8、平和がみちあふれる郷土をめざして <赤須喜久雄の訴え>
上井(うわい)・下井(したい) いまむかし 6


6、水利権と「八ヶ議定書」

  − 水利権 −
 水利権というものは、「民法」第2編、物件第3章・所有権(民法第207条)の中に、その権利を明記しています。
 水利権は非常に複雑で、各水利、水利によってその権利も相違しており、慣行が優先し一律にすべての水利について規定することはできません。
  水利権は慣行が不文律(ふぶんりつ、文章としてあらわされていない法律または定め。慣行法)になっているので、自分たちのところにある権利、いままで守ってきた権利はこれからもそれを守らないと、また新たな変化については良し悪しを主張しないと、その権利を失ってしまうことになります。
  上井・下井についても「水」の先取得権(先に利用している人がいると、その人に影響がない範囲で、その人の同意を得ないと新規の水利権は生じない)との関連からも、・・水を水利権者以外にやるかやらないかは、現在の水利権者の判断によるべき問題であり、この問題については関係者みんなで考え、論議することが大切であります。
  東京の話になりますが、上野の山、あの有名な西郷吉之助の銅像のある山の地下に、都市計画によって上野駅を入れ、また商店街も入れようという計画が美濃部知事によって提案されました。
 この提案について、地元の人たち、周辺の人たちとの話し合いが進められていますが、その中でいわゆる「水利権」が問題になっています。
  山の地下にビルをつくることによって、地下水の流れが変わってしまったり、地下水が無くなってしまうのではないかと問題になっているのです。
  上野の山の問題については、関係者によって民主的に論議されて、よりよい「水」問題の解決がなされることでしょう。
  さて、話を元にもどしまして、いま全国的にも問題となっておりますが、水源地や上流における開発などのよっておこる「水」問題についてです。
  開発工事によって、必然的に地形、地勢の変化がおこるわけですが、人工の力を加えることによって、水の量的変化、質的変化が生じた場合に、下流の水利権はどうなるのかということが問題です。もちろん汚水の問題もあります。
  ・量的変化 ・・・ 流量が減る 
  ・質的変化 ・・・ 水質、水温の変化
  これらのいずれの場合にも水利権を主張できます。
  しかし、人的加工を加えない場合、また自然状況で流量が変わった場合は、文句が言えないとされています。

   − 八ヶ議定書 −
  上井・下井の水利権についてはどうなっているのでしょうか。
  むかし、嘉永年間にできた時点での約束「旧慣」どうなっているかと申しますと、上井のできた時・嘉永2年に中沢郷の関係する“八っつの村々”で  「為取替規定証文之事」という文書が結ばれています。・・・別名、“八ヶ議定書”
  その内容は、中沢から水を持ってくるので、(上井のできる以前には、本曽倉の原まで、不完全であったけれども水路が来ていた)上流の中曽倉村、本曽倉村などの既存の水利権を尊重して水を引水するということ。また取り入れ口より下流の上・下高見村、菅沼村の先取得権をおかさない、などが取り決められていました。そしてまた、水路の維持管理などについても協定されていると伝えられております。
  正式な名称は「為取替規定証文之事」となっておりますが、一般的に「八ヶ議定書」とも言われ、この「八ヶ」とは、約束を取り交わした“八ヶ村”のことであります。
  その八ヶ村とは、菅沼村・上高見村・下高見村・中曽倉村・本曽倉村・(今の中沢5部落と、東伊那の3部落)、伊那村・栗林村・塩田村・・・の中沢郷八ヶ村のことであります。そして、その八ヶ村の役人並びに願い人・世話人の一同が、充分話し合い書面を取り交わし、連印したといわれています。
  ときは、嘉永2年(1849)の春のことで、いまから126年前のことです。

   − 上井・下井 いまむかし に関連する
         土地所有権、新水利権、地下水の権利 −

  昭和47年田中角栄が自民党総裁になったときに登場したのが「日本列島改造論」でした。(超高度経済成長政策と、自らの金脈問題で2年余でつぶれる)
  この一時的流行のもとで、長野県内では、県内外の観光資本による土地買い占めが引きも切らず“開発”の声に弱い「過疎地」にねらいを定め、ゴルフ場、レジャーランドなどの開発計画をもってバラ色の夢をさそい、これに「過疎地」を重荷扱いする市町村がテコ役になって、計画もあいまいな“夢の段階”で一気に事をはこんできたのがその特徴となっております。
  そして長野県の土地は、平地といわず、山林と言わず“現ナマと大規模な開発プラン”によって、部落ぐるみ、山ぐるみ大資本に買い占められつつあり、そこの住民はもとより、周辺の住民も、生活や生命さえも脅かされつつというような危機にさらされて来ております。
 県内では、すでに駒ヶ根市に相当する面積が、大資本によって買い占められ、NHKをはじめテレビ、ラジオ、一般新聞などのマスコミも、この問題を重視して批判的に問題を取り上げています。
そこでこの「上井・下井」に関連する、土地所有権、水利権、地下水の権利などについて、少しふれてみることにいたします。

