日々の思い...

Oct.2004 Contents




Oct 26:自我


所詮人間は、何らかのものを信じて生きている。オレは何も信じないと言っても、そう言っている自分を信じている。もし何も信じない状況が本当に出現したとするなら、精神は定位置を失い崩壊するだろう。言葉も成り立たない。何も当てにならず、基準となる足場がない。

普通は、たくさんのことがらを信じて生きているものだと思う。オレは何も信じないと言う人は、強い人ではなくて寂しい人だと思う。実は自分がそうだった。だからその強がりはよく判る。

生命の実態をつぶさに観察してみると、自力主義とか個人主義というのは、本当の世界に到着するまでの未発達段階というべきではないか。誤りがあるという意味ではない。立場が狭いということである。しかしそのことは当人にとってなかなか理解し得ない範疇のことだろう。

自力主義や個人主義は、結局個人の自我が最高位にあり、それ以上のものは認めない立場なのである。本当は巨大な生命の海の上にプカプカ浮かんでいるに過ぎないのに、自我こそ最高位と頑張っているわけなのだ。

自力主義には自力主義の洞穴があって、抜け出せない。自分が盲人なのに、自分を導こうとするようなところがある。そのことがしっかり判るようになるには、自分の経験でも何十年を要した。なんと頭の悪いことだろう。

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Oct 25:ライフワーク


ちょっと名の知れたある宗教団体から、強烈なアタックを受けて、1週間の洗脳合宿に参加したのが、いまから30年前。あの頃は精神的には最も暗黒状態にあって、そのことを隠し立てもしていなかった。光明が得られるものならばという気持ちと、団体の人たちがとても暖かく親切にしてくれたこともあり、受講を決めたのだった。親切な扱いに慣れておらず勝手に勘違いしていたところもあった。

しかし土壇場になっても光明は見えなかった。周囲が次々と入信していく中でひとり孤立した。「教義はこれで終わりなの?これで世界がすべて解明できたなんて!本当にそう思っている?これで布教活動があるだけなんて!ウソだろう・・・」。

その団体とはきっぱり絶縁した。そして問題はぶら下がったままとなった。ニーチェ、キェルケゴール、ドストエフスキー、もろもろの哲学、宗教など読み漁ったあの当時の問題。それは今でも決着はしていなかった。やはりいつかは対決しなければいけない気がする。そしてその準備が出来つつあると思う。これはライフワークなのだと思う。

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Oct 24:エージェント・スミス


映画『MATRIX』で、救世主ネオの敵として現れるエージェント・スミス。彼の独白が妙に記憶に残る。ようやくモーフィアスを捕らえ、地下にあるという「ザイオン」へのアクセスコードを白状させるべく拷問するスミスが、思わず思いを語る場面だ。

彼の言葉によれば、人類は周囲にあるエサを無制限に食いつくし増殖するどうしようもない生物種で、それを他に喩えるならば、ウィルスと同じだと言う。そういう文明批評のような言葉が、SF映画の中にひょっこりと出てくるのは面白い。そしてスミスの語る人類批評は妙に、リアリティがある。

生物にプログラムされた本能は、常に長く生き、生活圏を拡大し、子孫を残すことだ。「ほどほどでよい」というプログラムはどうも存在していない。その代わり生物種には、天敵という食物連鎖の輪が必ず作用していて、増殖を「外部」から抑制する仕組みになっている。

人間は「知」という武器を手にした途端に、食物連鎖の輪から逸脱する生物になったのではないだろうか。原始時代の恐竜に怯え、地震、雷の天変地異に怯えていた人類は、次々と天敵を打破して、地球の王となった。それに伴い、生物種として持つべき自然観をも捨て去って、人間は向かうところ敵なしの増上慢となった。

エージェント・スミスが憎々しげに語るのは、人類が自身で自己抑制プログラムを持たない限り、その先に待っているのは滅亡だということ。行動に抑制が効かなくなった人類は、実際、生存環境の物質条件に直面している。ゴミ問題しかり、環境問題しかり。

