1998年10月、ニフティーサーブのフォーラムFYAMAPへの私の書き込みにeiboさんがレスを付けて下さったことがネット上での出会いでした。また、中央アルプス縦走記をフォーラム「FYAMATRK」にアップされたとのことで早速読ませていただきました。
 中央アルプスの山々、そして南駒などの様子がしっかり伝わり、この「南駒ヶ岳」ホームページで皆さんにも是非紹介させていただけないかお願いをしたところ快諾をいただき、ここに紹介出来ることとなりました。中央アルプスの様子、また山行の参考にもなります。是非お読みください。(尚、この文章はフォーラム書き込みの文章をご本人が校正したものを掲載しています。)


 みなさん、こんにちは。eiboです。

今年の目標の一つであった、ロープウエイ運休中の静かな中央アルプス縦走を実現することができました。
10月2日から5日までは元々この山行のために休暇を取っていたのですが、直前まで週間天気予報が芳しいものではなかったので、9月30日の段階では休暇をキャンセルして、山行も中止しようと思っておりました。
10月1日になって天気予報が良い方向に修正されたため、予定通りの決行となったものです。
縦走形態による中央アルプスは5年前に引き続き2度目になりますが、今回は気になっていた避難小屋にも泊まることが出来ましたし、天気もそれなりに恵まれ、何と言っても登山者の少ない静かな日本アルプス稜線漫歩を楽しんできました。
これが今シーズンの日本アルプス山行の結びとなりそうです。
ちょっと文章が長いですがお付き合いいただければ幸いです。

【日 付】98年10月2日(金)〜5日(月) 山中3泊4日(避難小屋利用)

【山 域】木曽山脈(中央アルプス)北部  木曽駒ヶ岳、宝剣岳、檜尾岳、空木岳、南駒ケ岳、越百山

【参加者】単独行

【行 程】

 10/02
  2合目キビオ峠(1150)= 3合目木曽見台(1230)= 4合目(1350)= 5合目(1505:1520)= 6合目(1610:1620)      6合半水場(1630:1635)= 7合目避難小屋(1645)宿泊

 10/03
  7合目避難小屋(0555)= 7合半山姥(0620)= 9合目玉の窪(0740:0755)= 頂上木曽小屋(0820:0830)= 木曽駒ヶ岳(0835:0850)= 宝剣山荘(0925:0945)= 宝剣岳(1000:1010)= 三の沢岳分岐(1030:1035)= 極楽平(1040:1045)= 濁沢大峰(1150:1220)= 檜尾岳(1330:1335)= 檜尾避難小屋(1345)宿泊

 10/04
檜尾避難小屋(0640)= 檜尾岳(0650:0700)= 熊沢岳(0755:0805)= 東川岳(0905:0920)= 木曽殿山荘(0935:1040)= 空木岳(1200:1240)= 赤梛岳(1330:1340) = 摺鉢窪分岐(1350)= 摺鉢窪避難小屋(1410)宿泊

10/05
摺鉢窪避難小屋(0625)= 摺鉢窪分岐(0640:0645)= 南駒ケ岳(0705:0715)= 仙涯嶺(0800:0815)= 越百山(0900:0905)= 越百小屋(0930:1045)= 福栃沢出合(1235:1240)= 今朝沢橋(1315:1325)= 伊奈川ダム(1340:1345)= 須原駅(1545)

 

第1部 倒木に苦しみながら木曽駒7合目へ

(10/02)曇時々霧、夕方から晴

 前夜早めに就寝し、未明の2時に自宅を出発。相模湖インターから中央高速に入るが、直ぐに睡魔に襲われたため初狩PAにピットインして仮眠をとる。
 目が覚めるとあたりは既に明るくなりかけており、時計を見るともう5時を過ぎていた。これでは、木曽福島に向かう須原駅発0730の電車に間に合わない。
 次の0831に目標を変更して、車を走らせたが、その後も何度も睡魔に襲われ、何回かSAとPAに出入りをくりかえして、塩尻ICから国道に出たのは8時になろうとしていた頃だった。時間的に予定通り木曽福島駅から福島Aコースを歩き通すことはむずかしくなってきた。ともかくも中仙道(国道19号線)を走って0915に須原駅に到着。

