K<第十二回> 『犯人は平沢ではない』 B氏の証言
ここで、今一度 11・PM (イレブンピーエム)に登場いただこう。
<連載第1回>《東伊那新聞NO5、1987・6・7付》
平沢死刑囚が獄死した直後、テレビ信州・イレブンPMで「帝銀事件第4弾・何が飛び出す再審模擬法廷、いま衝撃の新証言」が放映された。
そこには駒ヶ根市東伊那小学校の校舎の前に立つ、伴繁雄氏が登場し、「元陸軍第9研究所が疎開していたところ」「伴氏が住んでいるところ」と紹介していた。
元・陸軍第9化学兵器研究所、伴繁雄氏・・・そして帝銀事件・・・東伊那、一体何があったのか・・・・・と驚きテレビにくぎ付けになった人は多かった。
青酸カリではない
【質問】 帝銀事件に関しては?
【伴氏】 青酸カリの犯行ではなかった。青酸ニトリールである。判決認定が間違っている。
【質問】 青酸カリとの違いは?
【伴氏】 帝銀事件の症状は青酸カリでありようはずがない。3分から数分で効果があらわれている。
青酸カリの場合は即効果があり死ぬ。
【質問】 どこでつくった薬か?
【伴氏】 これは陸軍でつくった薬だ。おそらく登戸「第9研」でつくった薬だ。
【質問】 薬品の効き目から見て、入手出来る人は?
【伴氏】 陸軍が管理、渡したのは4、5人。犯人は平沢ではない。デッチあげである。
元陸軍の関係者がかかわっている。
【司会者】 今の証言には驚きました。今後も勇気ある証言がどんどん出てくることを望みたいと思います。
・・・と結んだ。
さて、ここまでいろいろと検証しながら皆さんとともに考えてまいりました。平沢が本当に犯人であったのかどうか、― ますます疑問は大きくなるばかりです。
また、私たちの郷土・伊那谷とのかかわりについても考えさせられます。
GHQの<超権力の壁>
今年6月(1987)無実の人を救う「上伊那救援美術展」は伊那市で開かれた。そこには、平沢光彩(貞通)の絵も展示され、特別協力の北村西望や地元出身の河野新の彫刻をはじめ、著名な画家100余名の作品が一堂に展示され即売された。
北海道・平沢貞通を救う会発行の“痛恨の画布・平沢貞通・獄中画と書簡集”― では、切々と次のように訴えていた。
平沢貞通は災害にあった。いまの世ではいつ我が身に降りかかってくるかわからない。まさに権力の網にかかってしまったのだ。
― 松本清張 ―
捜査当局は、当初、犯行態様から犯人は毒物使用になれた玄人(くろうと)― と判断し、旧軍関係の特殊任務関与者に的を絞り捜査を開始した。
ところが、捜査が核心に至った時点で、占領軍GHQから突然、旧軍関係者への捜査中止が命ぜられ、捜査の傍系にあった名刺班によって、平沢が逮捕された。
途中で急激に方針が転換されたのはなぜか?
それは、GHQ の超権力の“障壁”であった。
<つづく>
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