8、平和がみちあふれる郷土をめざして <赤須喜久雄の訴え>
赤須喜久雄・諸国行脚 奥の細道の巻 J

赤須喜久雄・諸国行脚「奥の細道の巻」・・・・・・< その1―J >

J  越前 ・ 鯖江 ・・・・・              < 1982(S57) >

  ・・・・・  【 福井県鯖江市 ・ 駅前再開発事業 】 ・・・・・

  駒ヶ根駅前の再開発事業が2転、3転したあげく、10転くらいしてもまとまらず、対立と混乱を繰り返している。
  そもそも、「この事業はどうあるべきか・・・から論じなければならない」・・・と、私ども共産党議員団が繰り返し主張すれども、竹村市長は、「見直しはしない」の一点張り。しかし事業は“まったく進まず、進む気配もない”
  この「こう着状況をどうするのか」。・・・ と、駒ヶ根と同じように対立と混乱で全国的に有名になった、“鯖江市”を見に行くことにした。

  ≪7月9日≫AM6,00発。
  駒ヶ根IC−伊北IC−善知鳥峠―松本―安曇村―奈川村―野麦峠。
  野麦峠から、北に乗鞍岳がきれいに見えた。ここが「女工哀史」の野麦峠だ。
  お助け小屋も再建されて、お土産を売っている。飛騨地方の少女達がこの峠を越えて、岡谷などに働きに出た。高山市まで30Kmあるがその方を見ても家が見えない。
  山本薩夫監督の「ああ野麦峠」の中で、病気になった少女が兄に背負われ、飛騨に帰るシーンを想いながらこの峠を越す。
  木曽街道を高山市へ、さらに白川街道を荘川村へ。そして飛騨街道を白鳥に、今度は越前街道を福井市へ向かう。
  わが家のお寺の、“大本山永平寺入り口”の看板を見ながら福井市へ。
  ようやく<宿泊地・越前海岸>についたときは、5時を過ぎていた。一度は通って見たいと思っていたので、それはかなえられたが、再びこの道を通って来たくない。とにかく疲れた。

  ≪7月10日≫
  鯖江駅前再開発事業は、駒ヶ根と同じように関係者の合意ができず、事業が中断した経過がある。結果として、一部に地元の商店が入り、「長崎屋」がテナントとして入っている。
  現地に来て見て、関係者から話を聞いて得た教訓は、“そもそもが大事”ということである。原点に立ち返り、住民や関係者の合意を勝ち取らなければだめだ。「合意が中途半端」だと、あとで次々と困難が生じる。・・・ ということであった。
  まさに、段取り8分である。
  この鯖江は、眼鏡のフレームの産地で、全国シェアーの70〜80%を占めているということで、サングラスをお土産にくれた。
  芭蕉は、越後から越中に入り、そそくさと加賀の国に入っている。
     ・金沢   7月15日  − 23日
     ・小松      24日  − 26日
     ・山中      27日  − 8月4日
  そして越前へ
     ・福井   8月12日  − 13日
     ・敦賀   8月14日  − 15日

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“  夜もすがら 秋風きくや 裏のやま  ” と詠んだ。

  視察から1年6ヶ月後の1984年(S59)1月の市長選挙の最中に、
  “駒ヶ根駅前再開発事業「不正裏金事件」” が発覚。次々と不正が明るみに出た。

  原点に立ち返ることもせず、見直しもしない ・・・ 結果がこういうことになった。

――― “ 世も末枯る(よもすがる) 秋風きくや 駒ヶ根市 ” ――― (き)

 


曽良 直筆 随行日記

 

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