66年ぶりの「戦地からのたより」

(NO8)<伊那村報を見て考える>連載31回

《 昭和13年が暮れて、建設の新年が希望に満ちている 》

  伊那村報・第7号 昭和13年12月10日発行

    戦線からの便り☆林茂男君より、

謹啓、天高く気清らかな好季となりました。北支も日を追って秋色濃かとなり、畑の麦が2、3寸に青々と成育し、すずめが和やかな秋光を浴びながら、喜々として軒場にとび回るさまを見て、そぞろに郷里の秋が思い出されます。

(中略)敵地杭州湾に力強い上陸の第一歩を印しましてより、歴史的な南京攻略までは、連日の進軍と戦闘に終始いたし、困苦欠乏の中にあらゆる苦難を克服し、南京城頭に凱歌を奏し、深い思い出を残して北支に転戦、警備に、討伐に、あるいはその他の国策遂行のため従軍いたしておりますが、幸いに心身ともに頑健かつ敵弾のもと、微傷だも負わず今日あるのは、銃後の皆々様の心からなる祈りと、涙ぐましきご援助のたまものと感謝しております。

いまや軍民一丸の偉大なる力は、ついに武漢三鎮を攻略し、覇気なお天をつくの勢いにて、陣中の我々もまた勇気百倍、士気ますます旺盛、軍務に励んでおります。

 この喜びを思うにつけても貴き(とうとき)戦没勇士、およびそのご遺族の方々のお心を推察申し上げ、ただ涙するのであります。

何かとご無沙汰いたしておりましたが、不悪をお許しくださるようお願い申し上げてお礼の便りとさせていただきます。 不一

       11月3日  北支陣中にて  林 茂男    銃後後援会御中

    戦線からの便り☆滝沢清人君より、

拝啓、時下いよいよ厳寒の候とあいなり候(そうろう)ところ、銃後皆々様はますますご健勝にて非常戦時下銃後のまもりに日夜ご尽力くださることを常に感謝いたしおり候。(中略) 私、お蔭様にてその後ますます頑健をもって、零下20余度の寒気の中に吹き襲う有名な砂塵もうもうたる蒙古嵐とたたかいつつ、今日は東に敗残兵討伐、明日は西に輸送、快速部隊の一員として東洋平和確立の聖戦に参加、微力ながらご奉公いたしております。

 ○月中旬より山西、娞遠両州にわたる○○次作戦が開始され、わが快速部隊も参加、各地に奮戦すること2ヶ月半、その間小兵も伝令任務の重任を帯びて出動、日頃皆様の御祈願のたまものにより無事○○日○○駐屯地に帰隊いたし、眠れぬままに戦友の寝息を聞きつつ○○戦の一部戦況をご報告申し上げ候。

 広東すでに落ち、世界に誇る武漢三鎮もまた攻略したことはご承知のごとく、支那広しで支那事変の前途はいまなお遼遠にして、各地にいる土匪や共産軍はわが皇軍をねらい良民を苦しめさながら昭和の戦国時代そのものにござ候。(中略)

 さらに軍を進めて各地に転戦、あるときは蒙古吹雪をつき、あるときは結氷河を渡り、砂漠を横切り、歴史は古きラマ寺にラマ僧とともに淡き故国の夢を結び、蒙古の家に馬糞の採暖で夜をあかし、我が身の変転に夢かと思うありさまに御座候。

 長々と愚筆をつらねども、これからますます任務に邁進いたすべき存念ですのでよろしくご指導くだされたく候。

 まずは向寒の節、故国の皆様ご健在のほどお祈り申し上げ候。おしくも起床の時間と相成り候。今日はこれにて拙き筆跡を止め申し候。

       昭和13年11月26日、午前6時記す。○○陣営にて  滝沢清人

     昭和13年を送る1面主張

年まさに暮れようとする。世紀の凱歌高らかな戦勝の13年を回顧すれば、ペンをとる手が感激に震える。

右にソ連をおさえ、左に英仏をにらんで蜿蜒えんえん2000キロの戦線に、300万の頑敵を撃破した皇軍の忠烈武勇!!みよ幾千里の新大陸に、新アジア建設の曙光が輝いている。

 目を欧州に転ずれば、敢然としてエチオピアを併呑したファショ・イタリーの勇姿、あるいはオーストリアを併合し、チェコを分割したるナチス・ドイツの颯爽たる姿が浮かぶ。

 現下の世界秩序は、英仏中心の資本主義的、利己主義的のものである。ソ連の共産主義とともに、この現存秩序を打破することこそ、新興国、日独伊の神聖なる同盟的任務である。我らに要するところは、勇気と団結である。

我らは、革新的建設のたえざる情熱に燃えて、新年とともにいよいよ世紀の大使命に向かって猛進することを、天地神明に誓いたてまつろう。

<銃後の話題投書

・ 希望を申し上げます。(1、2、略)3、村報は誠に結構。とくに戦地の便りをなるべく多くして下さい。また産業方面の参考もたくさん載せてください。婚姻や出生の名前記載は面白くない。「せんしょな話」になるのみです。( X より )

編集余録

武漢三鎮の陥落で、支那事変の関が原は過ぎたようだ。蒋介石は一の谷以後の平家に似たさすらいの身の上、自業自得とは言えしみじみと浮世のままならぬを感じているであろう。

だが、日本から見れば、蒋介石はソ連や英仏の番犬ぐらいのもの、本当の敵はやがて見参するであろうが、いつにても我に用意有り。
では明春また・・さようなら。


《Aのコメント》

 1937年(s12)の南京攻略の参加した人の便りは、私の近所の人である。生前にその時の話を聞きたかった。

 ファッショ・イタリ−、ナチス・ドイツと日本が同盟し、“革新的建設の情熱に燃えて猛進”するという。・・・その行き着く先は???・・・・・地獄だった。

次回予告・「春とはいえ、事変下を忘却すべからず」

戻る