66年ぶりの「戦地からのたより」 (NO27)<伊那村報を見て考える>連載31回
《 いまだ遺憾の点少なからずの現状、
興亜奉公日徹底方策
2、「方針」 イ、能率増進 ロ、増産励行 ハ、節米実践 二、克巳生活 ホ、貯蓄実行 へ、勤勉力行 ● ☆戦線からの便り☆ 春日芳五郎 君より、 謹啓、意外のご無沙汰のみにて失礼の段、ひらにご容赦ください。 おかげさまにて、小生も元気旺盛、任務遂行に邁進しておりますから、何卒ご安心ください。 いまやここ北支も、皇軍の犠牲的奮闘により、日々に東洋平和が訪れています。広漠たる平原に働く支那農民のさまは、大陸的で珍しく、また内地農村を思い出させます。 いまに○○作戦も始まることでしょう。銃後の皆様によろしくお伝えください。まずはご無沙汰おわび方々近況報告まで。 最後に皆々様方のご健康をお祈り申し上げます。 敬具 6月26日 北支秋山部隊 春日芳五郎 銃後奉公会長殿 ◎ 協力一致、まず節米の実践へ ◎ なぜ節米をしなければならないのでしょうか?。その原因は、支那事変にともなう関係も多少はあるが、その最大原因は昨年の西日本および朝鮮の米産地が近年になき大干害が起こったため、米のいちじるしい減収であったことであります。 私ども国民は国の政策に呼応してまず節米第1、経済第2として、代用食混食励行などにより、いわゆる「米の食い延ばし」をいたし、国策に協力して食糧問題を解決しなければなりません。 むかし飢饉の年に小判をくわえて餓死した人があったとのこと「カネさえあれば」という考えを今こそ考え直さねばならぬ時だと思います。今や国をあげて節米運動の実践しましょう。 <編集余録>
《Aのコメント》 医療の薬品も底をつく、野山の宝・薬草を採取しよう・・・という記事がでてきた。 『 事変勃発以来医療薬品が底をついてきた。そこで薬草の栽培や採取が盛んになり、厚生省でも力を入れて積極的に奨励されるようになった。 中将湯の主原料「川弓」、健胃剤の「黄蓮」、下痢止めの「げんのしょうこ」、「あけび」「きささげ」が利尿剤、「またたび、いかりそう」が強壮剤となり、「唐辛子」が胃液分泌を促進し、「トウモロコシの毛」が利尿剤、どくだみ、ききょう等々野原にも薬草の数は多い。それらは盛夏の候に採取するがよい。 』 ・・・・・ 薬まで、野や山に頼るようになってきた。太平洋戦争開始の1941年12月まで、1年と5ヶ月前の事である。 次回予告・「いまだ白米を食べている者は、穀賊だ!」 |
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