8、平和がみちあふれる郷土をめざして <赤須喜久雄の訴え>
赤須喜久雄・諸国行脚 奥の細道の巻 追記【4】

赤須喜久雄・諸国行脚「奥の細道の巻」・・・ 追加4、佐渡


【4】 佐渡ヶ島

 佐渡へ佐渡へと 草木もなびく 、佐渡はいよいか 住みよいか 

・・・ 寿々木米若(すずきよねわか)による、“浪曲・佐渡情話”である。
  「6人会」というサークルも「若妻会で発足」し、40年近く活動。通学路の脇に花壇をつくり、また旅行など見聞と懇親を深めている。30年くらい前に夫も仲間に。
 月5000円積立による年1回の旅行や、自由参加の旅も入れて北海道から南の八重山諸島の宮古、石垣、竹富、西表まで、よくぞ歩いたものだと感心する。
  08年3月(H20)、待ちに待った一泊二日の“佐渡ヶ島の旅”に出た。
  寺も見た。神社も見た。トキも見た。順徳院も、日蓮も、世阿弥もゆかりの能舞台も見た。ジェンキンスさんと一緒に写真も撮った。酒ものみ、肴もいっぱい食べた。

 
道遊の割戸・ 徳川初期の露天掘りの名残り

アルキメデスの法則を応用 ・“佐渡金山湧水の排水に

・・・金山への道を歩く・・・

  ボランティアガイド(市役所を退職した人)の案内で当時の道を歩く。途中まで上り坂、あとは下り坂。飯場あと、◎◎組のあと、お墓 ・・・・・
労働条件は、24時間働いて、翌日は(24時間の)休み、体調を崩せば回復しないうちに次の勤務が来る・・という過酷な実態にあった。 (いまの消防署は、24時間勤務、48時間休み) 坑内夫の寿命は、2〜3年だった・・・と。
坑道には湧水がたくさん出て、それをくみ上げるのが大仕事であるが、アルキメデスの法則を応用して、筒の中をらせん状に回転させて水をくみ出す・・・のだそうだ。
金山の周りには、遊郭もあり、 裁判所?も。
ガイドさんが、道の中ほどで、歩きながら“相川音頭”を歌ってくれた。

●1、 どっと笑うて立つ波風の   (ハイ、ハイ、ハイ)
     荒き折節義経公は      (ハイ、ハイ、ハイ)
     いかがしつらん弓取り落とし (ハイ、ハイ、ハイ)
     しかも引き潮矢よりも早く  (ハイ、ハイ、ハイ)

いつも犬が鳴くそうで、その日も「愛川音頭」を歌い出したらワンワンとないた。
       <ガイド料は、2時間2500円・おすすめ。道端の藪払いなど・・要望>

「 荒海や 佐渡に横たふ 天の河 」

  「芭蕉が書きとめたものによれば、新潟の出雲崎で句想なり、高田(現・上越市)での句のあとに記録されているので、その前後に披露されたものかもしれない。佐渡には渡っていない」
                           <角川文庫・おくのほそ道、より>


 

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