赤須喜久雄・諸国行脚「奥の細道の巻」・・・ 追加7、金沢
【7】金 沢
「 あかあかと 日はつれなくも 秋の風 」 あかあかと ひはつれなくも あきのかぜ
<金沢から小松への途中の句>
「塚も動け 我なく声は 秋の風 」 <蕉門の早世を知って・・の句>
芭蕉は金沢に10日間滞在。城下の名士達が幾度も句会をもうける。
< 曽良の体調すぐれず>
「しほらしさ 名や小松吹き 萩すすき」 しほらしさ なやこまつふき はぎすすき
石川県の小松、芭蕉滞在、「安宅の関」の記述なし。
小松ICのすぐ近くに“安宅の関”がある。海岸端、義経を捕らえるために臨時につくられた関所である。奥州平泉の藤原氏を訪ねて向かう途中、安宅の関で、「義経では」と、呼び止められる。
そこで“弁慶が勧進帳”を取り出し、読み上げる・・・・・実は、何も書いてない白紙。
歌舞伎で有名な“安宅の関の勧進帳”・・・である。海べりで、ろくな松もない。殺風景なところだ。<ここは3回訪れた>
03年6月(H15)塩田の古妻<六人会>(夫も入れて12人)
能登半島を先端に向かい進む。“総持寺祖院”を見学。我が家の菩提寺は曹洞宗・・・なんだか親類みたいな気がする。(ふだん信心深くないのに)
宿の「 輪島・ 高洲園 」で夕食後のど自慢大会があった。仲間の2人が出場したが“飲みすぎていて声が出ず”かねひとつ。
翌朝、輪島の朝市へ。売り手の老婦人は、口も手も八丁。3袋1000円の干物を買ったが、家に帰ってよく見ると、なんとも価値のない安物。「二度と騙されるものか」と、くやしがったが・・後のまつり。
白米千枚田 下時国家 上時国家などを見学して能登を後にした。

安宅の関にて 区長会思い出旅行 (02年)
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