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取り組み


木挽き くらふてぃあ 山仕事 地域材家具展










木挽き


木挽き修業

 下でも紹介しているクラフトマンのためのイベント『くらふてぃあ 杜の市』というイベントを企画していました。
スタッフとして、 会場の企画をたて運営するかたわら、力を入れていたのが「木挽き」です。
会場を訪れたことのある方なら見たことがあると思います。 大きなノコギリ「大鋸(おが)」を使って、丸太を板に挽く作業です。
 木工屋と木挽き、とっても大事な間柄なのにほとんど知られていない関係です。 「木」を加工して家具を作るときに使う材料は基本的には「板」ですが、山にある木は丸太です。 この間を取り持つのが現在は「製材所」ですが、木工の歴史の大部分を支えてきたのは「木挽き」だったのです。 「木挽き」がいなければ家具はもちろん家だって建てられなかったのです。
戦前までは木挽きの存在はごく当たり前だったのに、現在木工にかかわる人たちは「浮世絵」の中の木挽きしか知らない人が多いし、 一般の消費者はほとんど知らないでしょう。
建築にしろ家具製作にしろ分業されてしまい、 自分の作業のことしか知らず知識が狭くなってきました。そこへ行くと「木挽き」は、山に立っている「樹」から、 家具に使われる「木」までの作業の流れのすべてに深くかかわり、木のことを一番良く知っていた人たちなのです。
木のことを良く知らなくては良い木工はできない。当たり前だけど、意識している木工関係者は少ないのです。
 自分の作業の中に木挽きを取り入られる機会は少ないが、毎年「くらふてぃあ 杜の市」で挽いた板は家具材として使っています。 「木挽き」のように、木に対して広い視野と知識を持つ木工屋になりたくて、 これからも木挽きの「親方」に指導を仰ぐ機会を持ちたいと思います。







木挽きの軌跡

飛騨・高山に杣と木挽きを尋ねて

 1.はじめに
  木を扱うことを生業とする者として、木を知りたいという欲求に駆られている。日々、木と向き合って研鑚するだけでは身に付かない、過去から営々と引き継がれてきた木に携わる者の技術に憧れる。特に、生きている木を見つづけ、機械に頼ることなく道具を使いこなして生の木と対峙し、「樹」を木材として生かす術を身に付けていた『杣や木挽き』の知恵、経験に少しでも近づきたい。 世界遺産の合掌造り民家をはじめとして杣や木挽きが腕を振るった古民家群の現存する飛騨・高山で、今どのようにして山と民家を守り続けているのか、その足跡を尋ねてみた。

 2.白川郷にて

@荻町合掌集落、合掌造り生活資料館

  当資料館の先代の当主は木挽きであった。当代の当主は大工であるために先代の仕事ぶりについて記憶していると思われるが、難聴により話を聞くことはできなかった。しかし、収蔵されている木挽きや杣の道具は質・量ともにすばらしく、先代の充実した仕事ぶりを窺わせる。特に鋸の種類は多種に渡り、白川郷の合掌造りを支えた道具にはまだ活力が感じられる。 また、仕事の流れに必要にして十分な道具がすべて揃っているが、惜しいことに道具の手入れに不可欠な「ヤスリ」が紛失してしまっている。 これらの小物は展示中に、ほとんどが盗難にあったということである。博物館に収蔵された断片的な「記録」とは違い、一人の職人の仕事ぶりを忠実に物語っている収蔵道具は、白川郷と「里の木」の関わり合いについて語りかけているようであった。 欲をいえば、一般の人が見てもその価値が分かるように展示の工夫がされれば、「世界遺産」を支えた職人技として多くの注目を集めるであろう。

A越中五箇山、岩瀬家住宅

  築年数は三百年以上といわれている五箇山最大の合掌造りの民家である。特筆すべきことに、民家であるにも関わらず一階が総ケヤキ造りになっている。当家が建築された当時、ケヤキは徳川幕府の「御止木」(伐ることを禁じられた木)であった可能性が高く、 また、通常使われるスギやヒノキ・アカマツと比べて伐採や出し(山から木材を搬出する)、木挽き製材などの作業においてもより多くの労力を必要とするなどの点から見て、 これだけの量と質のケヤキを使うことが許された「豪族・藤井長右衛門」の力の大きさが分かる。 藤井氏は加賀藩の「塩硝上煮役」で区域の塩硝を取りまとめ藩へ納入する役宅であったということから、当時貴重な爆薬の原料であった塩硝が藤井氏の力の源であったと考えられる。当地の木挽きは昭和の前半ごろまで現存していたが今日ではその痕跡を見ることはできなかった。 ただ、当代の岩瀬家当主の話で、子供のころに見た木挽きの作業風景の一つに、大人三人でやっと抱えられるほどの大木を立ち木のままで木挽きして 、 何枚もの分厚い板を取ったのを見たことがあるそうだ。立ち木のままで一体どうやって墨をかけたのであろうか。

