66年ぶりの「戦地からのたより」 (NO15)<伊那村報を見て考える>連載31回 伊那村報・第14号 昭和14年7月10日発行 《 支那事変勃発2周年記念 》銘記すべき7月7日!
●☆戦線からの便り☆新井 茂 君より、 拝啓、久しくご無音に打ちすぎ誠に申し訳ございません。(中略) 毎夜銃撃を耳にしており、時々は敗残兵や匪賊が夜襲してきます。 敵もなかなか元気が良いです。我々も討伐に参加いたしましたが、○里のかなたに高鳥谷山くらいな山が二重三重につながり、全部岩山で苔が生えています。その岩山に対陣して残敵掃討の命を受け、直ちに砲攻撃開始、と同時に敵の頭上には我が陸の荒鷲が低空飛行をなし、一弾一弾ごとに崩れ行く敵の姿を目前に見た時は胸が晴れました。 この敵や夜襲よりも、皇軍勇士を悩ます者はただひとつ、昼は蝿(はえ)、夜は蚊(か)の襲撃にて、一番手を焼いています。 鉄道沿線付近の部落の家々には日章旗と五色旗が掲げられており、一寸した町へ出れば、子供が元気よく「愛国行進曲」など歌っております。 日本の子供かと思ってよく見れば、支那の小児(シヤオハイ)です。我々の顔を見て「兵隊さん」と言って日本刀を握る可愛らしい小児たちに、キャラメルを出して「進上」というと、「謝々」といって頭をさげる。まるで内地にて秋季演習にでも出ているようです。(中略) 今後益々奮励してこの名誉を落とさないよう粉骨砕身軍人の本分を尽くす覚悟でございます。何卒倍奮のご指導とご厚誼のほどをお願い致します。 小額なれど小生小遣いの一部をお送りいたします。銃後奉公会費の一部のご使用下さらば誠に結構と思います。 まずはお礼方々平素のご無音お詫びと近況ご通知まで。 6月5日 北支桜井部隊 軍曹 新井 茂 伊那村長御中 ★天恩枯骨に遍あまねし、殊勲甲の栄誉に輝く。郷党のほこり下平曹長
支那事変における勲功により、功5級金鵄勲章ならびに年金350円、および勳7等青色桐葉章をさずけたまふ(7月6日発表) ◎ 一つの問題(産業組合) この頃、配給する物資がなくなったとの声を聞く。物資統制が強化されるにつれて、配給事業もいろいろと困難なもんだいを生んでいる。「農村の必要な物資である農機具、釘、針金など中々割り当てがこない組合なんか!」等の極論もある。 こうした非常時において、農村のための組合として真面目さを遺憾なく発揮して国策に協力しなくてはならない。 編集余録
「 このごろ配給する物資がなくなったとの声を聞く」という。村報の見出しは、 ●農機具割り当て ●大麦、小麦販売統制 ●粉、麦麺、原料不足により高騰 ●肥料の予約注文 ●養豚の出荷変更は受け付けず ・・・などなど。 8月1日に、「臨時国勢調査」をする。調査の目的と内容は、「消費または物の国勢調査」で、「衣食住に入用な品物が1年間にどれ位必要であるか」・・・だそうだ。 国民の食糧事情・・戦争と食料と国民の生活・・・どうなるのか???。 次回予告・「 立つ見れば 女なりけり 田草とり |
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