しかし物質条件の問題を、物質を持ってきて解決する訳にはいかない。その物質がないことが問題の出発点なのだから。宗教と呼ぶべきか哲学と言うべきか判らないが、最優先度の自己抑制プログラムが、今後ますます必要となるのではないだろうか、とマジメに考えているこの頃である。

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Oct 21:とうとう文庫本まで


今日は会社帰りに、大きな書店に立ち寄り文庫本の『赤毛のアン』を買った。娘に買ってやるような何食わぬ顔でレジで会計した。むろん自分が読むのだ(・・・堂々とこんなことが言えている自分がコワイ)。

これまでハードカバーの大判の本で読んでいたのだが、持ち歩きに重いし、ベッドやトイレでの読書にちょっと不便。文庫本なら、いつも携帯できるし、長野と東京の往復のバス中でも読めるだろう(・・・いつも持ち歩こうとマジメに考えている自分がやはりコワイ)。

今回は、マリラがしつけ担当の保護者の立場から、次第に本当の母性に目覚めていく変遷に注目して読んでいる。第23章の『アン、気を失う』のマリラの心理描写は、ちょっと胸にグッと来るね。負けん気の強いアンが、挑戦にのってバリー家の屋根に登ったものの、すぐさま転落し足を折ってしまうところ。

「・・・その瞬間、いままで心の奥に隠れていたものを、マリラははっきり悟った。心につきささるような恐怖を感じたとたんに、アンがどんなにたいせつな存在になっていたか、思い知らされたのだ。」

「アンを気に入っている、いや、とてもかわいいと思っているくらいは、それまでのマリラでもみとめただろう。だが半狂乱になって坂道をかけおりていくそのときになって初めて、アンがどれほどなにものにもかえがたいいとしい存在か、ひしひしと感じていたのだ」(以上、掛川恭子訳)

そのくせ、アンが口が利けるくらいの状態とわかると、マリラはとたんにいつもの口調にもどり、ガミガミがなりたてはじめるところが、また面白い(・・・こうして『赤毛のアン』にハマッテいる自分がやはりコワイ)。

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Oct 20:捨てていく


自分をこんな人間だとイメージする自己像というもの。それは、「両刃のやいば」だと思う。自分の頭の中で勝手に作られたものかもしれない。あるいは環境の変化により、自然に形成されるものかもしれない。傍から見たら、その人らしさと、まるで違う自己像を抱いていることもある。

成功哲学では、まず自己像の「矯正」から入る。積極的な考えを吹き込む。思い込むことのパワーには、確かにすごいところがある。それは確かなことである。しかし、自己像の操作で終わっていいのか、そんな単純な図式で人生を渡ってよいのか、いつも疑問を抱くところだ。

自分を見つめる機能を麻痺させる。あるいは、自己の防衛本能から出てきた麻薬のような「甘い」自己像に酔う。あるいは自分に都合の良い自己像で自分も周囲も引っ掻き回す。ここには何かが足りないと感ずる。それは西欧哲学に深く根ざしたものであるがゆえに陥る陥穽と思えてならない。

人生は上昇だけではない。下がることもある。世俗的な成功哲学は、上昇ばかりを求める。つづめて言えば、周囲から自分へと周りのものを奪っていく一本道なのだ。一本道の先に死が待っていて、なんだか救いがない。集めるだけ集めた金銭や地位や名誉の終着駅は、どうなるんだろう?いわば「TAKE」ばかり続ける人生で、「GIVE」のないまま、あとは野となれ山となれで終わるのか?死の訪れまでかき集めたガラクタのようなものが、山となって無残に残るのだろうか?

