66年ぶりの「戦地からのたより」 (NO21)<伊那村報を見て考える>連載31回
《 紀元2600年を迎えて 》 皇威八紘に洽き聖戦下第4年、ならびに光輝ある「建国2600年」を迎えて、まず恭しく、聖寿の万歳、皇国の彌栄を寿ぎ奉り、我が忠勇なる皇軍将兵のご奮闘にたいし、無量の感謝をささげ、いよいよ武運長久をお祈りするしだいであります。 ああ、紀元2600年! 何たる光栄、何たる歓喜感激ぞや。 おお悠久幾千年、連綿たるわが国の歴史は、げに寶祚の隆えますこと天壌と窮りなきとともに、国力の伸張文化の発展も、また彊むところがないのであります。 いまや世界をあげて混乱苦悩のなかにあり、我が皇国も聖戦まさに半ばにして、到底一日の安逸だも許されぬのであります。 皇紀2600年の祝典は、今日この際は形式を簡潔にして精神に重きを置くことを忘れてはならぬと存じます。 すなわち、八紘一宇の大理想のもとに、新東亜建設の鴻業を翼賛し、奉らんことこそ、誠の奉祝と申すべきであります。 伊那村長 ○○○○ ● ☆戦線からの便り☆ 滝沢清人 君より、 賀 聖 戦 春 東亜永遠の平和をはかり、ひいては世界人類のため、聖戦の端を発してより早すでに第4年、時あたかも意義深き2600年の新春を、異郷内蒙古の陣中にて迎えたるは、一に銃後皆々様の日夜ご後援くださる賜物と感涙し、平素のご無音を謝し候。 事変の前途なお遼遠にして、飽くなき蒋介石政権いまなお第三国の援助を得て、出没極まりなき共産匪賊とむすび、我に最後まで抵抗しつつあるも、皇軍の向かう所敵なく、日章旗いたるところ城頭高くひるがえり、近く中央政府の樹立を見んとするとき、第一線にある我々将兵一同、益々困苦欠乏に耐え、堅忍持久もって、聖戦所期の目的達成に邁進することを期して、銃後皆々様のご健闘あらんことを新春の戦場より祈りつつ、つたなきペンを止め候。 紀元2600年 元旦 北支村野部隊 滝沢清人 銃後奉公会御中 <戦没勇士村葬・12月> 本村を代表して村長、助役会葬
編集余録
《Aのコメント》 ♭♭ 紀元は2600年・・♯♯ という歌を母が歌って聞かせてくれたことがある。○○二六男(ふむお)という人もいる。この年に生まれた人に、紀男、紀人、紀子などたくさんいる。その計算で行くと今年は紀元2664年である。今の日本人で“2664年が通じる人は何%いるのだろうか。 次回予告・「 雪が降った、待望の雪が降った 」 |
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