赤須喜久雄・諸国行脚「奥の細道の巻」・・・・・・< その1―D >
D 空からと、電車から見た “ 奥の細道 ” <1976年(S51)7月>
<文教社会委員会行政視察・ホケー競技場の建設と維持管理>
私が文教社会委員長(34歳)のときの研修旅行である。
≪7月30日≫AM6,48 電車で上京。羽田よりYS11で青森空港へ。とにもかくにも、生まれて初めて飛行機に乗った。青森までの2時間、緊張の連続だった。
2年前、電車で“奥の細道行脚“をしたが、今回は、片道はそれを上空から眺めるわけである。
白河、福島を通過し、蔵王の山の噴火口がよく見えた。そして山形市、芭蕉が立ち寄った立石寺(山寺)のあたりも見える。芭蕉は、この下で ・・・・・
“ 閑かさや 岩にしみいる 蝉のこえ ” と、詠んだ。
途中、気圧が不安定で随分ゆれたが、何とか無事着いた。 <浅虫温泉・泊>
≪7月31日≫
三沢市で、国体の受け入れとホッケー場の建設、維持管理など、視察・懇談。
十和田市から奥入瀬へ、そして十和田湖の休屋泊まり。
≪8月1日≫今日は、弘前泊まりである。
高村光太郎の「乙女の像」を昨日船の上から見たが、写真を撮るために、事務局の若い伊藤君がとんで行って撮ってきた。バスで、黒石市を通り弘前に。
今日は有名な“弘前ネプタ”まつりの日である。ねぶた(NEBUTA)・・・は青森市で、ここは、ねぷたで<NEPUTA>ある。
夜、町に出てみたが、ここのだしは、扇形で青森市とは違う。みんな飛び回って“ラッセー、ラッセー”と踊っていた。飛び跳ねている中へ入り、踊ってみたが、体力が続かない。・・・・・ 残念ながら、夜半から雨がポツリ、ポツリと落ちてきた。
≪8月2日≫
弘前駅発AM7時。奥羽本線で日本海側を南下。
秋田市も通過し、象潟(きさがた)が見えてきた。
“ 象潟や 雨に西施が ねぶの花 ” はせお
芭蕉が訪れた元録時代、象潟は松島と並び称されるくらい美しいところで、東西2Km、南北4Kmの潟に99の小島があり、潮の満ち引きごとに姿が変わったという。
1804年(文化元年)の地震で陸地になってしまったそうだ。
酒田を過ぎ鶴岡へ。出羽三山はここから入る。
「念珠の関」を越えていよいよ越後である。この越後で芭蕉が詠んだ句に、
“ 荒海や 佐渡に横たふ 天の河 “ がある。
直江津から長野、そして15時間の苦闘の末、「急行天竜」が駒ヶ根駅に着いたのは、PM10時だった。

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