西欧哲学には、キリスト教が根底にある。上昇を続けても所詮は、神の前では無力で神とは雲泥の差なのだ。神の園で得た財産や地位は、また神の園に「寄付」という形で戻すべきものだ。この肝心なところを抜かしてはいけない、と思うのだ。

人生を長く生きていくと、どんどん余計な「人生の垢」がたまっていく。自己像もどんどん肥大していく。やはり自分には仏教の教えが感覚的にピタッとくる。心の老僧が、やさしく耳元でこう囁いていているように感ずる。「あれもこれも担いで行かずに、余計な荷物は置いていきなされ」と。

得たものを周りに返していく習慣、不要なものを捨てていく練習、そして死んでいく訓練も要るのではないかな。

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Oct 19:顔


先日、職場で実験の最中に「いい顔してますね」と言われた。突然のことで、しばらく何のことか理解できなかった。

どんな「顔」をしてたのか想像つかないが、「この実験で狙い通りのデータが出れば、ナンたらカンたら。。。」とブツブツと独り言をつぶやいていたのは確かで、きっとニタニタして気持ち悪かったに違いない。

いい顔で思い出すのは、職場の大先輩で独創的な仕事をされたある方と、はじめて出会ったときのことだ。当時、業界の1位、3位のライバル企業が合併し、重厚長大企業の参入の脅威に対抗した。中規模の企業同士が、国内の市場を奪い合っているような時代が終焉しつつあった。

合併に際して、ライバル企業に出かけ、仕込み中の研究開発テーマの説明を受けた。その方からは、ご自分のテーマを実物を交え熱心に説明していただいた。このときの顔は正に「輝いていた」。ちょうどそのテーマの山場を越えて、めどが立った時期だったのではないかと思う。二十年前のことだ。

男にだって、いい顔がある。困難を突破したとき、達成したとき、それぞれの持ち場で、仕事人たちの顔が輝いているのではないかな。

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Oct 18:職人気質?


研究や開発の現場では、誰もやったことのない実験というものがよくある。やって見なければ判らない、とよく言う。また製品のトラブルで現場に出かけると、なぜこんなことが起きるのだろう、と不思議な現象に出くわす。

習い性となっているのだが、よく見通せない事象に対しては、モノに徹底的に触れること、肌で感じて当たり前になるまでモノと付き合うことにしている。腹にストンと落ちてこないと、どうも理解した気持ちにならない。

「なぜこんなことが起きるのだろう」と不思議な現象と受け取っていたことが、やがて解明されると「それは当然だった。なぜ判らなかったのだろう」、という後悔で終わるのが常である。

人間の浅知恵という言葉が思い浮かぶ。人間の自然やモノへの理解は、まだまだ不十分なのだ、という思いが強い。世間を騒がす大事故も、原因は単純なことが多い。貴重な犠牲や苦い経験を経て、すこし人間の知は進歩する。

入社したての頃、今は亡きAさんという技術担当役員から、口をすっぱくして教え込まれたことがある。『つぶつぶの気持ちが判るのか?判るまで考えろ』という教訓だ。

つぶつぶとは、電子や原子、分子のつぶのことだ。目には見えないが、すべての現象は、このつぶつぶ達が正直に、正確に働いているだけなのである。モノを理解するとは、ここまで到達しなければならない、という信念なのである。

つぶつぶの世界が見えてくるまで、今日もモノと苦闘する日々だ。

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Oct 17:運動会


今日は地区の運動会があった。足の負傷で、まだ本調子でないため、今年は楽な競技に1回だけ参加ということにしてもらった。例年は、人(女性)をタイヤに乗せて2人で引き摺ってレースをやるという、まさに体育会系の競技に割り振られる。競技名が、「走れ幌馬車!」今年は左足の怪我さまさまである。いいこともあるものだ。

久しぶりにゆっくりできた。シートに足を投げ出し、目の前で繰り広げられる競技の様を目に収めながら、自分は子供の頃から目立たない子だったな、と物思いにふけっていた。

行事があるとカメラを持っている人があちこちのスナップ写真を撮影し、後日アルバムにしたり模造紙に張り出したりして、焼き増しの希望を募ったりするやつ、あるよね。あれが嫌いでね。ほとんど写っていなかったから。写っているのは、全員集合写真くらいかな。

