66年ぶりの「戦地からのたより」

(NO11)<伊那村報を見て考える>連載31回

《 謹んで英霊に対し、哀悼の誠をささぐ 》

  伊那村報・第10号 昭和14年3月10日発行

謹んで英霊に対し、哀悼の誠をささぐ

陸軍工兵伍長   村上文人君     

2月27日午前3時50分、中支徳安において

戦傷死せらる

 2月28日午前9時、突如として、工兵伍長村上文人君戦傷死の悲報に接し驚愕、ただちに村長、校長、分会長代理、高栖兵事主任など留守宅を見舞う。

 まことに痛惜にたえず、謹んで哀悼の意を表す。

 時、あたかも予算に関する27日よりの村会継続審議中にて再開議冒頭、議長の発議により、村上文人君及びすでに今次事変に戦没せられし、五勇士の英霊に対し、慶弔の誠意を表してそのご冥福を祈るとともに、合わせて本村出身出征軍人諸君の武運長久を祈願するため1分間の黙祷をささぐ。

 村上文人君は、伊那耕地に生まれ、昭和12年1月10日現役兵として中野〇〇隊に入隊、昭和13年○月、中支へ出征、至誠一貫本領を発揮して活躍中、ついに護国の華と散る。雄々しくも痛ましききわみなり。

    戦線からの便り☆大沼知盛君より、

拝啓、時下余寒の候郷里ご一同様には益々ご壮健、銃後強化のためご奮闘のことと推察申し上げ候(そうろう)

現在我々の勤務地、北支〇〇に於いても、いまだ治安全からず、匪賊の蠢動多く、赤化宣伝ならびに鉄道その他の破壊による後方撹乱と、親日民衆の懐柔工作に狂奔しているが、これらの粛正討伐の徹底あるいはその他の方法により、これら匪賊も日々壊滅の状態に至り、なお宣撫班の活躍により、愛護村の樹立と民衆の親日観念の助長につとめており、帰順匪賊団も日々増加し来りしは、喜ばしき現象に御座候。

 以上のごとき状態なるも、この長期戦下においては、尚ますます銃後皆様と、第一線将兵との努力をより一層強化し、一日も早く東洋永遠の和平を目標に一段と拍車を加えるが目下の急務と被存候。

 まずは日頃の御撫音おわびとともに、御慰問に対しお礼申し上げ候。 敬具

       2月16日  米山部隊本部  大沼知盛  銃後後援会長殿

陸軍記念日 3月10日

天皇陛下の御稜威に感謝し

歴代神爾の御加護を感銘し

皇軍将兵の御奮闘を感謝す

護国の英霊に合掌

1分間黙祷

3月10日正午、サイレン合図

編集余録

戦時下陸軍記念日を再び迎え、感慨無量。感激は生命をゆり動かし、よみがえらせる力で、そこからのみ、新しい命が踊り出る。

誰にても、感激の刹那ほど、美しい時はない。感激のない人生は、沙漠である。

 国のため 戈とるすめら 益荒雄に 村の姿を送れ春風


《Aのコメント》

 支那事変開始1年半で戦死者すでに6名。太平洋戦争終結まで(15年戦争)に、伊那村だけで、さらに88名が戦死する。<5.1戸に1人の戦死、村民27.2人に1人が戦死>近隣町村で1番の戦死者である。これをどう考えたらいいのだろうか?

予告・「伊那村警防団・重大使命を帯びて結成」

戻る