8、平和がみちあふれる郷土をめざして <赤須喜久雄の訴え>
ある城下町の町長選挙・顛末記


●与謝野晶子・
 大山郁夫・
 鈴木貫太郎と伊那村

●「帝銀事件」と長野県 ・伊那村

●「人体実験・731部隊
 陸軍中将石井四郎」と
 長野県伊那村

●登戸・伊那村・
 帝銀事件

●高遠藩 3万3千石
 百姓一揆物語

●ある城下町の
  町長選挙・顛末記

●上井・下井
   いまむかし

●終戦直後・お祭りに“花火”を打ち上げた話

●ある女性の
  崇高な思い

●諸国行脚
  奥の細道の巻

●真珠湾攻撃 日米開
 戦の日の朝と昼と夜

●劇画「赤須きくおの
  すべて」

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《 いまから20年ほど前(90年代初頭)のドキュメントである》
・明治維新、版籍奉還、廃藩置県から約140年後の町の姿は?
・町の仮の名は、殿様の苗字の内藤町。
・町長候補者は下級武士の末裔M、I氏
・議員歴30年余の超ベテラン。 
(数字など記憶違いはご容赦を。私的メモ・2009年記)


◎9月14日(月)
 スナック・“R”の飲み友達が、立候補宣言
  Mさん宅の近くに「スナック」がある。Mさんはしょっちゅう入り浸っているそうである。そこの飲み仲間が、Mさんを町長選挙に出そうじゃあないか・・といつも飲みながら、町政を論じ話し合っていたようである。
  九月に入り選挙が近くなったある晩、本人がいないところで“立候補宣言”が行われた。Mさんは別の会議でそこにはいなかった。
  現在の町政に対する不満がいたるところで渦巻いていることの証明でもある。

・激励の投書三通 9月23日に記者会見をして以後、町民からの手紙やTELが多数よせられた。

 

@  本日立候補表明の新聞を拝聞しました。貴、M先生の大壮挙は、天の声であり、8000町民の切実の声であることを、私はまず第一に申し上げます。(中略) 私たちは同志を結集して、全力を傾重して、M先生に全力投球をすることを誓い、誠に愚便ですが激励の言葉とします。
・二伸  私は第一回、第二回の町長選のときは、現町長のために献身的に努力をしましたが、今回は全く違います。 
A 町民の声です。立候補大歓迎します。(後略)
B  日本の公園内で商売しているところはN町公園だけです。
町長六期、退職金一億円。町民負担。

☆わが党は、9月議会への取り組みの時点から町長選対策を進めてきた。


◎9月17日(木)
 立候補決定・激論百出の後
  9月17日、支部会議で論議、決定。
  いろいろと意見が出たようである。“停滞マンネリ町政を、町民本位の活力ある
町へと、大きく流れを転換させよう“と一致して決定。
  稲刈りが忙しい時期に・・・という気持ちもあったようである。

・奥さん怒る。飯を食べさせてもらえず
  翌朝、9月18日(金)AM7時30分〜8時30分。「町政の現状と問題点。争点、重点政策など」記者会見で発表する文書の準備のために、N町の事務所へ。
  町議のTさんと検討しているところに、候補者の奥さんよりTELあり。電話の向こうの声は怒っている。
「いったい誰がたきつけているのか?。3,4人の衆がけしかけているだけではないのか。毎日飲み屋へ行って、飲んでばかりいるものが。それに家のこともろくにしないものが、町長になって何ができるものか。今までいやな思いばかりしてきた。迷惑なことだ。やめてもらいたい。私はやらんでない。絶対反対だ。」・・・ETC ・・・と、奥さんの口調は一方的にとどまるところがない。T町議は口をはさむ余地もない。
「話にゆくで」と、ひとまずTELをきる。
  後日、大御所のS,Sさんに説得に行ってもらった・・・ が、怒りはしばらくおさまらなかったようである。候補者の話によると「飯を食べさせてくれないので、ご飯に玉子をかけて食べていた」そうである。