仲間との旅行なんかでカメラ担当の人が、焼き増し写真を人ごとに分類していくと、確かに行った人なのに、一枚も写ってなかったり、他の写真に顔半分だけついでに写っている人っているよね。困ったなー、どうしようという人。あんな感じなんだな。

きっと主役になるのはごめんだという姿勢が、言葉に出さずとも態度に滲んでいたのではと思う。無邪気な子ではなかったから。それで影の薄い目立たぬ子になった。でも本人は全然面白くない。

それに引きかえ、家族の方はというと、やたらと目立つようだ。わが奥様の旅行写真をみると、主役の笑みを浮かべほぼ中央に納まっている。たぶん機先を制して「ここで、写真を撮りましょうーよ」と主導権を握っているに違いないのだ。娘たちもよくスナップに撮影され、新聞などにも幾度か登場したことがある。自分とはまったく正反対で対照的なのだ。オレにもすこし影の濃さを分けてくれい。

シートの上でゆったりと物思いにふけった日曜日だった。

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Oct 14:残念だったこと


最近いくつかの会議に出て、共通に感じた残念なこと。

そのひとつ目。開催者の趣旨説明も聞き終わらないうちに、いきなりある人物の発言が始まり、その受け答えに会議の主導権を奪われてしまう。あるいは1時間くらいそのための時間が費やされ、本来議論することが後回しになる。発言者以外の出席者はただひたすら受け答えの推移を黙って聞いている。あるいは、しかたないので一緒になって口を開く。大勢の人が本来の議題でない議論に巻き込まれる。

ふたつ目。当方の発言の中に使われたある単語が、ある出席者の頭の中をヒットして火をつけたらしく、いきなり異論を唱えだす。当方は「Aと言う意見もあると思いますが、本当はBではないでしょうか」、と言いたいのだが、「A」というキーワードが出るや否や、「Aではないのだ」という反応が出てくる。この場合も修復にとても時間がかかる。

小学生にも劣るような話である。小学生だって、人の発言を最後まで聞きましょうと習っているはずである。それを、頭の中に浮かんできた単語や思いをさらけ出しぶちまけるのが会議であると、いつからわきまえるようになったのだろう。そんなわがままな「機先」を制する行動が「会議」を制し、ひいては「方針」を制し、「会社」を制することにつながっていくに違いないのだ。

会話する、討議する、相談する、協力して作業するという日常を送る上でのコモンセンスを、持ち合わせない人が居ることはとても残念である。また、こういう方たちを管理者として頂いている人たちの苦労が、どれほどのものか想像に難くない。このような非効率的な状況を許容している組織は、活力を失い、競争力を失い、やがて弱体化の道を辿るのが常道ではないだろうか。とても暗い話である。

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Oct 13:文房具への愛着によせて


もう、使い捨てのサインペンとは決別するのだ(ちょっと大げさだね)。

古い万年筆を2本探し出してようやく使えるようにした。たぶん現役復帰は二十年ぶりくらいだろう。一本はパイロットの軸が金属製の万年筆、もう一つはプラチナの#3776という名の万年筆。確か最高級と言う意味で、富士山の高度を名前にしたと記憶する。

ただ書ければ良いという使い捨てのペンとはやはり違う。ペンを押し付けたときの柔軟さ、インクが心地よく紙に乗っていく筆跡、忘れかけていた万年筆への愛着の感覚を思い出した。書くという機能以上の味わい、上品さ、形容しがたい魅力を醸し出している。100円で購入できる使い捨てのペンにはないものばかりだ。こういう伝統的な文化を捨ててきたんだなぁ。いつからボクたちはこういう姿勢をとるようになったんだろうね。

骨董を愛でる。手にとって陶器を撫で回す。それも毎日。あるいは盆栽をながめる(またはサボテンを!)。道具がいつも使えるように手入れする。油をさす。気に入った靴にミンクオイルをすり込む。服を手入れする。あるいは鏡の前で着てみる。かばんを手に取り、荷物でふっくらするのを眺める。万年筆で名前を書いて調子を見る。