@ 土地所有権
  民法第207条(土地所有権の範囲)では、・・「土地の所有権は法令の範囲内において、その土地の上下に及ぶ」 ・・とされています。
  この問題では、いま諏訪の「霧ヶ峰の開発」で大きな問題が出てきております。
  それは、霧ヶ峰が開発されることによって、水源の汚染などの影響を受ける、下流の茅野市民から西沢知事に対して、「財産区の山を開発業者に賃貸するのは、水源の汚染などをもたらし、市民福祉に反する不当なもの」として処分の取り消しと、開発工事の執行停止を求めた“行政不服審査法”に基づく審査請求書を提出しました。
  審査請求をしたのは、「茅野市水を守る市民の会」に所属する「茅野市生活と権利を守る市民の会」の会長を総代とする16人で、請求書では、「北大塩財産区の管理者である
 原田・茅野市長が、霧ヶ峰の同財産区有地845haを開発業者と30年間の賃貸契約をしたことに対し、この契約の取り消しと、とりあえずの措置として、開発工事の執行停止を求め、また異議の申し立てをしなかったのは、市が、異議の申し立てができる旨の知らせをしなかったため」としています。

  審査請求の理由は、

問題の土地が市民の水源地で、開発によって水源汚染と自然破壊がおこる。
観光開発により環境汚染がすすみ、ゴミ、終末処理を市民が背負わなければならな
霧ヶ峰のボーリングによって、簡易水道の水が枯渇した例もあるが、賃貸契約書では地下水のボーリング取水も契約しており、地下権は財産区権利者だけがもつものでなく、違法・不当な契約だ。・・・・などというものです。
さらに、市長は財産区の管理者であると同時に、市の行政責任者でもあり、財産区有の財産の処分により市民生活に重大な影響のおそれがある場合、十分な科学的調査を行って、安全であることを確認すべきであり、調査もせずに、市議会にもはからないのは承服できない。
したがって、地方自治法第296条5項が定めた「財産区はその財産の処分については、住民の福祉を増進するとともに財産区のある市町村または特別区の一体性を損なわないよう努めなければならない。」に違反するとしています。


  ☆土地所有権 ・・・ <信毎より>
  近代国家の諸憲法では、土地所有権は「神聖不可侵で絶対的なものである」とされている。たとえば、1789年のフランス人権宣言は「所有権の神聖不可侵」を宣言。「公共の必要のあるときのみ、しかも正当な補償が払われる時に限ってこれを奪うことができる」としています。
   しかし時代とともに変わり、ドイツのワイマール憲法(1919年)は「所有権は義務をともなう」とし、わが国の新憲法もこの考え方を採用している。(29条)
   ところが、わが国では今日でも「所有権絶対」の思想が強い。最近になって、無秩序・無計画な土地利用の結果、都市、農村とも生活環境の悪化に悩まされ始めたことから、わが国でも土地所有権に社会的制約を加えようと、土地収用法の改正、新都市計画法などの法整備が行われてきた。
   しかし、まだ外国には遅れており、法律学者のあいだにも、所有権満濃思想の再検討を求める声が高まっている。


A 新水利権 −霧ヶ峰の場合―
  水源涵養地の霧ヶ峰の土地が、大手資本の手に相次いで渡り、別荘地などが計画され、水質低下が目に見えていますが、霧ヶ峰の土地が売られ、開発が進めば諏訪地方の人々が“日本一うまい”と自慢する上水道の水が、汚される恐れが十分あります。 
  これは諏訪市の上水道の検査結果にも現われています。その結果、いま「水源を汚す開発はごめん」「我々には天からさずかったうまい水を飲む権利がある」という声が高まっています。
  霧ヶ峰では住民が、「うまい水を飲む権利」いわば“新水利権”を行使した例が既にあります。昭和46年夏、諏訪市有地切り売り計画をきっかけに表面化した、下諏訪町の上水道水源汚染問題です。
  霧ヶ峰の強清水の旅館から流れだす汚水が、東保川の水源に流れ込んでいたため、町ではビックリ。青木町長みずから諏訪市にねじこみ、トイレの改善などを約束させました。
  広島県でも、し尿・ゴミ処理場建設が下流住民の「飲み水が汚れる」という反対で、裁判所からストップを命じられました。
  “新水利権”は、土地ブーム、開発ブームの中でしだいに「認知」されてきているのです。

 

 ☆広島県衛生センター事件
  46年5月20日、広島地裁で決定が下された。裁判所が「環境権」を認めたものとして注目されています。
   ことに起こりは、広島県吉田町が1級河川「江の川」の上流にし尿・ゴミ処理場を計画し、用地買収をすませ、建設の準備をしていたところ、下流1.5qの住民が「水と空気が汚れて生活できない」と裁判所に仮処分を申請しました。
  住民は、川沿いにある井戸水を飲み、渇水期には川の水で風呂をたてていました。このため、裁判所は住民の言い分を全面的に認め、処理センターの建設をストップさせました。
  その理由は、 @生存に最も根本的な水と空気が、かなりの可能性で汚染されることが予想できる。Aその汚染は、一過性のものではなく、長年継続し、また施設の老朽化によって汚染度が進む。 B健康は金銭的に保障されても、一度失えば取り返しがつかない。 ・・・などだった。