◎9月23日、記者会見
  「町民本位の町政をつくる会」略称「町民の会」から立候補する革新共同候補の、立候補記者会見が行われた。候補者Mさんは意気軒昂である。


◎10月初旬
  神様のご託宣・・

“はじめはいろいろあるが、後は良い結果が出るでしょう”

神様@
  合併前の旧村Mの山の中に、願いをかなえてくれる神様がいるそうである。
  Mさんの支持者が、貢物をもって候補者をつれて拝んでもらいに行った。この神様の信者は全国的にいるそうで、北海道からも拝んでもらいに来るということである。
  神様のご託宣は「はじめはいろいろあるが、後は良い結果がでるでしょう」という話でした。

神様A
  候補者の奥さんの弟が東京の佃島にすんでいる。その弟さんは、何かあるときには“拝んでもらう”そうであるが、今回の立候補にあたり東京の祈祷師に拝んでもらったようである。
  その祈祷師は候補者の生年月日をきいてから・・・ご託宣。
  「この人は人望がある。良い結果がでるでしょう」
  告示前のこの2つの“神様のご託宣は”選挙戦の中でユーモラスな出来事として、ジョークの対象として、愉快な選挙戦となった。


◎10月12日(月) 告示前日
 “頑張れば当選できる”

《 決まっていた事務所開きの会場がダメになる 》

  AM8時、ジャンパーに、カバンをタスキにかけた候補者が事務所到着。これが有名な“Mスタイル”である。
  とにかく元気が良い。現状での情勢分析を“一席”披露「勝てるのではないか」・・・という。地域ごとの分析も甘いが、リアリティーもある。
  知事選挙の選挙カーがきて、「明日から町長だ」・・・と背広に着替えて街の中で意気高く街頭演説。
  奥さんも野菜を持って炊き出しに来る。表情が少し硬く挨拶もなし。
  昼ごろに「大失敗しちゃった」と候補者が帰ってきた。何かと聞くと「明日の夜の事務所開きの会場を借りに農協へ行ったら、相手候補が全部借りていて、借りられなかった」ということであった。
  すでに、通知はだしてある。奥さんや、おばさん(前町長夫人)から怒られている。候補者は「過去のことを言ってもしょうがない」と防戦一方である。
  事務所びらきの場所の一件は、夜中に候補者宅にきまった。

“その対応を誤ると、
    抜き差しならないはめにおちいる段階に近づいている“

  告示が近づくにつれて、マスコミが「町長選挙の課題」などの特集を組んだ。全体的には我われが分析した認識と共通した見解である。
  若者定住とお年寄りの福祉問題。さらに、“桜からのまちづくり”の問題である。とくに「日報」は、桜と老人問題と若者定住を指摘し、「その対応を誤ると、抜き差しならない羽目に陥る段階に近づいている」と書いた。
  記者会見で発表した「選挙の意義と争点、町民の会の主張と、六つの重点政策」への共感がそうさせているのである。
  事務所の壁には、激励の手紙とともに、その記事のコピーが張りだあしてある。

候補者Mさんは、この町の救世主

町の共産党の支部長は、「今回の町長選挙は、一石を投じた。20年ぶりの選挙ということは、町民の40歳以下の人は町長選挙をしたことがない・・ということである。そのことが大問題だ。選挙をやることが町民のためである。まさにM候補者はこの町の救世主だ」
・・・五日間の選挙中の政策をどうするか論議し、レタリングと印刷までの手配をまかされた。駒ケ根のKさんに依頼。