なんだか、これらのことは根っこが同じなんじゃないかな。なくても死ぬようなことはないけど、生活の中で必ず芽生えてくる傾向。たとえ刑務所の中の暮らしでもそれはあることを、『ショーシャンクの空に』という映画で知った。生きている限り、お気に入りができ、それを愛でる。そこから薀蓄がうまれ文化が芽生える。(やっぱり言うことが大げさだ。。。)

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Oct 12:一線を越えた絵


習作の絵から、いい絵になっていく、その境界線はどの辺にあるのだろうか。非常に関心があるけれど、とらえるのが大変難しい微妙な部分だと思う。ボクにもよく判らない。

ただ最近になって思うのは、いい絵は複雑であるより単純であるところにあり、ゴテゴテ盛り上げるより、どんどん余計なものを落としていったところにある、という気がしている。

絵でも文章でも、あれもこれもたくさん盛り込んだものは、何だかよく判らなくなる。いいものは、ここが売りだとはっきり主張しているのではないか。ここを見ろという顔をしているのではないか。そのため、血のにじむような絞込みが行われているのではないか。

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Oct 11:個展で気づいたこと


今回の3連休はほぼ、個展会場に詰めた。新聞で記事を見たという方、長野県北部からこられた方、画材屋さんの案内で隣町からきた方。また、Kさんが生徒さんを連れて再び来場してくれた。予想以上に多くの方に来ていただいて本当に感謝している。

来場者はやはり、地元駒ヶ根の方が多かったためか、お話させてもらいながら気づいたことがあった。それは展示した水彩画への反応である。ふるさとへの姿勢とも関連している。

自分の住んでいる家の前の通りや、いつも眺めている景色が、こんな水彩画になるとは思ってもみなかった、という声をずいぶん寄せていただいた。驚きに近いもののようだ。逆に言えば、ボクの風景を見る視点が、外来者のもの(部外者)であることを物語っているのだろう。格好よく言えば、旅人の視点なんだね、と気づいた。

並々ならぬ愛着を自分たちが暮らす土地に抱きながら、そのことが無意識下に沈んでいる。そこへ水彩画と言う手段でふるさとへの思いを見せつけた、そんな風にもいえると思った。自分のすむところは絵の題材にはならないと卑下する言葉をよく口にされるのだが、それを部外者の視点からそうじゃないと指摘したことになるのだろう。

人はなぜ旅をするのか、なぜ芭蕉は旅から旅へと生涯を送ったのか。自分や人生を見つめなおすこと、自分を支えているものを再発見する、あるいは回帰する。みなどこかでつながった話ではないかなと思った。

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Oct 07:われ関知せず!


自分がどのように扱われているか、どのように思われているかについては、『われ関知せず!』と言うことにしている。長年の遍歴の後にたどり着いた結論である。

他人が自分をどう思うかは、他人の心の出来事で、ボクの出来事ではない。自分が他人の目にどう見えるかは、他人の網膜の出来事で、ボクの出来事ではない。従って、思われたこと、見えたことに、ボクの責任はない。ボクはそれには何にも出来ない。

単純でしょ?でもすごく深い真理です。これが判ったとき、それまでかげろうのようなものに心労を重ねてきたなと思った。壁に映った影絵を、力込めて動かそうとするようなものなんだ。

* * * * * *

江戸中期の偉大な禅僧に、白隠さんがおられる。白隠さんが住んでいたお寺の檀家の娘が子供をみごもった。父親は烈火のごとく怒って、父親は誰だと詰問した。娘は本当のことが言えずに、でまかせに白隠さん、と答えた。さあ、それを聞いた父親は逆上して、なんと言う生臭坊主だ!とお寺に駆けつけた。しかし白隠さんは何も弁解しない。

父親はもう理性を失っていたのだろうか、やがて生まれてきた赤ちゃんを、白隠さんに押し付けて、オマエが責任を取って育てるべきだと寺に置いてきてしまった。白隠さんは、赤ちゃんを抱いて托鉢に出て、お乳を恵んでくださいと、家々で頼んだとのことだ。こんな生臭坊主の世話などする必要もないと、檀家の人は一人去り二人去り、白隠さんは孤立していったそうである。

