雪形紹介

 
みつかりましたか?それでは紹介します。

 向かって左より

「島田娘」・・・左を向いた「島田髪」を結って、着物を着ている娘の顔。
「駒」(左向き)・・・左に下を向いた大きな頭があり、右に胴体(首とたてがみ)が続いている。わかりにくい。

(2010年5月15日撮影 駒ヶ根市より)

種まき爺(盆踊り娘)・島田娘・駒形
 「種まき爺(盆踊り娘)」は一番左の○で囲んだ雪形です。5月上旬から下旬にかけて見られます。かごから種をまいているお爺さん(あるいは左を向いた娘が袖をたらして手を左に伸ばして踊っている)という雪形です。これは、本や新聞によっては盆踊り娘を主として、「人によっては”種まき爺”であったりする」と書いてあるものもありました。昔からは、「種まき爺」(あるいは「稗(ひえ)蒔(まき)小僧」とも)と呼ばれる、見方によって呼び方の多い雪形です。
2011年4月、とある方より次のようなご連絡をいただきました。
「古来より申すまでもなく雪形は農事暦として昭和30年頃までは苗代はじめの時期の目安として活用していました。地元の農家では島田娘と種まき爺が出たから苗代をはじめなければと言い伝えられていました。ところが最近農事暦としての活用がなくなり農家より「山や」や「写真や」が古来からの言い伝えや伝統を無視して命名しています。そんな中盆踊り娘はある人が最近(平成になってから)長野県の観光バンフレットに投稿したことから広まった。古来より言い伝えられている名称とルーツを重んじる世の中になってほしいと念ずるしだいです。」
以上のようなご連絡でした。地元では昔より愛着のある呼称で雪形を読んできたという経過の中で、そのとおり古来からの名称を大事にしていきたいものです。
真ん中の「島田娘」は非常に有名な雪形です。4月中旬から5月下旬に見られます。今では結婚式などでしか見られなくなった島田髪を結った左向きの娘さんの形が良く現れています。
 中央アルプスの宝剣岳から南に伸びてゆく稜線上にはいくつかの小ピークがありますが、その中に「島田頭」と呼ばれる場所があります。その東斜面に島田まげを結って着物も肩から胸あたりまで襟(えり)もよくわかる姿が現れるところからその名前がついています。
 横顔の初々しさとなで肩のあでやかさが形良く自然によって表現されています。秋口にも現れる雪形です。


 次に左向きの「駒形」。4月中旬から6月上旬にかけて現れます。木曽駒ヶ岳(西駒ヶ岳)に関する「駒」の雪形は、本や資料によって場所や形が異なるものが紹介されていることがあります。これは、どちらかが違うというものではなく、ここに見えているものは駒ヶ根市から見える「左向きの駒」であり、もう一つは伊那市富県貝沼あたりから、本岳と前岳の間にある中岳中腹に見られる「右向きの駒」があります。右向きの駒が「木曽駒ヶ岳」の名前の由来と言われている雪形です。(2001.5.13撮影)

宝剣岳周辺の雪形 遠望 2010年5月15日

島田娘・種まき爺(盆踊り娘) 2010年5月15日

左向きの駒 2010年5月15日

 
 下の写真は写りが良くないですが、こちらの雪形が「木曽駒ヶ岳」の名前の由来となった「駒」の雪形です。(1997年撮影)

「木曽駒ヶ岳」名前の由来の雪形

親子駒
中岳東斜面に5月中旬にはっきり現れます。「駒ヶ岳」の名称の起源ともなった雪形がこれです。右下がりで、頭が右下に向かい、前足・胴体と左斜め上に上がっていき、後ろ足となります。出始めは子供の駒を従えています。

駒ヶ根市では見ることは出来ません。伊那市の富県地区や高遠町などから見ることが出来ます。春の農作業の目安とされてきている雪形です。左の高い頂は「前岳」で、馬のしっぽ部分にあたる部分が中岳山頂、そして更に北にある頂が「木曽駒ヶ岳」です。(2001.5.13撮影:伊那市富県より)


 

ところで・・・・


下の写真の毎年現れる雪形は自分で勝手に「私の雪形」として見ていますが、どうでしょうか?こんな感じに見えませんか?(あるいはもう名前が付けられている?)

   獅 子・・・・・・左向きの足を前に踊っている獅子

 だめですか?見えませんか?見えなかったとしても、「私の雪形」というのがあっても良いのではないかと、勝手に考えているので、これまた、いつまでも「私の雪形」であり続けるでしょう・・・。