8、平和がみちあふれる郷土をめざして <赤須喜久雄の訴え>
赤須喜久雄・諸国行脚 奥の細道の巻 K

赤須喜久雄・諸国行脚「奥の細道の巻」・・・・・・< その1―K >

K  結びの地・ 大垣 ・・・・・ 船町港を訪ねて
                                       <1964年(S39)1981(S56)1982(S57)他数回

・・・・・ 大垣は 【 奥の細道の “むすびの地” である 】 ・・・・・

 私の義兄(妻の兄)が大垣におり、昔女房も大垣で働いていた。そんな関係で大垣には何回も行った。
  街の中を流れる水門川を「遊歩道・四季の道」として、大垣城をかこむように1525m整備し、「 奥の細道結びの碑 」を起点に、住吉灯台、鯉のえさ付け場、八幡神社前、駅前通り、商店街へとつながる遊歩道がある。
  私は、大垣へ行くたびにこの遊歩道を歩き、“船町港の芭蕉の句碑”を見て帰ることにしている。
  そして、船町港の住吉灯台前にある「舟町自治会事務所」から、芭蕉にちなんだ「俳聖かるた」やガイドブックなどをお土産に買ってくる。

  芭蕉が長い旅路をへて大垣に入ったのは、8月も終わりに近い頃である。(新暦、10月10日前後)そして9月6日(新暦、10月18日)この船町港から舟にのって伊勢の遷宮参拝と、誕生地・伊賀上野への郷愁にひかれて川を下った。
  この水門川は南へ流れ、揖斐川に合流して伊勢桑名に達する約40Kmの川道である。
  江戸時代に大垣は10万石の城下町として繁栄し、この運河を利用して生活物資など運搬されていた。
  明治17年(1884)養老鉄道の開通により旅人の乗船は減ったが、貨物輸送は昭和初期まで依然として盛んに行われていたそうだ。
  現在は「船町港跡」として「史跡」に指定されている。

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         “  蛤の ふたみに別れ 行く秋ぞ  ”   


 

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