66年ぶりの「戦地からのたより」

(NO14)<伊那村報を見て考える>連載31回

  伊那村報・第13号 昭和14年6月10日発行

《 ただ今の私は、早く卒業して、

     一人前の荒鷲として第一線に活躍したい 》

    戦線からの便り☆ 馬場将尋 君より、

拝啓、  (前略) 去る1日付けにて2等航空兵に進級しました。これも日ごとのご指導ご鞭撻の賜物と深く感謝いたしております。

 今後は皆様のご恩に報いるべく努力いたす覚悟なれば、尚一層の御指導のほど、お願い致します。

 ただ今の私たちの教務の様子を少しお知らせいたします。

 青々と敷きつめられた芝生の飛行場も、毎日の飛行日和に乾ききって「プロペラ」の風にて猛烈なる土煙にて、私たち練習生は日焼けした顔に土ぼこりを浴びて、目ばかりピカピカ光らせて、搭乗して操縦者として一番難しい離着陸、これも今では単独にてどんどんやっております。

 また、空中戦闘(卍戦)に宙返り、錐揉み(きりもみ)、垂直旋回、背面飛行と訓練いたしております。

 爆音高く「エンジン」も好調にて、安心して飛び立つことが出来ます。

 銀翼に日章も鮮やかに春霞に浮かべるのも、なんとも言われない気分に打たれます。この特殊飛行も今月中に単独を許される事と思います。

 それがすむと、編隊飛行、空中射撃、場外飛行、爆撃観測、列機航法と次々に訓練をするのであります。

 ただ今の私は、ただ早く卒業して、一人前の荒鷲として、第一線に活躍したい、その外に何もありません。

 そして、皆様のご厚恩の万分の一にも報いたいと一生懸命に努力いたして居ります。

 まずは御一報まで。   敬具

       5月7日  霞ヶ浦海軍航空隊  馬場将尋   伊那村役場御中

    戦線からの便り☆ 細田勳太郎 君より、

前略、本日は村報第12号の御贈送にあずかり有り難く厚くお礼申し上げます。相変わらぬ堅固な銃後のお守りと、熱誠あふるる御後援に対しましては、小生など軍務にある者の常に感謝感激にたえないところありまして、己が身に鞭打つのを感じます。いよいよ粉骨砕身軍務に邁進する覚悟でありましから、何卒倍舊のご指導ご鞭撻ご後援の程お願い申します。

 まずは乱筆にて失礼ながらお礼まで。            敬具

       5月15日 陸軍科学研究所医務室 細田勳太郎  伊那村役場御中

◎養兎(うさぎ)報国  ●第一線勇士の防寒服の資源

うさぎを1戸必ず6頭以上飼いましょう

編集余録

田圃の蛙が盛んに鳴いている。きたぞ!我々農村のしっかりやるときが。

(まゆ)もうんととれ、米もたくさんとれ、ウサギもたんと飼え。みんな一人残らず、心をひとつに力を合わせて、銃後は我々の意気でしっかり守ろう。

歓呼うずまく、旗の波にうづめられたあの校庭に、大久保橋のほとり、あの宮田駅頭に、勇士を送るとき「後は引き受けた。心配するな、しっかりやってこい」と送ったあの言葉!!我々は必ず実行せねばならぬ。

勇士に誓ったあの言葉を忘れてはならぬ。今こそ銃後をしっかり守ろう。

土の戦士、馬場謙君が御牧ヶ原で猛訓練を受けて4日に帰村。23日頃満州へ出発の由。土の戦士に幸あれ。


《Aのコメント》

 村報2面は、戦死者と兵事のページである

・ 支那事変における勲功により、勳8等白色桐葉章を授け賜ふ

故陸軍砲兵伍長    田村 正人

故陸軍歩兵上等兵   羽場半三郎

・ 故陸軍工兵伍長 村上文人君  御遺骨故山に無言の凱旋

・・・・・ にもかかわらず、「今こそ銃後をしっかり守ろう」である。

次回予告・「 支那事変勃発2周年記念 」

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