平和のモニュメントを訪ねて(記念碑、記念物)
《第7回》 “赤穂防空監視哨跡地の碑”


平和モニュメント>>>

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◎モニュメントのあるところ・駒ヶ根市文化センターの西南、平和の森

◎碑はいつたてられたか? 1995年12月(H7)

  耳を澄ませて  空を見つめて
 1941年4月11日(s16)から太平洋戦争集結の日まで、東部軍司令部と長野県警察部により、この地に“赤穂防空監視哨”が設置された。
  伊藤喜一朗氏を哨長に、県知事任命の青少年50余名が、ここで、厳寒酷暑の風雪をしのぎ、昼夜の別なく気力を集中して、爆音の聴取と機影発見に努め国土防空の重責をになった。
  戦後50年にあたり、当時の勤務者有志相計り、平和の森と変わった跡地に、記念碑を建立し、恒久の平和を深く祈念する。
                     関係者34名連記
                                    平成7年12月吉日建立之

◎監視哨でどんな事がされていたか?
 当時ここは“観成園”という公園で、池があり、池の南に高い土塁にかこまれて、2坪ほどの監視所があり、そとに6坪くらいの休憩所と本部への直通電話があり、上空を通る飛行機を伊那の本部へ報告することでした。
  監視哨には、哨長1人。班が3班あり、1つの班の編成は、副班長1人と哨員6人。勤務は2人が外で立哨1時間、2人が通信1時間、残る2人は控えで24時間交代となっていました。

☆たずねる人・・・ Aちゃん
 昭和25,6年(1950)頃、小学校の遠足で当時公園であった“観成園”で休憩しました。私の記憶では、公園に池があり水泳が出来るようにロープが張ってありました。
 その後この地は昭和病院となり、さらに現在の駒ヶ根市文化センターとなりました。(文化会館、博物館、図書館、さらに特別養護老人ホーム「観成園」など)
 ここにも戦争があったのだと思うと、感慨深いものを感じました。