 次の木曽福島方面の電車は1041までない。しかも、途中で特急を待ち合わせるため、木曽福島まで30分もかかる。この時点で木曽福島Aコースを駅から歩き通すことを諦めて木曽福島駅から2合目のキビオ峠までタクシーで入ることに予定を変更する決心がついた。登山届を駅舎の中のポストに投函してから、木曽福島までの切符を購入する。320円であった。
 中津川発松本行普通電車はほぼ定刻に須原駅に到着した。3両編成の電車の座席は半分も埋まっていなかったが、網棚を見てびっくり、登山ザックが15個位ある。多分中京地区から北アルプスに向かう客ではなかろうか。交換する特急電車が遅れていたため、電車は須原を遅れて出発したが、途中の上松の停車時間を切り詰め定刻の1111に木曽福島に到着した。

 客待ちをしているタクシーに乗り込み、15分足らずでキビオ峠に到着した。歩けば2時間のコースである。なお、料金は2290円で意外と安かった。キビオ峠もベンチなどが整備され様子が変わっていたが、あたり一面に生い茂る葛とヨモギを好物とするカンタンが秋の幽玄の趣をかもし出して鳴いていた。

 行動食をとって、いよいよ今宵の宿である7合目避難小屋目指して登り始める。相変わらず手入れが行き届いていて歩きやすい道と思ったのもつかの間、この後6合目手前まで倒木との格闘を強いられることになる。先日の台風の影響と思われるが、根こそぎになったもの、中途から折れたもの様々であったが、それにしてもひどくやられたものである。倒木に攀じ登り飛び降りたり、長くはない脚で跨いだり、はたまたコースを外れて足下おぼつかない場所に迂回しながらという情況で登りつづけるが、この障害物ゲームによってかなり消耗してしまった。
 一方、天気はと言うと、朝方こそは晴れていたが、予報に反して次第に雲の量が増加して行き、キビオ峠を出発する頃には青空がほとんどないような情況となってしまっていた。このキビオ峠をはじめ3合目木曽見台などは晴れていれば西側の空に木曽御岳が望める場所と聞いていたのだが・・・
 こんなわけでかなりのスローペースではあったが、着実に高度を上げて標高約2200Mの6合目まで来ると、倒木に悩まされることも無くなりしかも天気もいつしか回復して樹間からは夕日を受けた御岳さらには乗鞍まで望むことが出来た。

 6合目を過ぎると登山道は尾根を取り替えるためトラバースするようになるが、ここまで来ると7合目避難小屋は指呼のうちである。6合半の水場で持参した2リットルの空のペットボトルを満たし、更に呑みきって空になりかけた0.5リットルのペットボトル2本も満タンにした。水場から望む槍穂高連峰の美しさにしばし見惚れてしまった。ここから避難小屋までは通いなれた道を10分程である。

 予定時刻を1時間半近くも遅れて木曽駒ヶ岳7合目避難小屋に到着。自分1人での貸し切りを予想(半ば期待)していたが、スープの香りを嗅ぎながら小屋の戸を開けると登山靴が5足、土間に揃えて並べてあった。
 先客は4人の男子学生パーティーと地元木曽福島町の40歳ぐらいの男性であった。挨拶を交わして小屋に上がり1階の板の間に早速寝床を確保した。木曽福島町の男性と2人だけなのでゆったりしている。2階も学生4人だけなのでこれまたゆったりとしている。この小屋のお世話になるのは今回が7度目にるが1階に寝床をとるのは初めてである。1階の方がややゆたりしているのだが、2階の窓から望む御岳に魅せられていつも2階に泊まっていた。
 御岳を見に外に出ると、明日の好天を約束するように夕暮れの空に鎮座していた。目を反対側にむけると、駒ヶ岳本峰から将棊頭山にかけての稜線もくっきりしていた。

 夜の帳がおりる前に急いで夕食を済ませ、就寝までの間、木曽福島町の男性と四方山話にふける。この男性、東京に本社のある会社に勤務していて、当地に赴任して4年になるという。異動になるまえにもう一度木曽駒に登っておこうということで、久々の好天に家を飛び出してきたと言う。何でもここ半月のうち木曽谷から駒ケ岳を望むことが出来たのはわずか1日だけであったそうだ。
 倒木に悩まされたことを話すと、彼はある程度予想していた様子で、木曽福島Bコースを倒木の憂いも無く上がってきたそうである。翌日分かったことだが同宿の学生諸君もBコースだったそうだ。
 6人とも疲れていると見えて、夜7時前には何時の間にか眠ってしまったようである。

