66年ぶりの「戦地からのたより」

(NO20)<伊那村報を見て考える>連載31回

  伊那村報・第19号 昭和14年12月10日発行

《 春待つや さらにかぶとの 緒をしめて 》

編集余録

多事だった昭和14年、紀元2500年代の最後の年が、感激にみちて逝く。世界を睥睨して立つ躍進日本に、皇紀2600年の新しい御光がさしのぼる。

みなさまありがとうございました。

皇軍勇士諸君に謹んでお礼申し上げます。さらに銃後のみなさん、よく読んでくださいました。よく授けてくださいました。よく働いてくださいました。衷心より敬意を表します。

混沌たる世界に、新秩序を建設し、永遠の平和をあたえる日本、おお聖なる任務、光栄ある使命、いよいよ皇紀2600年になる。

  春待つや  更にかぶとの  緒をしめて

  賀状ただ  戦地の友へ  したたむる

◎国民精神総動員・・・・風潮刷新生活改善・・・・

一、時艱の克服一致団結

二、不動の精神困苦に耐えよ

三、協力一致銃後の固め

四、働け身のため、国のため

五、備えよ常にあらゆる力

六、弊習の打破、形より精神

七、工夫して物を生かせ

八、舶来品より国産品

九、無駄を省いて国力を培え

十、戦に勝ってもおごりに負けるな

   戦線からの便り☆ 石塚 五三 君より、

拝啓、 戦時体制下とは申せ、自然は相変わらず秋の訪れとなり、村皆々様にはご壮健にてお暮らしの由、何よりのことと存じます。

 このたびはご懇切なるご慰問たまわり、さっそく一同喜んで封を開き、出てくる一つ一つが皆々様の真心こもれる品と思えば、ただ感涙にむせぶばかりです。同僚が、「石塚の国は実際銃後が徹底している」と皆驚いているばかりです。

 丁度日曜日でしたから、早速、露天甲板へ羽子板を持ち出して、童心に帰り戦友とともに、なごやかな雰囲気を味わうことが出来ました。

 想えば7月、酷暑8月の盛夏も銀星またたき、万波躍り夜嵐渡る前甲板、短艇甲板の納涼の人影も、いつしかその姿を没し、時々は冷たさを感ずる初冬の候となりました。

 非常時局国民総動員の皇国海軍を背負って立つ、我らの任務や益々重大。来るべき艦隊行動を前にひかえ、緊裸一番、厳冬を克服し、勇戦奮闘の覚悟にございます。

 時節柄、村内皆々様のご健康を祈り、とりあえずご慰問お礼まで。

       11月12日  軍艦陸奥  石塚五三   銃後奉公会御中

来春・元旦の興亜奉公日

・奉祝の時間、午前9時。 ・小学校の拝賀式に参列、 ・各家庭では遥拝

  おゝ紀元2600年のお元旦、100年に1度のこのお元旦。

  聖戦第4年の初の奉公日、ウンと張り切って迎えましょう。

Aのコメント》

 見出しをとりあげよう。国民精神総動員。来春・元旦の興亜奉公日。完納!!11月の納税成績★銃後納税報国の至誠いよいよ完璧。戦没勇士の村葬・中沢村5名。昭和15年本村徴兵適齢者36名。帰還兵のみやげ物絶対廃止励行。全力を上げて国策に順応せる産業組合成績報告。麦の手入れ至急実施のこと。12月軍用うさぎ毛皮むき期日。火の用心・挙国一致資源の擁護!!火災防止は銃後のつとめ。

 ・・・・・ 小学校も、青年学校も、村の日誌も、興亜奉公日の神社参拝にはじまり、応召兵の神社での武運長久祈願祭まで、村民はどんな思いで過ごしていたのだろうか。

次回予告・「 紀元2600年を迎えて 」 

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