8、平和がみちあふれる郷土をめざして <赤須喜久雄の訴え>
赤須喜久雄・諸国行脚 奥の細道の巻 追記【10】

赤須喜久雄・諸国行脚「奥の細道の巻」・・・ 追加10、若狭

【10】  敦賀・若狭

名月や 北国日より 定めなき めいげつや ほっこくびより さだめなき

  芭蕉は“名月は、北国の、ひよりあいにくで、見られず” ・・ だった。

 2008年8月、珍しいところを見て、うまい魚を食べようと、有志を募り、マイクロバスをチャ―ターしての旅だ。敦賀には何回も来ているが、若狭は初めてである。
  小浜市の“神宮寺”を訪ねる。毎年3月2日には、この寺の湧水をくみ【 2月堂のお水取りのために 】東大寺へお水送り・・・<川に流し、地中を通って奈良の東大寺2月堂横の井戸まで送る行事>の由緒あるお寺だ。この理屈だと、世界中のどこにでも水を送ることができる。 ・・・まあいいだろう。この寺の近くの、明通寺参拝・(本堂と三重塔が国宝)

  宿は、若狭の「これより先、道はありません」の看板の在る海辺だった。好きな刺身は食べきれなかった。
  翌日は、三方五湖、芭蕉も参詣した気比の明神(仲哀天皇廟)を通り、彦根城へ。
 ここでもボランティアガイドさんを頼み、井伊直弼に思いをはせながら、資料館や天守閣、庭園などを見学。

  「 鮒ずしや 彦根が城に 雲かかる 」 与謝 蕪村 よさぶそん
< よさぶそん 享保元年(1716)〜天明3年(1784)。27歳の時、師が没した後、松尾芭蕉にあこがれて、その足跡をめぐり東北地方を周遊した。【与謝】は母親が丹後与謝の出身だから・・という説もある。【蕪村は号】 >
 彦根城の北500メートルくらいにある、石田三成で名高い佐和山城跡は、三成の末期のように、なんとももの寂しく感じた。

 いよいよ「奥の細道の終点」に近づいた。
      ・・・・・私の「奥の細道の旅」では、「石巻」がまだ残っているが、おいおい計画しようと考えている。


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