第2部 霧の木曽駒ヶ岳を越えて

(10/03)晴のち霧

 前日の就寝が早かったせいか、目が覚めて寝袋の中で時計をヘッドランプで照らすとまだ3時少し過ぎだった。外は風もなく静かで、小屋の中はぼんやり明るい。たぶん月が出ているのだろう。今日の天気は期待できそうだ。
 羽毛の寝袋は夏物であったが、ゴアテックスのカバーとクロロファイバーのインナーシーツを併用しているので全く寒さは感じられない。
 ほかの5人も既に目は覚ましているようであるが、誰も寝袋から抜け出す様子はない。そうこうしてまどろんでいるうちに、4時丁度に目覚し時計のベルとともに「起床です」との声がかかる。学生のパーティーだった。これにつられるように木曽福島在住の男性と自分も寝袋から這い出た。めいめいがあわただしく朝食を済ませた。
 やがて、5時を少し回った頃、朝食を終えた学生のパーティーが「お騒がせしました」と挨拶をして小屋を出ていった。彼らを騒がしいとは思わなかったが、他人に一応気配りをしているのは嬉しかった。
 5時半を回った頃、木曽福島の男性が軽荷で出発していった。木曽駒をピストンしてお昼には自宅に戻るそうである。

 さて、自分は6時少し前に小屋を後にした。あまり急いでも本日の目的地である檜尾避難小屋に昼食前に到着してしまいそうなのでゆっくり登ることとする。天気は悪くないが、御岳に少し雲がでできたのが気がかりだ。
 避難小屋を出て30分ほどすると7合半の山姥であるが、ここで1時間近くも前に出発したはずの学生のパーティーに追いついた。随分のんびりしていると思ってこれからの予定を聞いてみると、越百山までの縦走に5泊を予定しており、今日は木曽駒の頂上付近でテントを張るとのことである。関西の某国立大学の学生で、所謂秋合宿で来たという。4人のうち2人が1回生の若いパーティーであるが、登山と言うよりは山での生活そのものを楽しもうとしているようで、考えがなかなか優雅であると思った。
 こちらも余り急ぐ道中ではないので、彼らの後についてゆくこととした。
 当初予定していた8合目での水の補給は、昨日6合半で汲んだものがまだ2リットルは残っていたので軽量化のため見合わせることにし、彼らにつられて休憩もとらずに水場を通り過ぎた。
 木曽前岳の方からは気になる霧がさかん吹き下りている。しかし振り返ると穂高連峰から後立山連峰にかけてと、頚城山塊、さらには浅間山まで見えている。

 ところで、これまで紅葉について記述をしていないが、それほどに今年の紅葉はここ中央アルプスでは惨澹たる情況で、過日の台風によって色づく前に葉がもぎ落とされてしまったようだ。常緑樹がやたらと青々と感じられて、未だ夏山のような様相だ。既に葉の無い枝に赤い実を残したナナカマドによってわずかに秋を感じるのみである。

 8合目をすぎるとガラ場をぐんぐん登って行くが、ついに学生諸君から先に行くよう懇願されたので止む無く追い越した。それから程なく老若男女7人の混合編成のパーティーとすれちがった。荷物の様子からテント泊のようだ。さらに少しして滋賀から来たと言う中高年7人の男女のパーティーとすれちがったが、彼らは下のスキーから木曽福島Bコースを登り目的の木曽駒登頂を果たして下山する途中であった。昨日は宝剣山荘に泊まったと言う。まさに深田百名山巡礼団という様な趣であったが、ロープウエイが無くても木曽側から頑張るのだからすごい。
 9合目玉の窪に到着する頃には、あたりは木曽前岳方面から流れてくる霧によって支配され展望は全く利かなくなっていた。ここで一息いれていると例の学生諸君が追いついてきた。彼らと別れて頂上に向けて出発して程なくして、同宿した木曽福島の男性が木曽駒登頂を果たして下ってきた。
 頂上直下にある頂上木曽小屋に到着し、屋外にある寒暖計を見ると5度だった。長袖の薄手ラガーシャツだけでも登りだから全く寒さを感じない。このあたり7月だとコマウスユキソウが奇麗だった所なのだが、ドライフラワーさえも何処にあるのか分からなかった。
 頂上木曽小屋から約5分ほど登ってついに誰も居ない霧に包まれた木曽駒ケ岳頂上に達した。これで6度目の訪問となる。祠の影に回って風を避けながら行動食をとったが、晴れそうにない霧に嫌気して早々に下り始める。
 中岳の頂上を越えて宝剣山荘に到着。やっとビールにありつけた。普通缶で500円だから安いほうだろう。公衆電話があったので妻に電話をする。開口一番、良い天気なのに一緒に行けなくて悔しいとのたまう。この時間、東京は快晴だそうで、山の現在の天候を説明すると怪訝な様子であった。ともかく無事を報告して山中での最初で最後の電話を置いた。(この後、何度か携帯電話を試したがつながらなかった。)持ってきたビーフジャーキーと野菜チップをつまみにビールを飲み干し、宝剣岳に向けて出発する。
 鎖の整備された岩場を15分ほど登って、5年ぶりに再訪した宝剣岳も木曽駒と同様に霧の中だった。ビールによる心地よい酔いを覚ますために小休止をとる。ロープウエイが動いていればこのようにのんびりとはできないだろう。

