赤須喜久雄・諸国行脚「奥の細道の巻」・・・・・・< その1―E >
E“ 奥の細道 ” PART・4 ” <1980年(S55)>
<・農村下水道“全戸敷設”の羽黒町視察>
1月の市長選挙では、下水道問題が論争の焦点になった。私どもが提案した
・〔全市・全戸水洗化計画〕についてであった。共産党議員団は、国会へ行ったり、また全国各地を、「調査・研究」など駆け巡り積極的に提案した。
相手候補は「実現不可能な、夢物語だ」・・・ と反論した。<しかし、その後の動きは、国でも、市でも野党の駒ヶ根市における共産党の提案と実践が市の方針となり実現されつつある。>
山形県羽黒町は、全国に先駆けて「全戸水洗化」をやっているという。
9月初めに、羽黒町の共産党議員の滝巌(たきいわお)さんに電話をかけた。そうすると、滝さんは「駒ヶ根には知人がいる。行ったこともある。赤穂福岡というところにいる北沢英男さんで、戦前、東京の“ばくろうちょう”で隣どうしだった。」とのこと。さっそく北沢さんのところへ行って話してみると、「滝さんのお母さんの郷里が山形で、空襲が激しくなったのでそちらへ疎開した。」そうである。
北沢さんは駒ケ根市東伊那栗林の出身で、義弟の栗林の坂井久人さんも滝さんを知っているということであった。
≪9月28日≫
AM4時、自動車にて出発。AM9時、直江津の夷浜というところに私の伯母(母の姉)がおり寄って挨拶する。ここに来たのは2度目だ。酒を1升くれた。s
12時新潟。そしてまもなく新発田。豊山(現時津風親方)の出身地ということで、「ドライブイン・ちゃんこ豊山」がありそこで昼食にする。ちゃんこラーメンのどんぶりが、なんと40cm以上もある。隣のテーブルの食器もジャンボだ。
一路北上。トンネルを抜けると山形県である。田圃の稲刈りがすんだところもあり、新潟では横に何段にも稲の束を掛けていたが、山形では田圃に何本もの杭を立てて、棒を中心に上に積み重ねている。
PM6,00 酒田着。安い民宿をさがそうということで「1泊2食=3500円」のところにお世話になった。
昔の遊郭街で、建物は古く、小さな部屋がいくつもある。かつては随分さかったのであろうが、いまはネオンもなく暗い街だ。
夕食後、夜の酒田の街を散策しようと宿を出た。“飲み放題7000円”の「酒田ハワイ」というところに入った。確かに飲み放題であったが、朝4時発の長旅の疲れで、出した金の半分も飲めなかった。
安い宿・・・ということで酒田の街をさがしまわって、3500円で泊まり、街に出て7000円使う。・・・・・ まあ、こんなものであろう。
≪9月29日≫
AM9,00 酒田市役所を訪ねる。ここでは、農村下水道を1ヶ所取り入れている。
また、公共下水道も街部の約半分に敷設されていた。終末処理場も見学したが、あの酒田の大火で焼けた地域で、防災を配慮した新しい街並みが立派にできていた。
PM1時。羽黒町役場を訪問。滝さんも来ており、説明を受けるとともに現地も見た。
ここでは、「農村下水道」がこの町の農村部に、そして羽黒山の門前町には、「特定環境保全公共下水道」が、さらに建設省の「公共下水道」と、まさにこの町の全戸が水洗化の方向で着々と建設されつつあった。
1980年(S55)現在の時点では、全国的に見てもこのような“全戸下水道化”の実践は、兵庫県の和田山町などほんの数か所だけである。
山形県の中でも、この庄内地方は昔から「進取の気風」のあるところだそうで、“土地改良、農民運動”などの歴史がある。
東北の太平洋側が“ヤマセ”の影響で、たえず冷害を受けるが、ここはそれもなく、米どころ「庄内米」として有名だ。
