赤須喜久雄・諸国行脚「奥の細道の巻」・・・・・・< その1―G >
G ・ 柏崎 <1981年(S56)7月27日〜29日>
【 小規模下水道、ロックフィルダム・揚水発電】
≪7月27日≫
AM6,50。中央道で小淵沢、はちまき道路を野辺山へ、東大宇宙観測所を視察。臼田町では日本で2つしかない「田の口城の五稜郭」<函館と臼田>を見る。軽井沢、鬼押し出し、そして天明3年の浅間山大爆発による火砕流で埋まった鎌原村の「遺跡」と「かんのんさま」に立ち寄る。
草津温泉を経て白根山へ。湯釜までおりる。太陽がまぶしい。
志賀高原の「一の瀬下水処理場」へ。土の中の微生物を利用した“土壌浄化処理方式”による処理方法だ。初めて見る人が多く、処理後の水もきれいで感心している。
処理方式や建設費、維持管理費について視察。私は2度目だが“処理方法の理屈”について、知らずに私どもの提案に“反対”している人がいるので、イロハから知ってもらうために来たのである。泊まりは、湯田中の水明館。
≪7月28日≫ 山ノ内町―飯山ー新井―高田―直江津。
直江津の材木問屋でソビエトからの輸入材など見て説明を聞く。直江津港では輸入材の陸揚げ状況を見る。
≪ 柏崎 ≫ 芭蕉に随行した「曽良」の日記(旧暦)〔新暦の8月15日頃〕
芭蕉が柏崎に立ち寄ったのは、江戸を出立して101日目であった。出雲崎、そして今市(いまの直江津)に向かった。
7月4日 出雲崎出発
5日 鉢崎泊(柏崎市内)たわらや六良兵衛宅
6日 今町泊(直江津)古川市左衛門宅・発句あり
7日 今町泊 佐藤元仙宅 ・発句あり
8,9,10日 高田泊。六左衛門宅 ・発句あり
11日 のお泊 玉や五良兵衛宅
12日 糸魚川をへて市振泊。新潟県青海町。高田藩の市振の関あり。
柏崎の民宿は、海水浴場のとなりである。急きょ<タオルとひも>で、和式水泳パンツをつくって泳ぐ。夕食には、特別注文の鯛の刺身がいっぱい出た。
≪7月29日≫
“ ひとつ家に 遊女も寝たり 萩と月 ”
芭蕉がこの句をつくったのは、糸魚川の少し先である。
同行のSさんの「人生漫談」を聞きながら、糸魚川から葛葉峠を越えて大町に出る。
大町では東京電力の揚水発電所を見た。ロックフィルダムの高瀬川ダム、そして地下発電所。夜間の余った電力を利用しての発電システムに感心した。

< 柏崎港にて >
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