66年ぶりの「戦地からのたより」 (NO16)<伊那村報を見て考える>連載31回
《 立つ見れば 女なりけり 田草とり 》 編集余録
(前略)(中略) 2,3日前、破壊された重要な道路の修理にでて、我々数名が本隊より300メートルほど前進してしていた時、敵は100メートルくらいまで我々をひきつけて一斉射撃をしてきました。 我々は道路両側の下水に身をふせている間約1時間、敵は約○○にて、豆を炒るごとく打ちつつ、左前方50メートルのところに来たときには、駄目かと思いました。 敵は我々がわずかなので、捕虜にせんがために来たらしい。再び勇気を出して一斉に撃つ。幸いに俺の弾が支那兵に命中して倒れる。なお一名来たやつを戦友が倒し、敵も弱気を出して退却しました。 その日は無事帰りましたが、まったく泥で造った人間のようで、お互いに顔を見合わして笑いました。 まずは乱筆ながらお礼方々近況ご報知まで。 敬具 7月5日 小田部隊 寺沢政秋 銃後奉公会殿 軍人送迎・煙火打ち上げ廃止 ●国策上県下一斉(その筋の注意により) 《Aのコメント》 7月26日に行なわれた“徴兵検査成績”は、1、甲種合格10名。 2、第1乙種9名。 3、第2乙種7名。 4、丙種1名。 5、その他8名。 陸軍簡閲点呼、8月20日に本村小学校で、執行官・歩兵中佐、本村参会者28名。 本号にも村葬が上片桐村、飯島村、東春近村でおこなわれたと報じている。 最後のページには ♭♭“行けよ満州開拓民”♯♯ と満州開拓行進曲がのっており、行く末、結末を思うとやるせない。 次回予告・「 興亜奉公日・設定される 」 |
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