視察・懇談も終わり、滝さんが「俺のところをぜひ見て行ってくれ。北沢さんに話してもらいたい」・・・ と、案内してくれた。
月山山麓に広がる斜面を開墾し、ため池も造り米をつくっていた。
滝さん宅の近くには、小学校の分校があり、冬はここで勉強するという。雪が多いところで、月山には万年雪があり、夏でも遭難騒ぎがあるそうだ。
≪月山、湯殿山、羽黒山・出羽三山≫
出羽三山は、昔から修験者の山である。いまも道場があり修行している。
いまから291年前に芭蕉は、この三つの山を巡礼している。
“ 涼しさや ほの三日月の 羽黒山 ”
“ 雲の峰 いくつ崩れて 月の山 ”
“ 語られぬ 湯殿にぬらす 袂まな ” はせを
滝さんが羽黒山を案内してくれた。自動車道もあり神社のすぐ近くまで行ける。本来は石段を歩いて登るのだそうだ。杉の古木の中に大きな神殿がいくつもある。ここには、羽黒山神社はもちろん月山神社、湯殿山神社、も一緒にまつった「出羽三山神社」もあった。
石段の途中に国宝の「五重の塔」があるというのでおりてみた。うっそうと繁った林の中に、デンと立っている。長い年月のうちに雨風に打たれ、一部朽ちているところもある。何とかしなければと感じた。
月山は標高1980m、湯殿山は1504mであるが、羽黒山は数百mの低い山で、
遠くから見ればイメージダウンである。
酒田の北には鳥海山が天をついている。あの山の向こうは芭蕉がわざわざ見に行った「象潟」「むやむやの関」の地だ。
6年前(1974)に泊まった鶴岡市の“湯の浜海岸・温泉”に寄ってみた。あのとき泳いだ海辺で「観光・地引網」をやっていて、ちょうど引き揚げたところだった。
収穫は、アジが少しいただけで、クラゲがいっぱい入っていた。
今夜は、温海温泉(あつみ)に泊まる計画になっているので、道を急いだ。
海岸から少し山寄りに入ったところで、静かないい温泉地である。旅館が結構並んでいるがシーズンオフなのかお客はまばらだった。
≪9月30日≫
温海温泉に朝市が開かれていた。海のものや、山のものである。その中に、真っ赤なカブがあった。この地域にしか出来ない物だという。
杉の林を伐採した後に、枝や葉を燃やし、そのあとへ赤カブを蒔くのだそうだ。
焼畑農業の赤カブだ。 ・・・ここの特産品である。
≪出雲崎へ≫
AM8,00 温海をたち「念珠の関」をこえて越後へ。新潟から高速道で長岡へ。関越道とのJTCで北陸道に入り西山ICでおりる。ここから先は工事中で通れない。
新潟県刈羽郡西山町・・・かのロッキード被告・田中角栄の生まれたところである。
彼の家はICからすぐ近くで、家のすぐ前の田圃で中年の婦人が田の草を取っていた。「おばさんも越山会かね?・・」と聞くと、一瞬とまどい、目をキョロキョロさせながら「ハイ」 ・・・・・。
皇居をつくったのと同じ“木曽の総ひのき”造りの家だそうだが、問題にするほどのことはない。伊那谷の住宅の方が立派ではないか ・・・とも感じた。
家の裏手に「前方後円墳」のお墓があり、右翼がどなりこんだこともある。
芭蕉が出雲崎に泊まり、柏崎に向けて歩いたのもこのあたりかもしれない。
≪柏崎・直江津・そして糸魚川≫
ここで「芭蕉」とも別れて、一路、姫川沿いに塩の道を大町・松本方面に車は走る。
新潟と長野の境は、葛葉峠で頂上を100mほど入ると、温泉が湧き出ており、無料の露天風呂がある。そこは男女別々になっていた。
ここで、今回の旅の疲れをいやして帰途に就いた。
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