☆☆飯沼の石造物その2☆☆


以前から三間畝と云う所に石像物郡があるとの情報を知り探していた。ある時、お観音さまの所に沢山有るよと 教えられた。行って見ると石像が50体ほど整然と並んで居た。現在、その場所を飯沼の方々はお観音さまと呼んでいる。 昨年、公民館主催のふるさと巡りに参加して入手した資料では三間畝となっているが、長野日報が石像物郡の清掃作業を紹介した 記事では、三畝間(さんしょうま)となっている。同じ長野日報の百観音を紹介した記事では三間畝(さんましょう)とある。 どうやら三間畝が正しいようだ。しかし、飯沼では三間畝と云う地名は誰に聞いても解らない。お観音さまの石像物郡は 一度移設されたと聞く。ことによると移設前の場所を三間畝と云うのかも知れない。


お観音さまの石像物郡

お観音さまの石造物郡は飯沼上の平線の一本木辻から下の県道竜東線へ下る道のほぼ中ほどの松林の端にある。ベンチ状に 3列に並んで居り、中段の17体は由緒あるものである。
飯沼から隣の集落の日曽利へ通じる天龍川沿いの道は「善光寺道」、「高遠道」、「よけ山道」とか呼ばれ、飯沼では秋葉街道とも 呼んでる方も居る。現在、旧道と呼ばれて残って居るが一部崩落が進み歩くのが困難となって居る。 県道竜東線ができるまでは飯沼と日曽利を結ぶ唯一の道であった。急傾斜地に作られた道であり事故もあったらしい。そこで飯沼と日曽利の人たちが相談して三十三観音を祭って安全を願ったらしい。 現在、この旧道の中程に安政7年両耕地で観音を祭ったと記す石碑が残っている。

昭和の初期、南向発電所が完成し、その導水トンネルの工事用道路が県道として通行出来るようになり、旧道は使われなくなった。 その際、三十三体の観音像を、飯沼に一番から十七番までの十七体、日曽利に十八番から三十三番まで十六体を分けた。 日曽利の十六体は集落の南端の押場と云う旧道沿いの場所に安置されている。
飯沼の十七体は、いったんコッカ沢の日曽利側に安置されたが、崩落が危惧され現在の場所に移されたと聞く。この十七体には寄進者と思われる屋号が記されている。しかし、一部に名字が記されているので、はじめから記されていたものではないらしい。


日曽利 押場の石像物郡