◎10月13日(火) 初日・選挙告示日

    かたや、祈祷師のご託宣・“当選”
     こなた、ポスターはりでカンパ・一万円をもらう


  AM5時起床。昨夜依頼したチラシのレタリングをKさんが徹夜で作業してくれたのを取りに行く。AM5時40分、ベルを押し。起きてきて「ボリュームが多くて、A3の大きさで書いたのでB4に縮小してほしい」とのこと。
  AM6時10分。伊那市の民主会館(地区委員会事務所)にはS氏が待っていてくれて印刷開始。地区委員長も起きてきた。3000枚の印刷に1時間以上かかる。
  AM8時、N町の選挙事務所へ。ところが、一字間違っていた。“国保料を値下げします”の<下>が、<上>になっている。全然正反対だ。3000枚の修正に3時間以上もかかった。“日本語も記号だ”とつくづく感じる。上を下に修正していると「人手が足りないのでポスターはりに出てくれ」と言われたが、(県知事選の最中であり、自分は駒ケ根の責任者)早く駒ケ根に帰らないと・・・と気がせく。
  朝、チラシを届けてすぐに帰る予定が責任上昼過ぎになってしまった。
  選挙ポスターは、コンビニのカラーコピーだが、技術がまだ未熟なために、候補者のおでこが光っている。“後光がさしている”という町民もいるようである。
  80過ぎのおばあさんと若い20代の独身の女性が組んだポスターはり隊が帰ってきて、おばあさんが「同級生のところに寄ったら、選挙カンパを1万円くれた」とのこと。今回の選挙への期待が大きいことの証明でもある。

   神様も勝利の力を与えてくれる
  初日に候補者カーに同乗した人から聞いた話であるが・・・
  町内を一巡したときに、山の上の神様のところに寄ったそうである。祈祷師が拝んでくれて、候補者にも、アナウンサーや運転手、応援の弁士にも勝つための力を与えてくれ、“当選を”御託宣(神が、人の口を借りたり、夢に現れたりして、意思をつげること)してくれたそうである。
  帰りに神様が、酒=10本と10万円の陣中見舞いをさずけてくれたそうだ。

   若い運動員が多い
N町の選挙は、いつも飯島町の町議選と一緒で、来たことがなかったが、今回初めて顔をだした。若い人が何人もいて頼もしい。
  誰が立候補の届け出にゆくのかと心配していたが、二人の労働者が会社を休んで行ってきた。初めてみる顔である。アナウンサーも若い女性だ。
  聞くと、諏訪市や茅野市へ越える峠に近い○○集落(部落)の人たちで、山の中の部落で“赤ん坊の泣き声が聞こえる唯一の部落”と言われているようだ。
  過疎と人口減が大問題の町の中で、喜ばしいことである。

 夜の事務所びらきには、予想をこえる100人もの町民が集まった。
 初日の応援弁士は、林・駒ヶ根市議、桜井・辰野町議、小林・宮田村議。長谷の宮下村議は選挙前から終始入る。チラシ配布隊は多数応援。


◎10月14日(水) 二日目
 神様・山をくだって選挙運動をする
  候補者を先頭に、すさまじい意欲的な選挙をたたかっている。
  早朝から朝立ちを、町の西北の入口でする。反応が非常に良い。
山の中の祈祷師が、事務所へ陣中見舞いに来た。信者にはみんなMさんに投票するように頼んで歩いているとのことである。まさに“神様が山から降りてきて選挙運動をしてくれた”のである。
この日の、神様からの陣中見舞いは、酒=10本と、金50万円であったとか。今までのトータルは・・・???“なんだか頭の中の数字が混乱してきた”

   ネズミもよってくる
  選挙事務所は、T町議の自宅の居間である。2階建て古屋を改築したものだが、選挙事務所としては10坪余位しか使えない。
  幕末から明治の初期にかけては、内藤藩の藩士であり初代の東京学芸大学の学長・伊沢修二の弟、多喜男(和歌山県知事など歴任、息子は、劇作家の飯沢匡)の別邸の庭があったところだそうだ。飯沢匡氏と89年に神楽坂の日本出版クラブで会ったとき「僕も高藤とかんけいあるよ」との話がありました。
  さて、事務所の天井(2階とのあいだ)には、鼠がたくさんいる。時どき運動会が激しくおこなわれる。“過疎とマンネリの町政に不満を持ったもの”が集まってきているのであろう。
  昨夜、台所に置いたネズミ捕り器には、3匹がかかりピクピクしていたそである。 追記・投票日の夜泊まり、19日の朝も、一匹がかかっていた。


