66年ぶりの「戦地からのたより」 (NO26)<伊那村報を見て考える>連載31回 伊那村報・第25号 昭和15年6月10日発行 《銘記せよ!7月7日・支那事変勃発3周年記念日》 @ 7月7日は各戸国旗掲揚 A 旭日礼拝 日の出の時刻を期し、各部落ごとに適当の場所に集合して礼拝すること。 B 戦没将兵の英霊追悼ならびに出征将兵の武運長久祈願の黙祷。(全国一斉) 当日正午サイレン合図、全村民は各々の在所において1分間の黙祷をささげること。
<国を守った傷兵護れ> ● ☆戦線からの便り☆ 今井竹徳 君より、 謹啓、意外なるご無沙汰いたしました。(中略) 麦も穂が出て農夫の姿も日増しに多く、田植もはじまっています。土地の村長に聞けば、米は二度作のようです。目下戦線は百度の暑さ、蚊もマラリヤも日増しに多く、夜間は蚊の討伐戦です。 3月30日に新政府も樹立されて、第一線までもはや治安は維持されて、平和を求める良民は農作についています。 早いこと警察学校までも出来ています。支那兵もなかなか勇敢なのがありまして、警備地近くまで来て勇敢なる射撃をしています。良民も人なれてきて、いまでは子供が「白地に赤く、日の丸そめて・・・」と遊びに来ています。 右乱筆乱文にて村報のお礼までに、まずは村民各位様ご健勝とご多幸を祈ります。 早々 5月3日 中支甘粕部隊 今井竹徳 伊那村長殿 紀元2600年記念 ・ 村内全戸、本運動に参加いたしましょう <簡易保険1戸1口増加、郵便年金1戸2600円以上達成 運動> ★ 聖戦完遂のために
◎ 簡易保険、郵便年金による御奉公
《 伊那村役場・伊那村郵便局 》 《Aのコメント》 戦争と「事変」のちがいは? 1920年にベルサイユ条約にもとづき設立された国際連盟は、歴史上はじめて国が戦争に訴える事を制限し、集団安全保障の仕組みを設けました。アメリカは設立を提唱しましたが加盟しませんでした。しかし、その規約には弱点や抜け穴があり、侵略戦争をふせげませんでした。
満州事変も、支那事変も日本が起こした戦争でしたが、宣戦布告をしておらず、“事変”といっていました。 次回予告・「いまだ遺憾の点少なからずの現状、徹底方策決定・興亜奉公日」 |
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