66年ぶりの「戦地からのたより」 (NO17)<伊那村報を見て考える>連載31回 伊那村報・第16号 昭和14年9月10日発行 《 興亜奉公日・設定される ・『毎月1日』 公私生活を刷新し、戦時態勢を期して 》 1、趣旨 当日村民は、戦場の労苦をしのび、皇国臣民として生活態度を反省して、自粛自戒し、これを日常生活のうえにに具現するとともに、興亜の大業を翼賛して一億一心奉公の誠を致し、強力日本建設に向かって邁進し、もって恒久実践の源泉たらしむる日となすものとす。 2、名称 興亜奉公日 3、毎月・・1日。昭和14年九月1日より実施。事変中これを継続する。 4、実行要目
◎ 一億一心 輝く勝利 ● ☆戦線からの便り☆ 馬場良一 君より、 拝啓、 作戦参加中とは申せ、長い間ご無沙汰いたしました。 光陰矢の如しとか、応召以来早や一ヵ年、ますますご奉公の念を深めております。 昨年十月は広東攻略戦に参加、今年2月は海南島へ、また6月上旬より○○部隊付きとして、広東より選ばれて作戦に参加し、南支沿岸封鎖攻略に転戦また転戦、元気ますます旺盛に努力いたしていますゆえご安心ください。 汕頭福州はじめ南支の沿岸を端から虱しらみつぶしに戦って行くことは男子の本懐と実に愉快です。真夏の南支の日光は想像以上に強く、体の皮は三日に一度は脱けますが、顔の皮だけは脱け替わらず、面の皮は厚くなるばかりにて閉口します。 われわれ舟艇隊は、なかなか困難なことも往々ありますが、作戦終了後、指揮官よりお褒めの言葉をいただいた時は、また格別の味のものでした。 当部隊は○○陸戦隊のため、次々と新作戦に向かいますゆえ、面白いことは沢山ありますが、詳しいお便りは出来ませんゆえご了解ください。 故郷のことは全くわからずおりますが、風の便りに、糸価良好とのこと喜んでいます。(中略) また出動、某作戦に向かいます。留守宅は二人の出征軍人を出し、いっそう銃後皆々様のご厚情を賜っていることと思いますが、何卒よろしくお願い申し上げます。 まずはご無沙汰おわび方々近況一報まで。 7月13日 台湾○○にて 馬場良一 伊那村長殿 ☆ 鍬くわの勇士からの便り☆ 馬場 謙 君より、 北満東安省密山県黒台、信濃村弁事所扱、連珠山訓練所内 8月25日着信 拝啓、暑き中にも朝夕の涼気に秋近きを感ずるようになりました。(中略) 当地に着きましてより約二ヶ月ほどにてまだごく浅い体験検分にて違った所もありましょうが当地の様子をお知らせいたします。 鉄道にて満州国に入りました。鉄道沿線の所々には先移住の移民団の家屋が点々と見え、線路近くに働いているものは、仕事の手を止め喜んで迎えてくれました。 天才的技能を持つと言う朝鮮人の水稲栽培を北満にも多数見られました。林口で、ある移民団の人が同乗し『全く拓務省の宣伝はうますぎるが、来た以上は男だ』という話を、連なる広い湿地、裸山、北満としては早いだろう出穂期の麦を眺めながら聞く。将来の農業経営開発を想像し、連なる裸山、氾濫するがままの河川湿地、草原を眺めるとき、植林、開田、排水、牧畜等全く我々日本人でなくてはならぬと思いました。 訓練所付近また当信濃村は満人の既開墾地に入ったのですから地力の衰えたところもありますが、作物は実際良く伸びます。肥えた高粱畑、玉ネギ、大豆、茄瓜類等の伸び方は想像以上でありました。しかし一般には満州人の耕作にはかないません。内地から送られてくる新聞雑誌に、満州が余り良く書いてありますので『そんな良い所なら俺も行きたい』・・などと言って笑います。 申すまでもなく、唯良い前には国家の捨石、苦労はかねての覚悟であらねばなりません。あまり良いと過信して来た農業に経験のないもの、あこがれていたものなどはホームシックになるようです。 広い未墾地満州はすべてが大和民族の移動を待っています。本日は盆の16日であります。また様子をお知らせします。 敬具 <この際・戦時10則>
10、このさいは我も一役経済戦 編集余録
毎月1回の戦時態勢化の「興亜奉公日」、そして「この際・戦時10則」。・・・ 満州開拓移民の現地からたよりがとどく。 『全く拓務省の宣伝はうますぎるが、来た以上は男だ』、 「満州が余り良く書いてありますので『そんな良い所なら俺も行きたい』・・などと言って笑います。」 「国家の捨石、苦労はかねての覚悟」 などの言葉がならび、いやな予感。 次回予告・『男心と秋の空』、『女心と冬日和』 |
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