◎10月15日(木) 三日目

  候補者の情勢分析・「当選の見込みあり」
  昨日は顔を出せなかったのでAM7時すぎにN町に向かう。
  伊那市境の橋のたもとで候補者とT町議が朝立ちをしていた。候補者は非常に元気が良い。
  気になっていたことが二つあった。@つは、初日に出したチラシが全戸に届けられているか?。Aつ目は、今までに出したチラシを綴じてパンフをつくることになっているが、それがどのようになっているか?。ということである。
  初日も、二日目も大変忙しかったようで、人手が足りず苦労しているようである。
  AM8時30分から上伊那地区の会議が招集されているので、短時間にパンフの表紙を作り、伊那へ向かう。8時10分を過ぎていたが、橋のたもとでは、引き続き手を振りマイクで訴えている。
  会議後、地区委員長が「俺も行くので、先に行って次に出すチラシの相談に乗ってほしい」というので、昼近くにN町へ行く。しかし、待てど暮らせど来ない。地区に電話すると「辰野町へ行った」とのこと。「部下を戦場に出して、司令官が“とんずら”したのでは、部下は討ち死にだ」と、冗談を言っていても仕方ないので、すでにY君が用意していた“南箕輪村の共産党村政の実績と共産党の役割”などを参考にしたチラシ《共産党だから、という考えの方に》・・・をY君と一緒につくる。
  昼に候補者が遊説からかえってきた。元気が良い。食事中も、休憩中もタスキを取らずにいる。昨夜、寝ながら町内の選挙情勢の分析をしたというメモを見せてくれた。
  「地元(旧村K)は半分以上。旧村Oは少し低いが、旧F村と旧M村は思った以上に感触が良い。・・・」と、いうことで、数字を見せてくれた。
  明日配布するチラシを3000枚、初日に出したのを1000枚追加印刷。さらに、パンフNO1を200セット。さらに選対ニュースの印刷をA氏に頼み、チラシを取りに来たM氏とともにパンフの製本。選挙事務所から「Mは何をしているのか?」・・・と催促がくる。

 歴史的な選挙に確信を持って
  選挙戦も中日である。情勢は非常に良い。町民の期待と関心、支持も急速に盛り上がってきている。必ず意義ある、歴史的な選挙になるであろう。
  運動員は少ないが、みんながそのように感じ、確信をもって活動している。また、町内のいたるところで“勝手連”的な動きが見えてきた。
  候補者の奥さんの顔色もいい。事務所へ行ったときも、また帰るときにも、手をついて挨拶してくれる。親戚の人たちも真剣に協力してくれる。ありがたいことである。
  本日の弁士、駒ヶ根の伊藤さん、小田切・宮田村議、木内・伊那市議、三沢・南箕輪村議。


◎10月16日(金) 四日目
  「情勢は、ますます良い」
  地区委員長から「N町に少し来れないか」とTELあり。昼過ぎにゆく。
  候補者の情勢分析は「ますます良い」という。「本当かなー」というと、候補者は「皆さんは疑いの眼(まなこ)でみているが、有権者の実情を知らないからそういうが、俺が直接話した感触では、このまま行けば当選だよ」・・・当選する気だ。マー楽天的にやるのも良いことだ。
候補者は、日を追うごとに意欲的、戦闘的に選挙に取り組んでいる。前衛党員としての43年。9期30年の議員としての「町民こそ主人公」の信念を貫いてきた活動経験を、マンネリ町政を打ち破り、若者が住み、お年寄りが安心して暮らせる、あたたかな日本一の福祉優先の街づくりのために、先頭に立って頑張っている。・・・いい候補者である。
  候補者が遊説に出てから本当の情勢分析。明日、最終日に出すパンチの効いたものを出すことになる。夕方までに仕上げて3000枚印刷。

