦線もいよいよ拡大され田植、春蚕、麦の取り入れ、田畑の除草等々、応召により労力の減った農村は、お互いの意気と努力で生産の維持、増産につとめねばなりません。そして微動だもせぬ銃後の状景を戦線の勇士に送り、後顧の憂いなからしめねばなりません。 お互いに本気でやりましょう。 ・・・編集室にて 蔦堂生 」 《Aのコメント》 発刊第1号から戦争まっさかり、戦場からの便りが村報に掲載される前に、戦死の報が・・そして遺骨が村に帰ってくる。別に、2名の戦死の公電が村役場に届く。・・・なんともむごたらしいありさまだ。 イラクへ自衛隊を派兵した。国民の多数は反対(国会では多数が賛成)、一刻も早く帰らせるために、みんなで力をあわせ頑張りたい。 イラク戦争を支持した国が、49と言うけれど、トンガやミクロネシアの人口5万人、10万人の国を入れてのこと。世界の人口62億人のうち、支持した国の人口は12億人、反対又は不支持の国の人口は50億人。 日本は、国際世論の“少数派”だ。 ☆次回予告・支那事変勃発1周年 |
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