66年ぶりの「戦地からのたより」 (NO7) <伊那村報を見て考える>連載31回 《 あゝ世紀の凱歌たからかに、万歳!武漢三鎮完全占領 》
● ☆戦線からの便り☆林武夫君より 拝復 先日は村報をご恵送下され、ありがたく受掌いたしました。これによって村内の行事、出来事が手に取るごとく見られ、ただただ感謝のほかはございません。 去る21日より我々最初の戦闘が開始され小兵も参加しました。 敵はトーチか、クリーク、山頂などにおって頑強に抵抗いたしましたが、勇敢なる友軍の機関銃砲にて撃退、また撃退戦闘が26日までつづき、待機の姿勢に入りました。 皆々様によろしくご伝言願います。まずは戦況ご一報まで。 早々 9月30日 中支にて 林武夫 銃後後援会 殿 ● ☆戦線からの便り☆大沼宇吉君より 拝啓 秋涼の候となりご一統さまには益々ご健勝のことと推察いたします。 聖戦すでに1年有余、光輝あるわが国威を中外に宣揚し、新たに歴史の1ページに記される我が帝国の万歳を皆様とともに祝福いたします。(中略) 故郷を船出して早3ヵ年の年暮厳然陣中にて、国境線を死守する時、この凡念は朝の霧のごとく消え、一死報国の念、勃然として湧き、眼前の敵陣を眺めつつ銃後のみなさまのご援助を更に深く感謝するしだいであります。 終わりに皆様方のご健勝をお祈り致します。 敬具 10月5日 北満にて 大沼宇吉 伊那村長 殿 ● あゝ世紀の凱歌高らかに、万歳!武漢三鎮・完全占領 轟(とどろく)は歓喜の萬ゝ歳 <主張> 大本営陸海軍部公表(10月27日午後6時30分) 我が軍は本27日午後5時30分、陸海軍協力し残敵を掃討し、武漢三鎮を完全に攻略せり。 待望の広報は発表された。敵の最大抗戦の本拠である第二の首都武漢三鎮の陥落をみたことは、まことに慶賀にたえない。 武漢三鎮がいかに枢要な地かは、「武漢三鎮を制するものは長江を制し、延ひて中原を制し得べし」の古語によって明である。 わが勇敢無比なる皇軍の進撃めざましく、世界戦史上不朽の戦果を収めたことは誠に恐懽感激にたえないしだいである。<中略> これによって事変の終結を期待することは絶対に許されない。 事変はまさに長期建設の新段階に入ったのである。 我々国民は「勝って兜の緒を締めて」新東亜建設に萬遺漏なきよう、ますます堅忍持久、粉骨砕身、御稜威緒をいただきつつ勇往邁進いたしたいと信ずる次第である。 ◎ 本村における祝捷行事<10月28日> 1、 広報発表と同時にサイレンにより一般へ周知し各戸国旗掲揚 2、祝捷記念式、煙火合図集合
3、ちょうちん行列 ラッパ隊、各団体旗、各団体長名誉職、小学校生徒、青年学校生徒、婦人会員、女青会員、男青会員、商工会員、消防組員、一般村民の順にて村内一巡。伊那森神社において万歳三唱解散す。 ●未曾有の人出にてすこぶる盛儀なりき。 編集余録 ● 秋・・歴史的聖戦遂行の銃後国民がいよいよ緊張すべき千載一遇の秋・・ 武漢三鎮も我有に帰し、皇軍の果敢なる勇戦に国民的感激の血潮はいやが上にも高鳴る。 ● 戦はこれからだ!! 長期建設の戦はこれからだ。国家総動員の秋、国民の覚悟こそ必要だ。 《Aのコメント》 第二の首都占領を祝い、翌日の10月28日午後7時から小学校庭で式があり、終了後、村内一巡のちょうちん行列を行なったという。 “未曾有の人出にて、すこぶる盛儀なりき”・・・というが、何人が参加したのか? 次回予告・昭和13年が暮れて、建設の新年が希望に満ちている |
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