           
B 地下水の権利
  諏訪地方には、「霧ヶ峰にコヌカをまけば北大塩の“大清水に出る”(茅野市の上水道の水源地)」という言い伝えがあります。科学的な裏付けがあるわけではありませんが、地元の人々は昔からの経験から、霧ヶ峰の地下水と生活との深い関わりあいをよく知っているのです。このコヌカを途中でストップしたら・・?・・その結果を実証するようなことが起こりました。
  昭和47年11月末、茅野市豊平の小尾さんの家ではおな洗いに精を出していました。「どうも水の出が悪い。水の勢いがない、どっかで水道の水を出しっぱなしにしているのかな?」とその時はあまり気にとめなかったのです。
  この地区の各家庭では、小尾さん宅のように、自宅裏山にビニールパイプを幾本も打ちこんで取水する自家水道か、湧水(ゆうすい、わきみず)を共同で引く簡易水道を利用しています。
 ところが、水車が回るほどの水量が自慢の水道が、大みそか近くには「鼻血ほど」も出なくなったのです。
 さあ大騒ぎ、一匹数千円する鯉を親類に“疎開”させるやら、水確保の応急工事をするやら、また犯人捜しに地区内はテンヤワンヤとなりました。
 犯人はほどなく見つかりました。同地区から1q北で取水を始めた市の新水源だったのです。
 市の水道部は、11月からボーリングをはじめて、100m掘り下げて水脈を掘り当て、毎秒15リットルをくみ上げていました。小尾さんの家で「おかしい」と思ったときには、水は市に横取りされていたのです。
 市にはすぐに取水をやめてもらいましたが、一度流れを変えた地下水系は元に戻らず、被害は同地区50戸近くに及び、いまも被害は増え続けているのです。
  おりから霧ヶ峰では、土地の賃貸や売却をめぐって賛否両論が沸き起こっていました。開発に反対する人々は、「それみたことか」と反対の声をいっそう大きくし、霧ヶ峰に進出する業者が大規模な別荘地やレジャー施設のために、ボーリングしたらどうなるか・・?その結果を見せつけられたのです。
  とどまるところを知らない開発ラッシュのなかでは、いったん土地を手に入れれば、どんどん地下を掘り、高い建物をたてることが当然のように行われています。いまの「民法では」“地上権が上下に及ぶ”ことを認めているからです。
  だが諏訪地方のように、水不足に悩む地方では、生活の知恵から無制限な地下水のくみ上げに歯止めをかける動きがでています。
  47年夏、開発業者のS社が、霧ヶ峰と続きの蓼科山麓でボーリングを始めたところ、下流水利権者である茅野市大河原セキ土地改良区から「待った」がかかりました。「水利権者に無断で地下水をくみ上げるのはけしからん」。S社は「知事の認可もとったし、掘削場所も大河原セキに流れ込む2丸井戸川“の岸から30m離れている」と反論。
  すったもんだのあげく、両者は11月“地下水くみ上げで減水すれば、ポンプを止めて保証する”ことでひとまず手打ちとなったのです。
  また、県下では上水道の水源上流などでの、地下水くみ上げを規制する自治体も出てきています。
  地下水の権利について篠原昭次早大法学部教授(民法)は「地下水は流れており、川の水と同じように地下水もみんなのものだから、100人の権利者がいれば、一人一人は100分の1しか水を取る権利はない」と“地下権”の考え方をとり、これからは地上権が万能でないことを主張しているのです。

 

☆ 地下権
 わが国の民法では207条によって、土地の所有権は法令の制限内で、「その土地の上下に及ぶ」とされている。地下水くみ上げも、その土地の所有者の権利と裁判所が認めたケースも多い。
  しかし、昭和13年6月28日「井戸を深くしたため、隣の井戸の水が出なくなった」という東京の損害賠償事件で、「他人の権利を侵害しない範囲で」という大審院判決が出て以来、“制限付き”となっている。
  最近では、もっと積極的に「地下権」という考え方が出てきた。
  「地下権」は「空間権」と呼ぶべきもので、考え方は「日照権」とおなじ。
「日照権」は、昨年昭和47年に最高裁で認められたが、これは「太陽はみんなのもので、建てることによって奪ってはならない」という考え方による。この考え方を地下に当てはめれば、たまたまAという地主の地下を、水が流れているか
らといって、その水全部をAのものとは限らない。
 下流でこの水をくみ上げている住民がいれば、水はこれら住民にも権利がある。
  だから地下水が横取りされたり、横取りされる恐れがでたときは、住民はこれに“待った”がかけられる。
  裁判でも、住民側に軍配が上がるケースは今後増える傾向にある。(篠原教授)という。


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