赤ちゃんを抱いて托鉢に出る白隠さんの姿を、くだんの娘は追いかけながら物陰より覗いていたらしい。やがて心の呵責に耐え切れず、とうとう父親に真実を告げた。

父親は、本当に驚いただろうね。ひっくり返るほど。名僧といわれた白隠さんをこともあろうに、娘の虚言がもとで罵倒し続けて来たのだから。即座に寺に駆けつけ、事の次第を告げるとともに土下座して非礼を詫びた。

白隠さんの透徹した深い境地が伺えるのは、そのときの白隠さんの一言。表情も変えずに、こうつぶやいたそうである。『あ、そうか。。。』

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Oct 06:文房具に思う


ゲルインクの多色ボールペンが大変お気に入りで重宝していたのだが、インクが切れるとどうもいけない。インク替え芯を購入するか、新たなボールペンを購入するかの選択を迫られる。しかし替え芯が店頭に売っていないのだ。黒色はまだ手に入るが、赤色あるいは青色になると絶望的だ。勢い、新たなボールペンを購入することになる。その結果、インクの切れた使い古しのボールペンが机のゴミになっている。

最近この使い古しのペンがたまってきて、どうにも気に入らない。理由は2つだ。ひとつは芯のないペン軸の山を見るとき、このゴミは僕たちが結局お金を出して買ったものだと言う事実に思い当たるから。ほしいのはインクなのに、なんという無駄なことをしているのだろうかと思うから。

このような状況は、ゲルインクのボールペンに限らず、蛍光ペンしかり、プリンターインクカートリッジしかりだ。僕たちがほしいのは、その少量のちょっとした液体。しかしそれと比べなんと巨大な容器であり、ゴミなんだろう。液体自体はわずかな費用だが、パッケージするとかなりのお金を払う仕組みだ。このことは化粧品、接着剤なども同様かも知れない。

ゴミの出ない、あるいは少ない、そして容器代を払わなくて済む安い文房具や商品がほしい。ゴミ減量が一つの文化になっているドイツを見習いたいものだ。

2つめの理由は、少し精神的なことがらである。それは買い換えているペンには、一向に愛着が沸かないことだ。愛着が沸いた頃、それはゴミ化するのだ。

体に触れるものは、体に準ずる愛着があるのが普通である。靴もかばんも、茶碗や箸、着るものもそうである。自分のお気に入りの物を使う、あるいは身にまとう。これは密かな喜びである。自分の家やふるさとの山々も結局自分の延長と見なすがゆえに愛着というものがある。他人の靴や他人の服をまとうのは変である。さらに使い捨ての靴や使い捨ての服というのは、個性そのものの存在を否定している気がする。

道具の一つである文房具も、自分の手や指の延長と言ってよいだろう。だから文房具には尽きせぬ興味と愛着が沸くのではなかろうか。職人が自分の道具にいくらでもお金を使うのと似ている。

気に入らない感じている大きな理由は、むしろこちらかもしれない。文房具を愛でて愛着する気持ちを、使い捨てのペンは受け取ってくれないのである。手に触れながら、いつまでも無個性で主人になびかない文房具と言うのは、一体何なのだろう。やはり万年筆がふたたび注目を浴び復活するのではあるまいか、と思う今日この頃である。

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Oct 05:『うつ』について


『うつ』について考えている。最近『うつ』に苦しむ人がとても多いそうだ。じつは10年以上『うつ』により入退院を繰り返した身内がいたので、とても他人事とは思えない。いや、その気質を自分も受け継いでいるのだろう。自分も30代から40代にかけて決まって9月にひどく落ち込んだ。

理由などないのが特徴といっていいだろう。足元が砂地に埋まって歩けない。沈んでいく気がする。そして気づくと不快感を反芻して味わっている。そうすることがますます不快感を再生産する。そのことをまた自分で責める。世の中がザラザラして痛い感覚。