<町民こそ主人公。あなたの澄んだ目で選んでください>
  PM、「日報」の記者(白鳥)がきて取材。「その対応を誤ると抜き差しならない羽目におちいる段階に近づいている」と書いた記者だ。
  「たしかに、町の中心部と候補の地元(旧K村)雰囲気は良いが」・・・と言ったが、こちらの「情勢は五分五分、勝敗は今後の取り組みいかん」との説明に、眉にツバして聞いているみたいである。

   “天国の人にも、選挙ハガキがとどく”
  夕方、郵便局の人(息子さんと同級生)が来て、「宛名が間違っているのがあるので直して出したらどうか」と好意的な話。そのほかに、昔はN町の有権者で、いまは町外に出てしまった人へのはがきが○○枚もあり、「届けようがない」とのこと。どうしてこうなったのか聞いてみると、8年前の有権者名簿を使っているそうで、死亡者にも選挙はがきが何枚も届けられているようである。
  選挙前に新しいのを取る論議をしたが、「これでいい」ということで、選挙に入ってしまったようである。八年前の有権者名簿を使っている・・・信じられないような本当の話である。

   山奥の暗闇に懐中電灯の灯(ひ)
  次の日に聞いた話であるが、I支部長の体験談についてである。
  「旧M村の山奥にチラシ配りに入ったが、すごい状況だった。暗くなってから訪ねると本当に喜んでくれて、もっと上にも行けと言ってくれて、ゆくと、懐中電灯を振って待っていてくれた。支持はすごい。」「山の上の神様のところに行ったら『よく来てくれた。良い結果が出るよ』と励ましてくれて『これをもってゆけ』と酒を10本くれた。」・・・と興奮して語ってくれた。
  その支部長は、選挙運動に夢中で自分が招集した「常会」があるのを忘れていて、集会所のカギが開かないために、常会長が帰ってくるまでみんなが外で待っていたそうである。

その夜の“わが家の会話”「奥さんも安心していていいでしょう」
  候補者が“いつも入りびたている”・・という評判のスナックのママは、真剣に選挙活動をしている。私設「選対委員長」である。
  毎日、昼間は選挙事務所へ顔を出しているという。今日は候補者カーのアナウンサーだ。まだ見たこともない“話題の”「スナックのママ」はどんな人だろうか?・・・・・。
  夕方、候補者カーが帰ってきてママも下りた。いろいろと町政について話をしたが、非常にまじめで、誠実で、情熱的な人である。
  この日の夜の、我が家での会話の一部。
   女房・「スナックのママってきれいな人?」
   答え・「奥さんも、安心していていいでしょう」 ・・・以上。

      本日の応援弁士・木内、小林、西村伊那市議、林奉駒ヶ根市議、


◎10月17日(土) 五日目・最終日
  < 山が動き始めた >
≪ 町民も、神様も、仏様も ・・・みんな味方にして 》

  スナックのママの話(選挙事務所にて)「現町長は、東京にマンションが二つある。町長は『息子の家だ』と言っているが、ただでさえ過疎で若者が町を出てゆくことが大問題なのに、若者定住のために、この町に息子の家をつくるのならともかく、そんなことは全然考えていない。そのことをみんな知っているし、怒っている」

 
候補者・街中心部をパレード
  AM9時40分〜「知事選挙の県民の会」の大型宣伝カーとドッキングして、駅前(自動車の駅)で街頭演説会。終了後、パレード。参加者の若さが目立つ。
街の商店の人は何事が起きたのか?と、ビックリしている。 
  最後のチラシを全戸に配布する日だ。運動員はみんな、早朝から自分の分担地域を配り、未配布の穴がいっぱいあるので連続出動して頑張っているが、それでも人手が足りないように見える。
  弁士、県議候補の小林伸陽氏と助手2人でK部落に入る。まさに選挙日和である。私も家からバイクを持参でチラシ配りだ。昼までに演説5回。チラシも午前中にはk部落の全戸に入った。感触は良し。

