「故郷は遠きにありて思うもの・・近くにありて気づかぬ場所・・」


飯島町日曽利(ひっそり)地区より

飯島町の天竜川東地区、日曽利地区から見た飯島町街部の様子です。天候が良ければ、中央アルプスも見られますが、あいにくこの日は・・。ひっそり地区は静かな落ち着いた地区です。


飯島町役場

歴史を感じさせる建物である。昭和16年、当時の価格八万二千円で新築・6月に竣工となった。当時の姿をあちこちに残す建物である。玄関入り口の石柱は、大きな石を二つ割りにして仕上げた当時のままの石柱となっている。


飯島駅

飯田線飯島駅。最近は通勤・通学客中心となってきた飯田線、日中は本当に空いている車内である。この北の田切駅は鉄道ファンが好む駅であり、すぐ近くには大きなカーブの絶好の撮影ポイントがある。

また町内の「七久保駅(ななくぼえき)」は標高が698mで、飯田線の駅の中では一番高いところにある駅となっている。 


飯島陣屋本陣(飯島陣屋記念館)

長野県の史跡である伊那県庁(飯島陣屋)跡に平成5年、新築復元された。江戸時代1,677年に設立され1,863年まで伊那谷の幕府領の支配の拠点となった。当時の役所の様子がよくわかるもので、中の道具なども当時のものなどが整えられている。手にとって見ることもできる。

所在地及び問い合わせ先は・・・長野県上伊那郡飯島町飯島2309-1 電話:0265-86-4212まで
開館時間:午前9時〜午後4時30分・・・・休館日は月曜日、祝日と12月25日〜1月4日まで・・・・ 入館料は大人200円、小中高100円となっています。


梅戸神社

かつての伊那県の県社であった。伊那県関係の宝物が多いという。神殿と、伊那県知事奉納の幟(のぼり)は町指定文化財となっている。


飯島中学校と陣馬形山

 我が母校、飯島中学校と、東に聳える陣馬形山です。母校ではあるけれども、現在の建物は新築されたもので、私たちの頃はまだまだ木造モルタルの校舎でした。当時の面影は殆どありません。逆に面影を捜すのが大変なくらいです。しかし、飯島中学校も景色の良い場所にあり、南駒ヶ岳を毎日眺めながら生活ができるという環境です。


陣馬形山をのぞむ
 陣馬形山(じんばがたやま):標高1,445.3mの、伊那山脈を代表する山です。山頂(中川村)からの展望は中央アルプス全体を見渡せるほどであり、キャンプ地ともなっています。
 大きな(多分)キャンプファイヤーの時は我が家からもその火が小さく見えました。(ただしこれまで1回のみ・・それもたまたま見ただけでした。)
 この画像は飯島中学校の南方の道路より撮影したものです。


与田切公園

 南駒ヶ岳からの水を保ち流れる与田切(よたぎり)川北岸にある。農道沿いでもあり、ここでは大型レジャープール・テニス場・キャンプ場なども整備され、景色も非常に良い場所となっています。今年の春も車でのキャンパーが多く訪れていました。


千人塚

 この池は「城ケ池」といい、その周辺も併せた一帯を千人塚と言います。以前は冬になると厚く結氷し、スケート場として賑わう場所でもあったが、最近は氷もそれほど厚く凍らず、スケートもできないようになりつつあります。これも温暖化の影響でしょうか。自然を満喫できる施設などがあり、キャンプも出来るようになっています。桜・花菖蒲などが鮮やかに見られる場所でもあります。

「今から八百年ほど前、舟山城主の臣、上沼氏がここに城を構え北村城(北山城)と言ったと言われている。(中略)戦国時代の天正10年、織田信忠の伊那攻略の時、上沼左近が守っていた城は落ち、敵味方の遺体武具一式を埋めて塚としたという。
 また近世になって度々悪疫が流行したため、塚の霊のたたりを恐れて、天保15年(1,844)甲辰6月に千九人の童子の碑を建てた。それ以来毎年春秋に供養を続けてきている。」(以上町誌より抜粋)

 そしてその後、与田切川の水を巡って飯島地区と本郷地区の争いなどもあり、両地区の水不足への対策として、この池が作られました。   


天竜川

 町の東をゆっくりと流れています。この東の一帯が飯島町の日曽利(ひっそり)という地区で、飯島町の街部全体が眺められるところでもあります。天竜川ではザザムシ・鮎などいろいろな魚・虫が生息し、食べています。「ざざむし」は地元でも高級珍味で、値段も高いものです。


千人塚から飯島町街部・仙丈ケ岳を望む

 飯島町の高台「千人塚(せんにんずか)」の展望できる場所より、飯島町の街部の様子(といっても西の方)を望みます。遠くに仙丈ケ岳が展望できます。水田の多い西の地域です。