 3.飛騨民族村にて

@杣小屋と木挽き小屋・リンバ

  当施設内に木挽きや杣が使っていた作業小屋を復元した建物がある。木挽き小屋には木挽きの作業台である「リンバ」が組んであり 、 作業の風景を窺い知ることができるようになっている。しかし、リンバでは 挽きかけの丸太が立て掛けてあるだけで、 予備知識のないものには木挽きの作業を想像することは困難な状況であった。 さらに、木挽きや杣の道具が離れたところにある別の建物内にぽつんと展示されており貴重な資料が死蔵されている。 当地には「飛騨郷土学会」がまとめた、杣と木挽きに関する資料が存在することを考えると展示に更なる工夫が望まれる。

A飛騨の里のくれへぎ職人

 高山市にある古民家の博物館「飛騨の里」に「旧中藪家」がある。この建物内で連日実演されているのが、山口末造氏の作業である 。当施設の板葺き屋根の修復に使用する板を作っている「くれへぎ職人」の山口氏は、飛騨地方で最後のくれへぎ職人であり、 信州から近江にかけての広範囲の板葺き屋根修復を生業とする専業の屋根職人である。くれへぎの方法は、クリの木を長さ二尺五寸に玉切り、 みかん割りにして焚き火で暖める。これを「万力」で板二枚から三枚分の厚みに粗取りし、さらに二分ほどの厚みに割って板にする。 ある程度板ができたところで「そばなた」で表面を整え、反りや捩れのあるものは先の鋭利な小鎌で部分的に切り目を入れて捩って平らな板にしてゆく。 実に見事で、話を聞きながら一時間ほど見とれていた。しかし、後継者がいないために、自分が居なくなった後の板葺きの素材として、 いたるところに小屋掛けして膨大な量の屋根板を確保している。

Bチョウナとハビロ

 飛騨の里に移設された建築物は建築年代や元の所在などが異なるために、建築構造や様式に違いが見られる。 この違いが本来の建築物に備わっていた特徴のままに保存されていれば問題ないが、一部の構造物に移築の際の修復作業によると見られる考証の間違いが見受けられた。 一例として、玄関の左右にチョウナで加工した柱とハビロで加工した柱が使われている。チョウナで加工した柱は見たところ新しいので移築の際に修復したものであろう。 ほとんどの場合に柱はハビロで加工する、少なくとも古民家で柱をチョウナで加工したものは見たことがない。 また、建築物の紹介文章に「大チョウナを使用して…」とあったが飛騨地方の杣と木挽きの調査文献には大チョウナという記述はない。 要するにチョウナとハビロの加工痕の区別がついていないのであろう。当施設に在籍している学芸員の方もこの点に関しては認識されていなかった。 ちなみに、チョウナはどこに行ってもチョウナだが、ハビロは白川郷では「ハブロ」と呼ばれていた。当施設ではハビロは「なべぶた」と記述してあった。

Cハビロ加工の床板

 丸太から板を切り出したのが木挽きである。ところが、飛騨の里にある建物の床板にハビロで表面を加工した板がわずかであるが使われていた。 また、玄関の上がりの踏み板が、表面は木挽きで側面はハビロで加工してあった。 板の側面をチョウナで加工することは考えられるがハビロの場合は道具の特性として具合が良くない。ましてや、薄い板の表面をハビロで加工することは素材の上に乗って加工するハビロでは考えられない 。 この件に関しては、高山市郷土館の学芸員の方に協力していただき、収蔵されている文献から推論であるが、それらしい理由を導き出した。
状況を整理すると、
・一枚の板で木挽きとハビロの加工痕が混在するということは、一本の丸太を加工するときに道具を使い分けていた。
・ハビロと木挽きの両方の技術をもった職人が存在した。・薄くなった板の表面をハビロで加工することは困難である。
・ハビロの加工痕のある板がごく稀である。
以上の点から考えると、はじめに、丸太をハビロで角材に加工し、それから木挽きで板を取っていったのではないだろうか。 この方法を用いれば上記の状況に説明がつく。板をはがして裏や側面を確認できれば検証が可能なのだが、重要文化財であるがゆえに個人ではこれ以上の検証はできない。 当地の木挽きや杣の加工技術を知る一つの端緒となりそうではあるのだが。