  候補者の票読み<空気読み>・・・それじゃあ当選だ!!!。
  候補者が、例によって、「票読み」を披露した。
  「地元(旧村K)は、6〜7割。町中心部は6割。山間部の旧村のO,F,Mは、3割。・・・と言ってきたが、これよりもっと良い。FもMも五割を超えるかもしらん」という。
  支部長のIさんの居住地での状況は「二十数戸のうち、ダメな家が五軒であとは支持してくれている。支持が75%だ」・・・「それじゃあ当選だ!!」

  
PM,木島代議士も来援。夕方から、街中心部で演説
  チラシ配布隊も2ラウンド、3ラウンドでの活躍だ。旧村Fに入ったI君は、チラシ配布中に支持者から、ビールを飲まされる。コップ一杯ではなく、大瓶一本丸ごと飲んだそうである。
  PM、町の選管から“選挙違反”とのTELが来る。私が、町役場に直接出向いて選管事務局長と話し合いを行う。選管の指摘は3点であった。有権者からの指摘があった・・・(相手側の陣営から)ということで。
@ 今日全戸配布している号外は、号外ではなくチラシではないのか。
A 号外を配る時に、家の中に入り声をかけて配っている。
B 町民の会のパンフ車が、M候補者の名前を連呼している。
ということであった。
@ は正当な号外である。AとBは気をつけます。ということで決着。
Aは、運動員の個人的な意気込みで。Bについては、「先ほど峠のほうに行った車が、連呼して流しているのを、役場の中でも聞こえた」という。
  最終日になって相手側から幾度も選管に申し入れがあるということは、相当敏感になっているということだ。

<< 歴史の町・の歴史的な選挙 >> 
   湖衣姫も由布姫も、絵島も、竜勝寺山の姫小松も、
     山の上の神様も・みんな味方にして !!!

  この町は歴史の街である。戦国時代にT氏が治めて以来、明治維新まで上伊那の中心地であった。その間、いろいろなドラマがあった。そのゆかりの寺や社が多い。武田勝頼も弟の仁科五郎盛信も、さらに徳川3代将軍家光の弟、保科正之も、この地を治めていた歴史がある。今でも、勝頼の母の墓や、江戸時代の大奥女中“絵島”のゆかりの施設や墓もある。
  夕方が近くなっても、全戸配布地域にいくつかの穴がある。一つの地域は昨日も入っていない。配る人がいないので自ら行かざるを得ない。T町議と分担して飛んで配った。汗びっしょりだ。その地域には二つの寺があった。
  「絵島」の寺に行き、“お大黒”さんと思わしき女性に号外を渡し「町長候補のMをよろしく」というと、「あら、○○さんでは」と、俺の名前を言うではないか???。「なぜ、私を知っているのか?」と聞くと、女性は「この寺の娘で、駒ヶ根の日蓮宗の寺に嫁いでいる」・・・とのことであった。中学の同級会の厄年の“お経”は駒ケ根のその寺でお世話になったことを思い出した。。
  もう一つの寺にも行き、支持を依頼すると「頑張ってください」と励ましてくれた。
  役場の西に「湖衣姫の墓」と案内標識のある寺もある。勝頼の母の墓だ。新田次郎の原作でテレビの大河ドラマになり、観光客が押し寄せたそうだが、同じ題名の井上靖の「風林火山」では、「由布姫」である。作者が諏訪の出身で「湖衣姫」、井上靖は大分県の由布岳のふもとの湯布院町で書いたので「由布姫」である。この町は由緒ある寺が多い町だ。
  今日の昼前に入ったK部落では、“竜照寺山の姫小松”のうたで名高い寺の和尚さんが、わざわざ車を止めて街頭演説を聞いてくれて激励してくれた。まさに神も仏も味方にした選挙である。
  号外もほぼ入れきる見通しがついた。
  「いい思いをしながら、“みんなで当選の夢を見ながら”選挙運動ができて本当によかった。」・・・と、思いつつ城下町を後にして駒ケ根に帰る。今日は知事選挙の最終日だ。

