8、平和がみちあふれる郷土をめざして <赤須喜久雄の訴え>
赤須喜久雄・諸国行脚 奥の細道の巻 追記【9】

赤須喜久雄・諸国行脚「奥の細道の巻」・・・ 追加9、山中温泉

【9】 山中温泉

山中や 菊はたおらぬ 湯の匂ひ 」 やまなかや きくはたおらぬ ゆのにおひ

 高鳥谷神社氏子総代会の慰安旅行である。(平成16年12月・2004)(全額自費)

  白川郷の合掌集落では、名物の“石のように硬い豆腐”を求めて街のはずれに近い豆腐屋へ。残念ながら売りきれ。大雨で大変だったがこれが思い出。
  気の毒に思ったのか林紀人さんが豆腐ににたツマミを買ってくれ、合掌造りの軒先のベンチでワンカップで乾杯。 この旅行は一杯・いっぱい飲むのが目的の一つだ。

  富山県南砺市の「木彫りの里」で昼食。
  私の息子の同級生に「杉本君」という青年がいる。彼は小中学生のころから芸術的なセンスがあり秀でていた。高校を卒業すると富山の“彫刻”の方面に修行に出た。
  その後、駒ヶ根の“河童神社のご神体の河童の像”や東伊那大久保の“秋葉神社のご神体”など、手腕を発揮し出している。砺波の彫刻の系図を見たら、「杉本」も載っていた。これから大いに活躍を期待している。

  南砺市の瑞泉寺を見学、そして高岡市の国宝・瑞龍寺。大雨の中ということもあるが、飲んでばかりいるのでフラフラ。
  12月初めで一年のうちで最も日が短い時である。宿に着いた時には外は真っ暗だった。

今日よりや 書付けさん 笠の露」 きょうよりや かきつけけさん かさのつゆ

  芭蕉は、新暦では9月10日〜17日まで(8泊)逗留した。
  腹を病んで体調の悪かった曽良と別れ、先に“むすびの地の大垣”へ行ってもらう ・・ そこで芭蕉が詠んだ句だ。四国88カ所巡りのお遍路さんを見ると、笠に「同行二人」と書いてあるが、“仏と自分”の2人旅―― ひねって、ここまできた“曽良と芭蕉の2人旅を別れる”という句である。
 山中温泉泊  山代温泉、片山津温泉、芦原温泉など何回も来ているが、芭蕉ゆかりの山中温泉は一度来てみたかったところである。
  曽良はこの付近で「 夜もすがら 秋風きくや うらのやま 」と詠んだ。

  翌日は、短い手紙で有名な丸岡城。
 「お母さん!父はさみしく逝きました」・・・上伊那民商副会長の伊藤岬さんの作が、日本一短い手紙のコンクールへ応募して入賞。岩下志麻・主演で映画にもなり、東伊那の中村家でロケも行われた。越前竹人形の里にも立ち寄り帰郷。

2日目の昼食は、越前海岸の「越の本陣」。 土産店の2階に食堂がある。役員を一緒にやった料理の達人の山越君(小、中学の同級生の)が、料理の解説と絵を描いてコピーしてくれた。

  ・小鉢=磯芽。
  ・刺身=甘エビ
   (皮をむけよ、これ常識である)、 
   さわら平造り(ぶりの幼魚)、 
   鳥賊糸造り、
   生雲丹
   (なまうに、長崎のカラスミ、
    遠州のこのわた〔生子のわた〕

   能登のうに、を日本三珍という)  
 ・蒸しもの=蟹焼売(かにしゅうまい) 
   茶碗蒸し=エビも皮をむかないと
    料理としては合格点とは程遠い
 ・蟹飯= わかめ汁
 ・漬物=沢庵、鯛味噌


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