平和のモニュメントを訪ねて(記念碑、記念物)
《第6回》 “731部隊長・石井四郎発明の濾水機の部品”


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◎モニュメントのあるところ・長野県駒ヶ根市東伊那伊那

◎なにがあるのか?
 石井四郎・発明の「濾水器」の部品、大量に現存
 731部隊長・石井四郎が発明した濾水器の部品である“濾水管”が、いまも大量に山積みされています。その数1000本余。(直径8.5cm、長さ46cm)
 それを知ったのは、赤穂高校平和ゼミナールの生徒たちが、元・陸軍第9技術研究所(別名、登戸のぼりと研究所)の伴繁雄(少佐)氏を駒ヶ根市東伊那の自宅に訪ねたときに、伴氏から「大量にある」と知らされたからです。
 731部隊と陸軍第9研究所、そして陸軍中野学校とそれぞれが密接な関係のもとに、謀略をもって侵略戦争を推し進めたことの“証拠品”が身近にあるとは驚きでした。

◎石井式濾水器とは?
 「石井式濾水器」とは、のちに陸軍防疫給水部と石井四郎の名を前線にとどろかせた細菌ろ過器である。珪藻土を焼いた素焼き陶器からなるろ過室に、汚水や河川水を通し、素焼きの微細な粒子を通過させることによって細菌を排除し、安全な飲料水を確保することができる。濾水管はその部品。

◎なぜ、駒ヶ根市にあるのか?
 なぜ駒ヶ根市にあるのか?・・・それは、「登戸研究所」が川崎の登戸から伊那谷に疎開した1941年(s20)5月、列車にて大量の荷物が運び込まれました。その中に濾水器やその部品がありました。終戦とともにそれは不必要となったのです。

◎当時の金で5万円の贈収賄事件。
 1931年(s7)春のことである。
 東京・牛込神楽坂の料亭街で毎夜豪遊する男がいた。戦前の神楽坂は、芸妓置屋だけで十数軒をつらね、農村から身売りしてきた娘たちが身を沈めた花街である。
 「このごろ神楽坂の料亭に毎晩のようにあらわれ、湯水のように散財する若いお大尽がいる」こんな通報が、ひそかに料亭関係者から所轄の牛込警察署に持ち込まれた。
 牛込憲兵隊は内定を続けた結果、“客”が当時陸軍軍医学校教官、三等軍医正であることを突き止めた。
 石井軍医正は、多額の遊興費をどこから捻出するのか?・・ここにおいて「帝国医療株式会社」という医療器具メーカーの存在が浮かび上がった。
帝国医療は、石井四郎軍医正の発明した「石井式濾水器」の製造を陸軍から一手に受注していた会社である。
 憲兵隊は、帝国医療が「石井式濾水器」の一手生産を引き受け、陸軍御用商人として急成長して行こうととする裏に、石井四郎軍医正との莫大な贈収賄疑惑があることを察知した。ただちに帝国医療関係者、石井四郎の双方を逮捕した牛込憲兵隊は、当時の金で5万円という巨額の金子が動いた事実を知ったという。

☆たずねる人・・・ Aちゃん
 繁雄氏が存命中は、住宅の軒下に積んであったが、しばらくぶりに訪ねると、部品の大半が花壇に使われていた。時代が変われば価値観も大きくかわるのであろう。

メ モ<731部隊とは>
・満州第731部隊(関東軍防疫給水部)、日本陸軍の細菌戦部隊
・世界で最大規模の細菌戦部隊は、日本全国の優秀な医師や科学者を集めて、3000人の捕虜を対象に生体実験を行い、細菌兵器の大量生産を急いだ。
・この技術とノウハウは、現在の米軍生物化学戦部隊に受け継がれている。
・第731部隊の記録は、終戦と同時に完全に抹消され、戦史の空白となっている。
・最高責任者―石井四郎中将は戦後何らの責任も問われていない。
○神楽坂のお大尽<石井四郎>
このホームページの、8・平和がみちあふれる郷土をめざして、のなかの
B「人体実験・731部隊・陸軍中将、石井四郎」と長野県伊那村・・・に。さらに、
D「高遠藩3万3000石、百姓一揆物語」のその3「私的考察、@内藤新宿・歴史散歩の(3)神楽坂3話【その1戦前】」・・・でもふれていますので見てください。