 4.高山市郷土館にて

 角材を加工する際に使用した道具を一般に「ハビロ」と称しているが、飛騨郷土学会の文献では「なべぶた」という名称を使っている。
さらに、このなべぶたは木を割るときに使うと記述されており、信州や白川郷におけるハビロ(ハブロ)の使われ方とまったく異なっている。
また、ハビロは各地の博物館・資料館においても木を割るときに使われていたと間違った考証をされていることがある。 上記の調査文献ではマサカリとハビロの使い方は異なるとしているが、現在ではその真偽を確かめる術はなく、 地域における道具の違いや呼称の違いが道具の考証に混乱をもたらしているようだ。

 5.まとめ

 飛騨・高山に木挽きと杣の足跡を尋ねてみたが、職人に会うことはできなかった。 長野県や岐阜県には木挽き職人が数人生存しているが飛騨・高山地方ではずいぶん以前に技術が消滅していた。 世界遺産の白川郷のある当地において、木挽きや杣にめぐり会うことは容易であるという先入観は脆くも崩れ去ってしまった。
  さらに、過去の木造構造物の建造に重要な役割を果たした木挽きと杣の技術考証が正確に記録されていないことは大変に残念なことである。 国や県指定の重要文化財であれば、しっかりとした加工技術の考証が必要であることは改めていうまでもない。 飛騨の里で唯一出会えた「くれへぎ職人」の山口氏の言葉が気にかかる。
「他の衆は早くに帰ってしまうがな、わたしは、夜の七時まで休みなしで板作りをしているから、わしが死んでもしばらくの間は、材料は大丈夫だ。 屋根に板を並べるのは素人でもできる。ただし、きれいにできるかどうかは分からないが。」
  施設内の学芸員の方に技術の保存について伺ったところでは、「専門外」という答えが返ってきた。





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くらふてぃあ 杜の市

 

「くらふてぃあ 杜の市」 手づくり工芸店in駒ヶ根は、私のほか数人の仲間が何気なく始めたイベントです。
当初は大それた構想などはなく、「ものつくりに取り組む者の発表の場」を提供しようと発案しました。
 ところが蓋を開けてみると、出店希望者は会場に収まりきらぬほどの応募が殺到し、来場していただくお客様は駐車場の容量を大幅に上回り、出店者には離れたスキー場の駐車場へ回ってもらわなければならぬほどの盛況振りとなりました。
 噂によれば、全国で開催されるクラフトイベントのトップクラスに位置付けている方々がいるとか。ありがたい反面、肩の荷が重過ぎると感じたこともありました。
 来場者も、新聞社の方の見立てでは「3万人から5万人くらい来ているのでは」ということで、全くの有志によるイベントとしては長野県下でも屈指の規模だったでしょう。そのため、素人が数人でやっているイベントとは思われていなかったようです。


 2002年Vol.6のご紹介

 開催前日の朝
 これから会場設営の準備に集まったスタッフとアルバイトの方々(写真左)。スタッフは仕事を休み、看護大の学生さんは授業の合間に協力してくれた。
 小雨が降りしきる中で、場所決めをしやすいように出店できる場所を区画して目印のテープを張る(写真右)。

 開場を待つ出店者の列
 100人ほどが入場を待って列を作っていたので、一斉に侵入して混乱が起きるのではないかと懸念したが、午後5時の開門では混乱も無く整然と目当ての場所に向かう姿に一安心。
この様子を見ていた地元の商店主は「どんな混乱がおきるのかと見物に来たんだけど、なんと落ちついた衆だ。これには驚いた。」としきりに感心していた。

 怒涛の来場者
 開催当日、午前10時の会場を待ちきれずに朝早くからお客さんが押し寄せ人ごみを掻き分けなければ歩けないほどだ。
土曜日の午前中は、お目当ての商品を手に入れようと早めに駆けつけるお客さんも多く、買い物袋を手に下げて品定めする目つきも真剣そのもの。

