中央アルプス「南駒ヶ岳」(名前の由来)・・・この名前を聞いて「あの山だ」とわかる方はどれほどあるでしょうか(勿論、地元の人を除いて・・・。)

 信州・伊那谷に連なる中央アルプス(木曽山脈)の、やや南よりに聳える素晴らしい山。

 中央アルプスには「木曽駒ヶ岳(西駒ヶ岳)」という、登山者そしてロープウェイによる観光の人々に名の知れた山がありますが、それとは違うのです。
 標高は2,841メートル。頂上・稜線によって東はここ伊那谷の上伊那郡飯島町、西は木曽谷の木曽郡大桑村に分けられています。

 南駒ヶ岳直下の「摺鉢窪カール」は見事な氷河地形を残しており、麓からもはっきりと見られるカール地形となっています。このカール上部に、春になると「五人坊主」と地元で呼ぶ雪形も現れるのです。田植えの季節到来を麓に告げる雪形でもあります。
 このカールが抱きかかえるお花畑は本当に広く美しく、またその静けさも素晴らしいものです。
 そこで聞こえるのは本当に「風の音」と「鳥のさえずり」のみ。鳥のさえずりはカールに響きわたる。この落ち着いた雰囲気はたとえようもないものです。

 考えてみれば、これらの静けさや荒れていない自然の姿も、ここへの登山者のまだ少ないがゆえの良さなのかも知れない。(中央アルプスではその人気が西駒ヶ岳(木曽駒ヶ岳)・宝剣岳・空木岳一帯に占められており・・駒ヶ根市よりロープウェイで登れることもありますが・・、縦走登山者も南へは空木岳までで下山するケースが多く、更にその先の南駒ヶ岳まで足をのばす人は少ないようです。)

 頂上から見られるのは遠くに南アルプス連峰の雄姿、そして足下には飯島町全景など伊那谷の絶景。  

 花崗岩の山脈としては日本で一番長い中央アルプスであるけれども、その中の南駒ヶ岳直下のカールからは「百間ナギ」(ひゃっけんなぎ)と呼ばれる大崩落が飯島町側に始まっています。この500メートルほどの長さの崩落は現在でも続いており、これもまた麓の飯島町からよく見れらるものです。
 カール下部にあり、百間ナギのきわにある避難小屋も、崩落があと20メートルも満たない地点まで迫ってきており、それほど遠くない頃には飲み込まれてしまうであろう状態となっています。(この小屋は麓から目を凝らすと、蟻のように点状にみつけることが出来ますが・・いつまでもつのでしょうか。)
 この崩落の終わりからオンボロ沢が始まり、本流「与田切川」へと続いています。
 花崗岩の山脈であるゆえに、この与田切川も白い花崗岩のあふれるきれいな川となっています。与田切川にしてみれば、この南駒ヶ岳が母なる山であり、流れの発信点でもあります。

 北の赤梛岳(あかなぎだけ)(2,798m)・田切岳(2,588m)、南の仙涯嶺(せんがいれい)(2,734m)を含めて、これらの山が四季折々に構成する姿は、麓の飯島町からは天下一品の素晴らしい風景となっています。麓からはまさに「アルプスの屏風絵」となっているのです。

 麓の町、飯島町の飯島小学校校歌にも「こまくさのお花畑と〜」「南駒われらの山よ〜」という歌詞が、又飯島中学校の校歌には「輝く駒を仰ぐとき〜」という歌詞があるように、地元の人々にとって南駒ヶ岳は切っても切れない繋がりの山となっています。残念なことに、この歌詞にあるような「こまくさのお花畑」は全く消えてしまい、現在中央アルプスでは木曽駒ヶ岳(西駒)の稜線上で人工的に播種などによって復活させようとしている状況があるのみとなってしまっていますが。

 さて、私にとってこの南駒ヶ岳は、我が故郷の山であり、これまで登った南北中央アルプス・富士山・八ケ岳・御岳等々の「名を知れた山」にひけをとらない、いや私にとっては、それらの中でも最も気品溢れる雄大な山であり、最高の山であると感じているのです。

南駒ヶ岳山頂から眺める2004年1月1日、南アルプスからの「初日の出」:(シミュレーション3DCG)

2枚のCGは全て、国土地理院刊行『数値地図50mメッシュ・日本U』及び「カシミール3D」を使用して作成しました。