 宝剣岳付近の悪場を通過して三の沢岳分岐付近まで来ると遠望は利かないが近くの駒本峰や三の沢岳などを時々映し出すように霧が切れることが多くなった。また、この直ぐ先の極楽平付近ではコマウスユキソウのものらしいドライフラワーを見つけた。かなりの群落で花期にはさぞ立派なことだろう。9合目玉の窪から目立っていたのだが、イワツメクサの白く清楚な花がこの時期でも意外と元気に咲いていて、この後も越百山の稜線に至るまで、冴えない紅葉の代わって季節外れの彩を添えてくれていた。小高い丘のような島田娘を乗り越す頃には、伊那側は駒ヶ根の街を見下ろすことが出来るまでに霧は晴れていたが、木曽側からは相変わらず霧を伴った風が吹きつけてくる。伊那側を見下ろすとロープウエイの駅も見えたが、1か月後に迫った営業再開に向けた試験を行なっているらしくワイヤーを動かすモーターの音が何度か響き渡っていた。

 濁沢大峰の頂上で昼食休憩としたが、時折日は射すものの相変わらず木曽側からは霧を伴って風が吹きつけてくる。
 濁沢大峰からの下りで久しぶりに登山者と出会う。単独行の40歳ぐらいの男性で、今朝、空木岳下の駒峰ヒュッテを立ち、今夜は頂上木曽小屋に泊まる予定とのことである。空木岳方面も晴れていたのは早朝だけで、その後はずっと霧に巻かれながらここまで来たと言う。
 この先登山道が何度か伊那側に回り込むようになると、風がさっと収まり、やや蒸し暑ささえ感じるようになる。檜尾岳に近づくころには南側の視界が広がり、明日以降に頂上を踏む予定の空木岳や南駒ケ岳も時折姿を現してくれた。
 やがてたどり着いた檜尾岳頂上からは、期待していた南アルプスの展望は得られず、早々に避難小屋に向かって伊那側の檜尾根を10分ばかり下る。途中旧避難小屋跡の石垣の所から5分下ると水場の標識があったが、木曽駒6合半で汲んだ水がまだ十分にあったのでここの水は使用しなかった。今宵の宿となる檜尾避難小屋は、カマボコ型をした木造の建物で、中には荷物置きの棚まであるので詰め込めば15人は泊まれるだろう。10人ぐらいなら余裕があるかもしれない。中は奇麗に清掃されていた。
 今日は貸し切りかなと思いながら、小屋の中で地図を見ながら時間を潰していると、1時間ばかりした3時ごろに単独行の20代男性が到着した。何でも朝早くに上松を出て木曽駒を越えここまで来たそうである。すごいペースだ。
 明日は摺鉢窪避難小屋泊の予定と言うからこれは自分と同じ予定だ。若さがあるとはいえさすがに疲れたらしく小屋に着くや否や寝袋にくるまって横になってしまった。
 時々日は射すものの天候は今一つで、期待していた夕暮れの南アルプス全山の大展望は望み薄となりつつあった。
 2人とも4時過ぎには夕食の準備にかかったが、間もなくすると単独行の男性がまた1人到着した。木曽駒高原スキー場から歩いてきたと言うから、自分の2日分を1日で歩いて来たわけだ。30代の後半と思われるがさすがに疲れた様子で、足に塗り始めた湿布薬の匂いが小屋に充満した。
 日が暮れる前にもう一度外に出てみたが、南アルプス方面は鋸岳の険しい稜線が雲の合間からかろうじて認められるだけで、大展望は明朝に期待することとなった。
 同宿者は2人ともかなり疲れていた様子で、6時前には就寝準備に入ったので、それに付き合って昨日以上に早めに眠ってしまった。

