66年ぶりの「戦地からのたより」

(NO16)<伊那村報を見て考える>連載31回

  伊那村報・第15号 昭和14年8月10日発行

 《 立つ見れば 女なりけり 田草とり 》

編集余録

立つ見れば、女なりけり、田草とり

   なんのかんのと言う理屈はない。各人すべてただ一生懸命に猛働あるばかり、増収増産に励む涙ぐましい農村民の今日このごろの姿である。

支那事変もすでに2ヶ年、諸外国の眼は等しく我が国の一挙一動に集中され、この隙間につけ入らんとする、狗狼の気構えを示している。

   風雲ますます急を告げる満蒙国境線!、危機をはらむ日英東京会談!、米国の日米通商廃棄通告!、場合によっては日英通商廃棄も予想される。

    油断もすきもない世界の注視下にあるのだ。

    我らの覚悟が微動だもゆらいではならないゆえんである。


   
戦線からの便り☆ 寺沢政秋 君より

(前略)(中略) 2,3日前、破壊された重要な道路の修理にでて、我々数名が本隊より300メートルほど前進してしていた時、敵は100メートルくらいまで我々をひきつけて一斉射撃をしてきました。

 我々は道路両側の下水に身をふせている間約1時間、敵は約○○にて、豆を炒るごとく打ちつつ、左前方50メートルのところに来たときには、駄目かと思いました。

 敵は我々がわずかなので、捕虜にせんがために来たらしい。再び勇気を出して一斉に撃つ。幸いに俺の弾が支那兵に命中して倒れる。なお一名来たやつを戦友が倒し、敵も弱気を出して退却しました。

 その日は無事帰りましたが、まったく泥で造った人間のようで、お互いに顔を見合わして笑いました。

 まずは乱筆ながらお礼方々近況ご報知まで。   敬具

       7月5日  小田部隊  寺沢政秋   銃後奉公会殿

軍人送迎・煙火打ち上げ廃止 ●国策上県下一斉(その筋の注意により)

 《Aのコメント》

 7月26日に行なわれた“徴兵検査成績”は、1、甲種合格10名。 2、第1乙種9名。 3、第2乙種7名。 4、丙種1名。 5、その他8名。

 陸軍簡閲点呼、8月20日に本村小学校で、執行官・歩兵中佐、本村参会者28名。

 本号にも村葬が上片桐村、飯島村、東春近村でおこなわれたと報じている。

 最後のページには ♭♭“行けよ満州開拓民”♯♯ と満州開拓行進曲がのっており、行く末、結末を思うとやるせない。

次回予告・「 興亜奉公日・設定される 」

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