<チラシ発行(印刷)枚数>

   選挙中
初日@「いま流れを変えるとき」  4000枚
A 4日目「K党だからというお考えの方に」 3000枚
B 最終日「あなたの澄んだ目で選んでください」 3000枚
C 県知事選・民主長野号外ジャンボびら 5000枚
D 町政パンフ  300部
 選挙前
@ 立候補発表、重点政策   2500枚
A 若者が住み続けられる活気ある街に 2500枚
B 桜より暮らし、福祉優先。
  5億円もらって「以上です」とは
3000枚
    23000枚 + パンフ300 ・・・であった。

◎最終日の応援弁士・木島ひでお代議士、伊那市原市議、小林県議候補。

 


◎10月18日(日) (投票日) 


  現町長 ― 桜 = 0 

<・・現町長から桜をマイナスすると、結果はゼロ である>
  朝、スプレーによる落書きを、町内二か所で発見。「M候補派が書いたのか」とTELあり。1か所は現町長宅近くの国道の石垣。2か所目は、M候補事務所近くのガードレールに書いてあった。
  現町長の謀略と我々は見るが、「町民の気持ちの表現でもある。」もっと早く、選挙が始まる前に書いてもらいたかった・・・といった人も。
  AM・(相手側の情報)昨夜の現町長派の個人演説会(町全体の決起集会、町福祉センター)の様子は、当初は400〜500人を集めて圧倒する・・・という目論見もくろみ。であったが、実際に集まったのは、200人であった。それも、時間より大分遅れて開会した。
  AM・今回の選挙に「よく立ってくれた」という町民の声が多いということは
・金丸信をやめさせたのも、・町民にしても ・・・庶民のエネルギ        はある。・・・ということである。(坂)
  PM7時30分「今回の選挙では、町政の分析が良くできていた。争点も、対決点も明確になり、的確な政策も提起できていい選挙戦になった。」(山)

   大勝利だ!町議選に5人出せる
  PM8時、候補者宅にて約40人で開票を待つ。はじめに知事選挙の結果が出る。そして、PM9時すぎに町長選挙の結果が出た。37.1%。大勝利だ。
  <翌日の地元新聞の見出しをひろってみよう>

   ・現職町長六選。「厳しい審判」会場は落胆の雰囲気。
        「責任ズシリ、多選の弊害どう克服」

   ・M氏大善戦。新風もとめ批判票の山 !!!

   ・M氏勝利に近く。M氏の追い上げ今後の町政にも影響

<候補者・健闘の弁>
    悠々と当選するつもりで戦った。今回の2097票という得票数は、町民からはっきり支持されたことのあらわれだと思っている。私が選挙戦を通じて主張してきた内容で、これからの町政を運営してゆくべきだ。
    今回の戦いには意義があった。すべて支持者の血のにじむような努力のたまものだ。心から感謝申し上げます。
  I氏が立って乾杯の音頭をとる。「K党の支部長であります。この結果は、この町を変える第一歩となりました。来年の町議選挙には2人立てます。」と決意表明をして乾杯。
  「この票なら五人出せる」。「街部と南部と北部から三人出そう」。「二人目は女性だ」…などの話題でもちきりとなる。
  「女性候補は誰だ」の声に、20代に見える北部方面の二人の女性が、互いに「この人だ」「いやこの人だ」と言っている。さらに南部の女性は「生協の会員から出したい」と熱弁をふるっている。
  候補者の叔母のBさん(前町長夫人)が「てるちゃんのおかげ・・・」と、奥さんへの感謝の言葉を立って述べている。