第3部 展望の稜線

(10/04)晴時々曇

 5時近くに目が覚めたが、同宿者2人は既に朝食の準備をしていた。あわてて食事の準備にかかる。朝食と言っても行動食+α程度のものが今回の山行を通してのスタイルであるため、時間もかからないし水の消費も少ない。
 小屋の外に出ると、雲は少しあるが晴れている。寒さも全然感じない。期待した南アルプス主脈の展望も北から南まで伊那盆地の向こうに大障壁の様に横たわっている。富士山も塩見岳の左に淡いシルエットを映し出している。さらに奥秩父の山々、八ヶ岳連峰、蓼科山も見える。
 5時45分頃になって仙丈岳の頂上から朝日が昇ってきた。美しかった。しばしの間見惚れてしまった。
 20代の若者は6時を回ると直ぐに出発していった。一応、摺鉢窪の小屋で再会することを約束した。残った2人はもう暫く小屋付近からの展望にふけってから30分程後に出発した。もう一人の同宿者は、空木岳に登り池山尾根を下って今日中に大阪の自宅に帰る予定と言う。

 小屋から10分の登り返しで再び檜尾岳の山頂に立つ。南アルプスは日が昇るとともにかなり薄く霞んできており、富士山は霞んだ空に同化してしまっていた。しかし、南側にはこれから行く、空木岳、南駒ケ岳が聳え、北に振り返ると越えてきた宝剣岳、木曽駒ヶ岳もくっきりとしている。北西方向に目を転ずると、御岳と乗鞍岳が鎮座している。頂上で改めて展望を楽しんでいるうちにこの同宿者は既に出発して行った。
 檜尾岳を後に、小さなピークを乗り越しながら這松と花崗岩の稜線を南下して行く。相変わらず木曽側から風が吹きつけてくるが、寒さではなく心地よさを感じる。紅葉がさっぱりなので、這松の青さばかりが目立ち風景も夏山の様であり、季節感が狂ってしまう。
 小休止した熊沢岳への登りで対向する男性単独行に会ったきりで小屋での同宿者を除いては誰にも会わない。本当に静かだ。それにしても自分も含めて今回は単独行の登山者が目立つ。ロープウエイの無い静かな山を求めるとどうやら結論は単独行ということになるらしい。自分の場合は本当いうと妻と一緒したかったのだが、都合によって今回は単独行となっただけで、日程も2人で歩くことを前提に余裕を持ったものとなっている。
 東川岳の頂上で檜尾の小屋を一緒に出発した同宿者に追いつく。もう一人の若い同宿者はかなり先まで行っているのだろう、小屋を出て以来姿をとらえることは出来なかった。乗鞍岳は既に雲に隠れてしまっていたが、御岳はまだ雲一つない全貌を見せてくれており、中腹の道路を走る自動車の窓ガラスが反射するのも分かる程である。南アルプスもまたはっきりしてきたが、富士山は霞の空に埋没したままである。南には航空母艦の様な恵那山の姿も見える。
 早めの昼食をとっている同宿者よりも先に東川岳山頂を辞し、木曽殿越えに向けて急激に下る。花崗岩がザレて土嚢で補強した歩きにくい場所を通過すると木曽殿山荘の前に飛び出した。近年建替えられ、赤いシンボルカラーのこの小屋もチョコレート色に塗り替えられていた。振り返ってみると今朝の出発点の檜尾小屋はかなり小さくなっていた。
 宝剣山荘以来の営業小屋と言うことで予定通りビール付の昼食休憩とする。
 小屋のヘリポート端のベンチに陣取り八ヶ岳の展望付きの昼食時間を過ごす。

 空木岳から50年配の単独行の男性が脚を引きずりながら下ってきた。聞くと途中で捻挫したとのことであった。山小屋で応急の湿布をしてもらって出て来たが、これから宝剣山荘に向けて歩きつづけると言う。小屋の人と2人で、その状態では危ないから、倉本に直ぐに下るように勧めたが、何がなんでも木曽駒に登りたいと言って聞く耳を持たない。挙げ句の果ては、宝剣山荘に辿りつけないのならば、檜尾の避難小屋でビバークするとのたまう。近郊の日帰り山行の様なデイパック姿だからもちろん避難小屋に泊まる様な装備があろうはずがないが、雨風を遮るだけの小屋の中で一晩を過ごすことをいとも簡単なものと考えているようである。足は結構腫れあがっており、檜尾岳まで行けるかも怪しい。暫く押し問答したが、とうとう脚を引きずりながら東川岳目指して登っていった。
 その後、「義仲の力水」まで水の補給で往復している間にこの男性は小屋に引き返した様子だったので一安心したが、自分の生命も顧みずに目標にまっしぐらの深田百名山巡礼者恐るべしと思った。