 変わったお店?
 くらふてぃあ杜の市は「手作り工芸市場」が売り物だが、楽しみはそれだけではない。
今回、初の試みとして飼い主に見捨てられた犬や猫に手を差し伸べてくれる里親を探す会に場所を提供した。
 犬や猫の扱いに関して、無知な人があまりにも多いために、不幸な運命を背負わされている犬や猫の数は想像を絶する。

 技を見せる その一
 ほんの一昔前までは手仕事が当たり前だったにもかかわらず、昔話の一ページのように思われている技術がある。
人為的に抑えられたエネルギー使用料によって成り立っている現在の機械加工に押されて、あっという間に姿を消されかけている技術だ。
第一回のくらふてぃあ杜の市から丸太を挽き続けている『木挽き』もそのひとつ。
一見お遊びの見世物のようだが、実はこの木挽きは私の生産活動の一環に位置する。この場で挽き出した板は、後日家具として社会に出る。
体験を申し出た多くの来場者の手で少しずつだが確実に木挽きされた板は、2日間で8枚に及んだ。

 技を見せる その二
 宮大工の大工道具を手掛ける鍛冶屋「舟弘」氏。
恐れ多くも伝統工芸士だ。
刃物の本場「新潟の与板」から工匠具の卸し問屋『太謙』と共にやって来て会場を盛り上げてくれる。
自ら打ち出した「槍カンナ」を巧みに使い、槍カンナ独特の鉋屑を生み出す。
この人の打った刃物が欲しくて会場を訪れる、プロの大工や木工屋も少なくない。



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山仕事 

木工屋と山仕事


 木工屋が山仕事をしていると金稼ぎのための「アルバイト」だと見られる。
確かに同じ木を扱う業種でありながら、一般的には木材の供給元と消費先といった関係以外に、仕事の上ではほとんど係わることはない。
しかし、木工を生業とする者として、「材木」を知るためには「山」にある状態の樹から知らなければ木工の本質に迫れないのではないかと思っている。
 他の仕事で例えれば、木材商から製品材といわれる板や角材を仕入れて家具を作るだけでは、切り身の魚だけを仕入れている「寿司屋」のようだ。
魚を知り尽くしてはじめて魚を使いこなす寿司職人になるのではないだろうか。
木工職人も木の素性をより知るために自ら山に入り、山の木を知り尽くした樵の知識を身につけて木を生き物として扱えるようになれば、さらに優れた物つくりができるようになるのではないだろうかと考えています。

高所作業

 ケヤキの枝が張り出して屋根にかかって困っている旅館から枝打ちを依頼された。
しかし、バケット搭載の高所作業車が入り込めない場所なので、人が木に登って枝を切り落とさなければならないが、枝といっても軽いもので1トン以上あるから、熟練した作業者の腕が必要となる。
山仕事の親方に相談して、大型クレーンを使っての作業の方が安全性が高いので、林業の専門業者に作業を委託することにした。
 担当者に現場を見てもらい打ち合わせして、25トンクレーンを使用しての大掛かりな枝打ち作業をすることに決定した。
作業はすべてお任せするつもりでいたが「勉強になるから、一緒ににやろう」と誘っていただいたので取材を兼ねて『人足』の一人をして作業に従事することにした。

 作業はやはり木に登ることから始める。安全帯で落下を防止しながら作業者が梢に向かって登ってゆく。
切り落とす枝にたどり着いたらクレーンから吊り下げられたワイヤーを取り付ける。
枝といっても太い物は重量が3トンほどあるため、吊り下げた時に枝が回転したり、ねじれたりすると屋根を直撃して破壊する恐れがあるから、枝の重心の見極めが安定した吊り下げ作業の要となる。

切断は手鋸というわけには行かないので「チェーンソー」を使うのだが、作業の足場はなく木に登って、安全帯で身の安全を確保しながらの作業となる。
クレーンで軽く吊り下げれば「ポキッ」と折れて切り離されるように、受け口と追い口を切り込む。立木の伐採とは全く異なる技術を要する熟練作業者の腕の見せ所だ。

 チェーンソー切断を行っていた作業者が、安全確保のために木から降りたところでクレーンで吊り下げる。
枝は少しもぶれることなく安定して幹から離れた。
枝の重心を見極めたワイヤーの取り付けと、吊り下げた時にかかる荷重を計算尽くした切り口への切り込みが完璧だった証しである。

