9、おまけのページ <だれでもできる・手作り一品>
 H沖縄・宮古島の “ハイビスカス” 毎日花を咲かせよう


今年、露地に下ろしてから咲いた“ハイビスカス”(2005年7月4日)

 2003年1月、隣近所のグループで沖縄の南西諸島の9島めぐりへ行ってきました。
 宮古島の「東平安名岬」(あがりへんなさき)で、ハイビスカスの“枝”を2本(長さ20cm太さ15mm)買い、挿し木をしました。その年の6月に始めての花が咲き、去年は毎日のように次々と新しい花が咲きました。霜の来る前に家の中へいれ、1月に
我が家の居間で初めて咲いた “ハイビスカス”
(2003年6月18日)
なっても咲きました。今年も7月4日から咲きはじめ、10月9日までで88輪咲きました。明日も咲きます。蕾がいま15近くありますので、100以上咲くのは確実です。花の命は短くて、1日ですが見事なものです。

 20005年は、7月4日に咲き始め、冬には家の中に入れ、122輪目の最後の花が06年3月13日に咲きました。今年も5月になってから外に出し、いったん葉など落ちましたが、6月の中頃には、すでに花芽が11個ついております。
  また、大きくなった枝を剪定し、10本挿し木をしました。その内9本が芽をだし、順調に育っています。

 宮古島ではハイビスカスを、「アカバナ」、「仏相華(ぶっそうげ)」ともよんでいる。
  1 ブッソウゲ が和名です。 「沖縄植物目録」(1958年琉球生物学会)「沖縄教材植物図鑑」
  2 あかばな「方言ではアカバナー」。沖縄本島ではナーと伸ばし、宮古では伸ばさない。
  3 ハイビスカス・学名の1部がハイビスカスです。 
    hibiscus rosa- sinensis l ・インド原産で栽培品種で観賞用という意味。【武島さんの話】


◎八重山諸島・竹富島の “セイロンベンケイ草” も育てよう
 葉から芽をだし、根が出て、冬には、秋田の“竿灯”みたいな「提灯の花」が咲きます。
 現地では、真っ赤な花でしたが、温度差30度もある長野県伊那谷の冬(毎日零下7〜8度、時にはマイナス10度以下に)の室内では、ほんの少しピンクがかった花です。
 <苗がいっぱいあって困っています。欲しい人はメールをください。>


《 宮古群島のこと 》


○宮古島のこと<那覇から303km、ジェット機で35分> 太平洋戦争で、アメリカ軍は艦砲射撃だけでした。江戸時代には、高さ143cmの「人頭石」があり、身長がこれより高くなると税金を取られたそうです。 日本で唯一の地下ダムが2ヶ所あります。泡盛の・「菊の露」でも有名です。
○伊良部島と下地島のこと・・・宮古島の目と鼻の先に、2つの島がくっつくようにあり、伊良部島は渡り鳥のサシバの中継地でもある。下地島には、民間航空のパイロット訓練飛行場があり、たずねたときには大型航空機が“タッチ&ゴー”の訓練の真っ最中でした。
 今年3月、住民のたたかいで「下地島空港への自衛隊訓練および駐屯要請反対決議」が伊良部町議会で16対1で可決されました。

○武島玄正さんのこと・・・私の知人で宮古島出身。縁あって信州の女性と結婚して伊那谷の南箕輪村に在住。「宮古毎日新聞」をインターネットで毎日読むのが日課の“宮古島人”。本人は、『宮古島の出来事は、宮古島の誰よりもくわしい』・・・といっています。
 1935年生まれ、戦争中は宮崎県へ学童疎開。敗戦直後、中学1年の1学期の途中から長欠して台湾海峡での“密貿易”に従事? その後中学2年に編入。琉球大学卒業、農林省の林野庁に勤務。日本全国の三角点の上に立つのが趣味で大好き。
 自分の体験をもとに平和を語ります。なにより平和を求め、憲法改正を許さない・・・地元上伊那の高校から依頼されて、高校生に話をするなど元気に活動されています。

《 八重山群島のこと 》
○ 石垣島のこと<宮古島から133km、那覇から439km、ジェット機で25分>   
・石垣島の家畜市場で、明日は“「素牛もとうし生後15ヶ月位」のせり市”があり、今夜は八重山諸島の島々から何1000頭もが集まっていると言う。
  西表島の石原さんも牛を数頭連れてきており、ホテルに訪ねてきた。石原さんは、2年間ほどわたしたちの近所に奥さんと長男の3人で住み、今は両親と一緒に西表で生活している。
  「石原さんに会いに行こう」も今回の旅の目的の一つでした。西表のイノシシをわなで3頭とったこと。肉は“霜降り肉”で刺身で食べたこと。西表ヤマネコ、カンムリワシ、ハブ、台風のことなど話は尽きず夜中まで泡盛を酌み交わした。
 翌朝、竹富町の『竹富島』と『西表島』に向かうため、石垣港で待っていると、【竹富町の役場は→】と案内標識があるではないか。役場が、行政区域外にあるのは、日本でここだけだそうだ。

○ 竹富島のこと、水牛車で観光、沖縄八重山民謡の“安里屋ユンタ”の生家の前も通りました。
日本で一番西にあるお寺の一角に、民俗資料館があったのでのぞいてみました。文字を教えてもらえなかった時代、稲わらで記号を作り【むすび方で】記録に残していた・・・貴重な資料を見ました。住職は「長野県の妻籠宿や海野宿には、町並み保存で大変お世話になった」と好意をもって案内してくれました。“セイロンベンケイ草の葉”を買ったのはこの島です。

○西表島、由布島のこと石垣港から高速船で40分。台湾まで約150km。
  大原港に着き、観光バスでまず由布島へ。途中「西表ヤマネコをひかないように」の看板が何ヶ所もある。由布島が見えてきたところで突然バスが停車、何が起こったかとみれば、バスの前方をかめが横切っているので、渡りきるまで待っているのだ。石原さんの奥さんが待っていてくれた。4年ぶりの再会である。水牛車で海の浅瀬をわたる。さんしんで沖縄民謡を歌ってくれた。“安里屋ユンタ”をリクエストして一緒にうたった。なんともゆったりした、時間が止まってしまった瞬間でした。その後、仲間川を舟で10kmさかのぼり、サキシマスオウの木を見て遊覧。

  大原港には、セリから帰った石原さんも、奥さんと一緒に港にきてくれました。そのときに今日の市場での牛の値段の話しをしましたが、「まあ、まあだった」ということで、勝手な推測をして一頭30万円位かな?と思いましたが実際の事はわかりません。
石原さんの家は、古見小中学校の斜め前で「マナの店」の看板がありました。奥さんがパンなど焼いて販売しており、民宿もやっているそうだ。
  またの再会を約して西表島を後にしましたが、石原さん夫妻は、私たちの船が見えなくなるまで手を振って見送ってくれました。
  その後、テレビを見ていたら“自給自足”をテーマにした番組で、石原さんの家族が出ていました。モズクの料理、アロエの刺身など、まさに自然食、健康食満喫の生活が放映されていました。
八重山のお土産には、「国境の酒“花酒・どなん”60度(泡盛)」を買い宅配便で送りました。・・・沖縄県八重山郡与那国町の特産で、日本で一番アルコール度の高い酒だそうです。日本で最西端の島、台湾まで125km。

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