 何だかんだあって、木曽殿越に1時間以上も滞在してしまったが、いよいよ空木岳を目指す。この間に檜尾避難小屋で同宿した男性が先に登っていった。
 容赦のない直射日光に空木岳の頂上に達するまでの間に、「義仲の力水」で補給したばかりの0.5リットルのペットボトル1本が空っぽになった。
 前日、木曽殿山荘には20人程の宿泊者があったそうであるが、空木への登りでは1人の男性とすれ違ったのみであった。
 5年ぶりに再訪した空木岳の頂上には4人先着していたがその内の2人のグループは直ぐに木曽殿越目指して下っていった。木曽駒から下る7人グループ以来のグループ行で、本当に久しぶりだ。頂上からは南アルプス、八ヶ岳の展望は利いているが、宝剣、木曽駒いつしか雲に隠れてしまっている。乗鞍方面の雲の厚さも増しているので、明日の天気がちょっと心配になってきた。
 山頂から伊那側の空木カールを見下ろすと、駒峰ヒュッテと更に下には空木避難小屋が佇んでいた。また、池山尾根が駒ヶ根の街を目指してのびているのが見て取れる。
 空木の山頂でも行動食をとり、いよいよ今宵の宿のある摺鉢窪を目指す。途中、赤梛岳の頂上付近で伊奈川ダムを今朝出発したと言う単独行の男性と出会い、立ち話をしながら小休止をとる。今日は木曽殿山荘に泊まり、明日、自動車を停めてある伊奈川ダムに下るという。
 赤梛岳からは思ったよりも早く、10分ほどで南駒ヶ岳との鞍部の摺鉢窪への分岐に達した。摺鉢窪カールを見下ろすと、避難小屋が見て取れたが、小屋までコースタイムは10分で下ることになっているが、このタイムではとても下ることの出来ない距離がある様に見えた。
 摺鉢窪カールの中では既にドライフラワーとなったハクサンイチゲやシナノキンバイと思われる群落の中に名残のイワギキョウの紫の花が2つ3つ控えめに咲いていてちょっぴり嬉しくなった。
 果たして稜線から20分程かかってようやく避難小屋に着いた。稜線方向の西側入口は締切となっていたので、伊那谷方向の東側入口に回り込んで誰も居ない小屋に入った。檜尾で同宿した若者は越百小屋まで行ったのだろう。

 この小屋の外からの展望も中々のもので、北岳と間の岳が良く見えた。雲さえなければこれよりも南の南アルプス雄峰を望むことも出来ただろう。
 摺鉢窪カールは高山植物の最盛期には花の楽園のとなると紹介されていて、ここに来てなるほどと思ったが、その一方でゴミの多さも言われていた通りであった。たき火の跡も残るゴミの山が確認できただけでも3個所あり、小屋の中にも大きなビニール袋一杯のゴミが放置してあった。何とも情けのないことである。
 予期しない沢水の音に伊那谷方面に下ってみようとしたが、そこは百間ナギと呼ばれる崩壊地、崩れ落ちそうで恐くて止めた。
 今晩こそは本当に1人になってしまった。雲も増え、見上げる南駒ケ岳の上からは霧までも吹き下りてくるようになった。風もすこしずつ強くなってきたようだ。明日の天気を思うと何となく心細い。
 手持ちぶさたなので4時半には食事を済ませ、20人は楽に泊まることが出来そうな小屋でポツンと1人5時には寝袋に包ってしまった。まだ、日没までには時間があったが、この小屋には窓がないため入口を閉めると真っ暗になってしまった。
 稜線から吹き降ろす風の音が激しく、また、ある程度は予想していたこととはいえネズミの動き回る音で中々眠りに就けなかった。出現したネズミの何匹かにヘッドランプの光を浴びせると何処へともなく逃げ去った。ネズミの出現が予想されるのであれば、食料はしっかりとザックの中にしまい、ゴミ袋は上から釣り下げておくなどの対策は必須であると言える。
 年甲斐もなく、ちょっと怖さも感じた1人ぼっちの夜はこうして更けていった。

第4部 霧の稜線と里の秋

(10/05)霧と曇、下界ではずっと晴?

