七久保煙友会とは

私たちは地域の皆様の協賛により活動しています。

 七久保煙友会も昭和56年発足以来現在まで、活動を継続してきました。 これも七久保区民の皆様始め近隣地域の皆様の心からのご支援の賜物と、 会員一同感謝しております。
特にアルプス煙火工業(株)様のご支援と会員のご家族皆様のご理解ご協力には 頭の下がる思いであります。
 またここまで活動を継続できた背景には、この会を発足 いただいた故 片桐道雄様はじめ6名の有志の、大きな努力があったからこそと 感謝しております。「心にのこる物を末永く」そして「金銭見返りのない仕事を 一生懸命」、この気持ちを会員一同心に命じ一層努力したいと決意を新たに してまいります。引き続き皆様の厚いご理解とご協力をよろしくお願いします。

                           七久保煙友会会員一同

七久保煙友会発足から今へ

 昭和52年、那須野煙火さんの火事から2・3年が過ぎ、まだその建物が残って いる頃まで逆のぼります。当時氏子総代の役についておられた高坂(酒店)さんが 三社祭の煙火の取りまとめをされておりました。この頃運転のできる氏子総代はまれで、 区内外を問わず一人だけでこつこつと一枚の紙にぎっしりと記録を残しながら寄付集めに 回られていました。

 ところが、その後「車の運転ができない」「乞食の真似はいやだ」 「区外からの寄付はいらない」と、三社合同祭煙火への思い入れが薄れたのか、寄付 集めをやめた為グランド内のスターマインのみという結果に至ってしまいました。このまま 「例年通り」が続けば、区外からの協力者からは見放され、七久保の花火祭りは消滅と いう最悪の事態に追いやられる事は誰もが予想できました。

 昭和56年、このままでは地域そのものの活性もそこねかねないと、危機感をもった有志が立ち上がり現煙友会の 発祥となる「祭典青年有志の会」が結成されました。当時は6名の会員で構成され、 現在でも七久保煙友会で活躍しているメンバーもいらっしゃいます。

 「祭典青年有志の会」最初の活動は、 初年度会長片桐さんを筆頭に氏子総代と折衝し、盛大な煙火を復活する事でした。後にも 三社の祭典分裂案が具体化したとき「分裂した地区の子供たちに今後永年庭花火を見る 事に負い目を持たせるつもりか」と会長がその事態を阻止しました。この行動の成果が 実り現在の三社合同祭での盛大な煙火奉納が定着しています、ただしこの影にはアルプス 煙火工業(株)様の絶大なる協力があったことも忘れてはなりません。
 この会は、昭和59年に「七久保煙友会」と改名しましたが、発足当時の会長の意思を 忘れることなく三社合同祭を中心に煙火への協力を続け、現在に至っています。

 後昭和61年に「会独自の行事」を残したい、という強い願望から思案した結果、第1回目の「大晦日 新春花火」を計画し「不景気風を花火で吹き飛ばせ!」をキャッチフレーズに27名の協賛 者と共に尺玉8発が正月の夜空を演出しました。大晦日新春花火も継続する中でその キャッチフレーズは「故郷の自慢できる、心に残るものを代々残して行きたい」とその大きな 目的と大きな夢を見つけ出すことができ、ついにこの大晦日新春花火は、継続30年を超える長寿イベントへと成長させていただきました。 昭和〜平成〜令和と3つの時代を歩み繋げてきたその力は、 この地七久保と地域の皆様、花火を応援いただく協賛者の皆様、そしてアルプス煙火工業(株)様という 多くの皆様に支えられていることに尽きます。
 この一つでも欠ければ、この小さな地域イベントを30年以上続けることは不可能です。 素晴らしい環境に恵まれたことに改めて感謝しております。