66年ぶりの「戦地からのたより」

(NO9)<伊那村報を見て考える>連載31回

 《 春とはいえ、事変下を忘却すべからず 》

  伊那村報・第8号 昭和14年(1939)1月10日発行

    戦線からの便り☆小池吉左衛門君より、

(前略)、小生漢口の攻略と相呼応して○○河畔における揺動作戦参加し、続いて河北討伐戦を終わり、ただいま○○城の警備に任じています。

 現在連日の降雪にて真っ白く、河北特有の強風が吹いて氷点下の日が続いております。しかしながら我が軍の警備下に、温かくはぐくまれ軒頭に組まれた日の丸と、五色旗が実に平安なる住民の生活を示しておりません。しかもこの警備下をくぐって、入り込む敗残兵やスパイも相当多く、突然行われる我が軍の非常警戒網にかかり捕われる者数多く、決して安心できません。

 我々いつも支那人と接するに、必ず敵地に居るという観念を忘れたことはありません。(中略)

 小生、やがて異郷の地に、昭和14年の輝かしき太陽を拝するとき、戦線遠く万里のかなた祖国日本の空を眺め、はるかに躍進帝国の聖寿万歳を大声いたします。

 まずはお礼方々ご一報まで。 敬具

       12月25日  船引部隊  小池吉左衛門    銃後後援会長殿

◎ (エックス)氏へ申し上げます(銃後の話題・投書)

 結婚や出生の名前を見て、「せんしょな話」の種にするとは、あなたも余程「せんしょな閑人」と見える。我が大和民族が東亜の盟主となり、新大陸に発展するには、有為の同胞を1人でも多く必要とする。

 良い配偶者を得て結婚し、丈夫な子供を沢山産むことは、ただ単にめでたいばかりでなく、ある意味においては国策に順応し、国威を発揚するゆえんである。

 いま生まれいずる人々は、将来の日本帝国を雙肩に負い、あるいは軍国の母となる人々である。

 こんな大切な人々のことを、「せんしょな話題」にする人の気が知れぬ。夫婦に子なき程、不名誉なはずかしいことはない。

       暴言多謝  (銃後子福者)

編集余録

春とはいえ、事変下を忘却すべからず。一杯の屠蘇、一椀の餅を口にするにも、いまなお延々2000キロの戦線に幾多の困苦欠乏に耐えつつ、銃火の下、形ばかりの正月を迎える皇軍将士の身をしのばねばならぬ。
「 勝って家庭の緒ヲ締める」出征将士に対する心からなるお年玉は「銃後の完璧」でなくてはならぬ。

死後の勝利を得んとするものは、自分の性格と自分の心とを、建て直さなければならない。国をあげての長期建設の時局下、国民各自も自己建設に邁進だ。
世紀の大使命達成のため、日本ならびに日本人の昭和14年に栄光あれ。


《Aのコメント》

 子供を“産めよ増やせよ”、こどもは将来日本帝国を背負い、あるいは軍国の母となる人である!!・・・という。大和民族が東亜の盟主となり、新大陸に発展するには、1人でも多く必要とする。

 私は1941年(S16)生まれ、親はそんな気持ちで子供を産んだのだろうか。

次回予告・「日本精神発揚週間 2月5日〜2月11日」

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