 独りぼっちの不安な夜はともかく明けた。相変わらずの朝寝坊で5時15分に起床。
 稜線から小屋に吹き付ける風の音などで深い眠りではなかったが、体調は悪くない。見上げる南駒ケ岳は相変わらず霧の中で、そこからこのカールに目掛けて霧が吹き下りてくるのも昨夕と変わっていない。朝日の昇る南アルプスの方角に目を向けると若干青空があり、間の岳が一瞬頂上の一部を見せてくれたものの雲は多い。太陽がその後ろに存在することを主張するかのように雲が部分的に赤く染まっただけで、日の出時刻は過ぎてしまった。
 例によって行動食+αの朝食を、昨晩沸かしたテルモスのお湯でいれた紅茶をすすりながら手短に済ませ、お世話になった小屋に別れを告げた。

 昨日までより少し気温が下がったようだがあまり寒さは感じないかった。しかし、稜線に出てから予想される木曽側からの強い風と霧に備えてゴアテックスの雨具の上着を着込む。稜線への途中で一瞬日が射して、北岳と間の岳が浮かんで消えたが、結局これが今回山行の最後の主要山岳展望となった。
 昨日、下りに20分も掛かった摺鉢窪カールであったが、15分弱で登り返して稜線に到達。案の定、そのとたん木曽側から霧を伴った強風が吹き付けてきて、あっという間に上着には細かい水滴がびっしり付着した。目指す南駒ケ岳方面は何も見えない。
 岩場の道を進むと、意外なほどあっさりと南駒ケ岳に到着した。空は時折明るくなるが5年ぶりに再訪した山頂からの展望は利かない。大きな岩の陰で小休止の後出発。
 花崗岩のザレと這松の登山道を進むと急下降する。仙涯嶺との鞍部が近いことを示している。時折伊那側に登山道が回りこむと風がぱったりと止み、谷も見下ろすことができるのだが、木曽側に戻ると相変わらずの強風と霧である。石楠花の葉っぱも目立つようになり、鎖で整備された岩場と崖淵を登ったり、トラバースしたりすると仙涯嶺の頂上である。頂上から少し降ったところに平坦な場所を見つけてここで行動食をとりながら小休止。

 岩場を降りるとやがて這松の緩やかな稜線となり、丘のようなピークを乗り越してから登り返すと越百山山頂である。当初の南越百山往復の予定は、この霧に気分が萎えてしまったので、またの機会にとっておくこととした。
 休憩もそこそこに、いよいよ中央アルプスの稜線に別れを告げ、須原の駅に向けて降り始める。高度を下げると紅葉することなく葉が落ちたナナカマドが目立つようになり、針葉樹も大きくなって久々に樹林帯に入ると風も止み、霧も解消して越百小屋も見えてきた。コースタイムどおりの時間がきっちりかかり小屋に到着。
 営業小屋ということで、ビール付の昼食休憩を予定していたが、小屋のご主人は不在のようだった。仕方なくガソリンコンロを出しお茶を沸かして、ここでのために用意した枇杷の果肉入りゼリーのデザート付の昼食をとった。食後の休憩をしていると、髭の小屋番伊藤さんがチェーンソウを持って現れた。過日の台風によって登山道を塞いでいる倒木の処理をしてきたとのことである。