 作業をする際に問題となったのが、「どこまで枝をいじめたら木が枯れないか」という点だ。
支障枝なのでなるべく多く切り落としたいが、枯れてしまっては根が支えている斜面が崩落してしまう。
樹勢と枝の張り具合、地面の地力などを総合的に判断して切り落とす量を決めてゆく。樹を知り尽くしていないと的確な判断は下せない。
 半日で樹齢100年ほどのケヤキ三本分の枝打ちが完了した。
作業の段取りの良さ、正確さ、迅速さなど非の打ち所がない卓越した仕事ぶりに「仕事に加えてもらってよかった」とつくづく思った。
 今日切り落としたケヤキの枝も、しばらくしたら製材して旅館で使用する家具に加工する予定だ。
工房楽木の仕事なのだから利用できる物はすべて活かす。

草刈り

 山仕事の親方に請われて寺院の敷地の草刈りに出かけた。草刈りは田舎に住んでいる者ならば日常の作業だろう。
しかし、一見単純に見える作業でも熟練者の草刈りと素人のそれでは違いがある。親方は草刈り機にはチップソーをほとんど使わずに、八枚刃とササ刃を現場の状況に応じて使い分ける。
「チップソーは新品の時以外は、叩いて切るから切れ味が悪い。切り口も汚いしエンジンの負担も増える。」がその理由だ。
 私もその影響を受けてチップソーは使わない。切れ味鋭く目立てした八枚刃やササ刃の方が仕事はきれいだし作業も楽だからだ。
チップソーを使う理由は「長切れ」すると思われているからだろうが、石の多い場所でも八枚刃を頻繁に交換した方が作業効率は向上する。
もちろん草刈刃の目立てができなければ話にならない。親方は目立ての職人でもあるので切れ味鋭く目立てされた八枚刃を常時10枚くらいは持ち込んでいる。
一服するたびに切れ味が落ちていれば刃を交換するので、エンジンの回転を必要以上に上げることなく軽快に作業ができる。
エンジンの回転力で切るチップソーとは異なった作業環境が得られる。

一服の合間の目立て 笹や小径木が混ざるところでは笹刃を使う。30も刃があって目立てが大変だから石のあるところでは使わない。
笹刃は一服するたびに目立てをする。切る木の太さに合わせてアサリを調節し切れ味を保つためだ。目立した刃先刃先の丸まった笹刃

石に当てなくても使っているうちに刃先が丸まり切れ味が落ちてくる。丸やすりを使って目立てをするのだがヤスリを当てる角度や高さによって切れ味が変化する。切れる刃を拵えるにはそれなりの技術が必要となる。
刃のバランスが悪ければ、回転によって振動が発生し疲れを増幅するだけでなく「白蝋病」を引き起こす原因となる。

また、親方と山仕事をする時に見逃せないのが、一服の時に発せられる何気ない山の話だ。樵として永年山仕事に従事してきた者だけが身につけている山の知識に満ち溢れた話には、木を扱うことを生業としている身には、山仕事で得られる労賃の多少などは問題とならない貴重な経験が秘められている。

 日常作業の延長のように受け止められる草刈りだが、刃物の扱い、仕事の段取り、雑談で語られる貴重な山の知識など、私のとっては他では得がたい重要な修業の時間でもある。

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地域材家具展 

 日本各地には身近なところに木がたくさんある。
山へ出向くまでもなく住宅地や商業地、さらには工業地にでも当たり前のように木が生えている。
しかし、身近にあるはずの木を理解しているだろうか。
木の持つ価値をいろいろな面から見直してみてはどうだろうか。

 現在のように大きな木材を簡単に運ぶことができなかった時代には身の回りにある木を生活の素材として利用していた。
だからこそ昔の職人はあらゆる木の利用方法に精通していたと思われる。
しかし現在の職人の多くは限られた少数の木だけしか扱わない。
それも外国から運ばれた木が主力となっている場合が多い。
脈々と継承されてきた技は、高度成長期に途切れてしまったものがほとんどのようだ。
これでは身の回りにある多くの木を使う技術がなくなってしまうのではないだろうか。

 そこで、社会の環境意識の高まっている今こそ、身の回りにある「地域材」を積極的に使う意識が職人にも求められているはずだ。
森林資源に恵まれた信州で仕事をしている者の一人として地域材の利用を提唱しようと思い立った。
幸いにも多くの職人の賛同をいただき「地域材家具展」を開催しました。





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