自分の心的エネルギーを生み出す発電機が、ペースダウンする。あるいは停止する。だからいくら意識の上で計らっても、エネルギーを生み出す効果はない。発電機が力を貯めるまで休ませるしかないのだと思う。健康なときは気づかないけれど、僕たちの心的エネルギーを生み出す発電機があるんだ。

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Oct 04:魂で描く


昨日、Gさんは次のようなことを語られていた。
『ゴッホは、何遍も同じ場所に行って同じアングルで絵を描いている。きっと毎回見えているものが違っていたんだ。魂でものを見つめた時、同じものはない。次々と変化している。その一瞬の出会いを大切にしないといけない。』

そこに創造の秘密があるように思う。風景画を描くときでも『眼』で漫然と見ているだけででは感動が沸かない。いい風景に惹かれるときは、『魂の世界』で何かが呼びかけをしている。どうということがないような平凡な景色から、呼びかけを感じることがある。そこは旧所名跡でなくても構わない。

絵を描くことを、現場を写し取る技術としてとらえたら、これほど退屈なことはないだろう。もしそうなら、次々と新しい芸術が生まれる道理はない。現場を見ながら、そこに何を見出すのか、何と交感するのか重要なのだ。

抽象画は難しいが、風景画はやさしい、とは言えない。抽象画と同じように観念的なことを具象で表現することもある。たとえば静寂。たとえば孤独。たとえば生命。これらを表現するとき、抽象画で表現することも可能だし具象でも可能だ。肝心なところを外さなければ、芸術と呼ぶ価値があり、通る手段に優劣はない。

以前にも記したが、画家ブラックの表現は簡潔だ。『画家は形と色で考える。対象とは詩である』

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Oct 03:いよいよ個展のはじまり


雨の降りしきる中、個展初日の準備に会場に到着。冬のジャケットでちょうど良い位、気温が低い。これまでにも、準備にいろいろなお骨折りいただいたエーデルワイスのI夫妻だが、素敵な白樺イーゼルがご主人により準備され、個展の看板が飾られていた。また奥様により会場内の各コーナーにお花が飾られていた。まったく感謝のいたり。

午後オープン予定だったが、知人や友人が午前中から顔を見せてくれた。その後、祝いの酒を持参してGさんがご来場。大変恐縮であった。N展特選など数々の受賞暦で、昨年新審査員になられたオソレ多い方なのだが、そういうことをおくびにも出されない方なので、いつも馴れ馴れしくなってしまう。失礼なこともあるのではと振り返った。Gさんとふたりで、緑、生命、光、魂、芸術など、熱っぽくお話をすることが出来た。改めて感謝です。慢心せずいただいたアドバイスをもとに精進しようと思った。

昼頃、雨は土砂降りに近くなり、これじゃ人は来ないのじゃないかと外を眺めていたら、Kさんが娘さんたちを連れで来場。しばらく会っていなかったので、旧交を温める感じだった。いやそんな言い方はちょっとそっけない。本当は、Kさんと語るうちに、二人であちこちにスケッチに出かけ刺激し合っていた頃の初心の感覚が思い出されてきた。雪が降る中でも二人でスケッチブックを広げて絵を描いた。寒くて絵の具が凍っていてね。スケッチブックの上で氷の結晶が出来てた。そんなことを思い出しました。Kさんとは言い合したり意見の衝突もあったけど、やはり気心の知れた本当の仲間だなとしみじみ感じた。感謝です。

やはりかつての絵の仲間のKさんが来場。いまは写真の方が主らしいのだけれど、なつかしかったな。後輩で畏友のT夫妻が前後して来場してくれた。いろいろ話をしたかったが東京に戻る時間が迫ってしまった。

そんなわけで、2日で睡眠6時間、昼食も4時とハードな日々だったが、充実した時間だった。東京へ戻るバス車中には、爆睡する弥太夫がいるのだった(笑)。。。

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