 そういえば、以前も私がここで休憩中に伊藤さんが刈払い作業から戻ってきたことを思い出した。このような精力的な作業によって、須原から越百山への登山道大変良く整備されている。予定どおり500円の缶ビールを注文し、残っていたコンビーフをつまみにしていっきに飲み干した。
 暫く伊藤さんと雑談したが、越百小屋は11月の初めまで営業して、一旦下山の後、年末年始は営業するとのことである。木曽殿山荘でも10月11日に営業を終えるとのことだったので、晩秋から初冬にかけてと年末年始の越百山は意外な穴場かもしれないと思った。昨日のこの小屋の宿泊者は5人だったそうで、話からすると檜尾避難小屋で同宿した若者も泊まっていたようである。今日も2名の宿泊予定があるという。
 結局1時間以上ここで休憩して出発。福栃沢出会まではひたすらに樹林帯を降るわけである。途中に水場も何ヶ所かあるので暑くなっても心配はない。
 30分程原生林を下ると久しぶりに登山者に出会った。昨日の赤梛岳以来である。単独行の30歳ぐらいの女性で、大きなザックにもかかわらずしっかりとした足取りでしかも息も切らさずに登ってきた。結構山に慣れた様子で、知的な雰囲気を持った人だった。今日は越百小屋に泊まるという。
 いつしか晴れ間も覗くようになり、蒸し暑さを感じるようになってきたが、山頂方面を見上げると未だに厚い雲に覆われている。この様子だと下界は朝から好天なのかもしれない。更に30分程降った所でまた登山者に出会う。やはり単独行の女性だった。40代後半と思われたが、この人もまた山に慣れているようで、重そうなザックを背負って軽快に登ってきた。この人も越百小屋に泊まるそうで、何でも地元の山岳同好会の人で11月の小屋締めの準備を手伝うのだそうだ。先ほど会った女性とは知り合いでは無いとのことだったが、同じように知的な感じのする人だった。結果的にはこの後、須原駅まで1人の登山者にも会わなかった。
 越百小屋を出てから2時間ほどして、福栃沢出会に到着。南駒ケ岳から下ってくる道を合して、ここから単調な林道歩きとなる。山の上は雲に覆われているものの、これから先はずっと直射日光に曝されながら歩くことになった。
 福栃沢出会から30分程で今朝沢橋に到着。木曽殿山荘に達する道が分岐しており、車止めのゲートがある。ゲート付近には何台か駐車してあったので、須原方面からは自動車でここまで入ることができるようである。
 今朝沢橋から程なく伊奈川ダムに到着。通常はダムの事務所の電話を借りて上松からタクシーを呼ぶものらしいが、元々駅まで歩きとおす予定だったし、初日に予定を変更して木曽福島駅から登山口にタクシーで入ったこともあり、須原駅までコースタイム3時間の舗道歩きを頑張ることとした。なお、ここから須原までタクシーは協定料金で5000円少々とのことである。
 民家のある場所までコースタイムよりもだいぶ早いペースで到着した。傾斜地にある田んぼの稲は既に収穫され、刈り取った稲穂が吊るし干しされていた。また、道沿いに薪が積み干しされていたり、土壁の納屋のなかに脱穀後した藁が収められていたりする風景に里の秋を感じた。
 須原駅の手前で小高い丘を越えるのでもう一汗かくことになった。丘を越えると木曽川の谷沿いを通る中仙道とさらに中央本線の線路が見えてきた。踏切を渡り線路の反対側に出て、旧街道のような裏道を少し歩いて須原駅に到着した。伊奈川ダムから丁度2時間だった。
 携帯電話で家に無事を報告し、30分程休憩してから自動車を運転して帰宅の途についた。
 途中、諏訪の温泉につかり、夕食にほうとうを食べて、夜の11時に帰宅した。
 自動車を降りるとキンモクセイの香りが漂っていた。

                                 完

 お付き合いありがとうございました。
                         eibo/Tokyo

(1998.10.7〜10.10 NIFTYSERVE FYAMATRK 会議室 より)


 また先に書きましたeiboさんとのネット上での出会いとなったレスは、山と地図のフォーラム「FYAMAP」での会議室における次のような書き込みでした。ありがとうございました。

 kegaさん、初めてご挨拶いたします、eiboと申します。
 南駒ケ岳のホームページいつも楽しく拝見させていただいております。
 10月2日から5日にかけて、ロープウエイが運休中のラストチャンスとばかりに5年ぶりに中央アルプスの縦走に出かけました。
 kegaさんのホームページを拝見してかねてから気になっていた摺鉢窪避難小屋にも泊まってきました。時期が時期ならば花の楽園なのでしょうが、今の時期は静まり返っていました。
 全行程を通じて天気はまずまずだったのですが、南駒ケ岳山頂では、木曽側から吹き付ける風と霧の支配するところで全く展望はありませんでした。来年再訪しなくてはと思います。
 今まで何回か登った中央アルプスですが、今回を含めて全て木曽側から入っていました。来年は初めて伊那側から入ってみようと思います。
 でも、ロープウエイではなくて、シオジ平あたりから越百山に登るコースを考えています。

 これからも南駒ケ岳のホームページ楽しみにしております。

                    eibo/東京

(1998.10.17 NIFTYSERVE FYAMAP 会議室 より)