《 現町長派「完敗だった」と握手を求めてきた 》
  PM10時。開票立会人の二人が帰ってきた。
  町長選の開票立会人の Oさんの報告は 「M候補の票が2000票以上出た時に、現職派の立会人が『完敗だった』と握手を求めてきた。『あと一か月あればひっくり返されていた』といった。」
  知事選挙立会人の Iさんは「後ろで見ていたが、一丸となった戦いでものすごく嬉しかった。」
  二人が加わって祝杯はさらにすすむ。若い女性たちも酒がよく飲める。立会人Oさんの奥さんいわく「家の旦那はいい男でしょう」といっている。
  夜中、支部長が「明日朝も街頭にたとう」と発言。「言い出したものが立たにゃあ駄目だぞ」「よし立つよ」「俺は、三日目の朝に、北部の諏訪へ行く峠の下に立つ(町の中心部から30余キロも遠いところへ)」・・・明日からのたたかいの方向は一致した。
  今日同時に行われた知事選挙で、わが陣営の片岡候補が軒並み票を減らす中で、N町では上伊那10自治体中ただ一つ票を増やした。


◎10月19日(月) 投票日の翌日

<<< M氏・“副町長としてがんばる >>>
AM6時30分。朝立ちに出ることになっている、支部長の電話番号がわからず地区委員会にTEL。電話中にI氏が事務所に来た。
  T町議とともに、地元新聞の号外をみる。大きな活字が紙面におどり、 候補者の“健闘の弁”も載っている。
新町長の“喜びの声”も「過去20年の審判を受けたわけで、厳しい批判は私の不徳のいたすところ・・と厳粛に受け止め、これから対応してゆきたい。」
と、喜びの声になっていない。

  現職町長の祝勝会は・・負けた選挙!!

「予想外の苦戦に、選対幹部らは終始神妙な表情で」

“町民の期待に応えられるような町政を進めなければ”・・

  との声も聞かれ、祝勝会場とは思えない落胆の雰囲気も見られた。
                                      ・・・ そうである。
  AM6時35分。候補者宅へTEL。奥さんが「ありがとうございました。」と出て、朝立ちの支度を依頼。この時、町には小雨が降っていた。
  AM6時45分。宣伝カーにてM氏宅へ。握手。元気が大変いい。昨夜のエネルギーがまだ体に充分に残っている。
AM6時50分。宣伝カー(候補者カーのまま)から、元気いっぱいに「おはようございます。選挙では大変お世話になりました。今日から町政刷新のために頑張ります。」と訴えながら街の中を通り、国道の伊那市境に立つ。
  バスの中から立ち上がり手を振る人もいる。車から声をかけて行く人もいる。
反応を示さない人もいるが、多分支持しなかった人であろう。
  明日もたち、明後日は諏訪への峠下にM氏とともに立つことになっている。

 まだ、朝立ちは続いていたが失礼した。帰る時に「良い思いをした選挙でした」というと、「俺が落ちたのに、みんないい思いをしたと喜んでいる。」と満更でない笑顔がかえってきた。
   ・・・ <本当にいい候補者をもっての選挙であった。>


◎10月21日(水) 

  党の創立70周年とともにN町を祝う。
  PM6時30分。創立記念、永年党員、長期配達者をはげます集い・・が伊那市の民主会館で行われた。
  乾杯の音頭は、もちろんMさんである。確信をもった選挙の報告に満場の拍手。テーブルスピーチもT町議、○○氏と続く。話題の中心はN町だ。

応仁の乱の時代以降 ・ 三大事件のうちの“一つの快挙”
   <司会者が選挙をたたえて次のように紹介した>
  Nの地は、応仁の乱の時代(1467〜1477)、戦国時代のはじめに高遠氏が治めて以来、明治の新政府成立まで、上伊那における政治、経済、文化の中心地として幾多の歴史をきざんできた。 
  この500年余の歴史の中で、過去に二つの大きな事件がおきている。

@ つは、天正10年(1582)3月2日の戦いです。
長篠の戦いのあと、織田信長・信忠父子は武田を攻め、3月2日激戦のすえ城は落城。城主・盛信(勝頼の弟)は切腹し、自分のはらわたを屏風にたたきつけた。・・・ことで有名な戦いである。
  このとき流された血が、城址公園の桜の花の色になっている・・・という。
  <勝頼は、まもなく天目山で自害し、武田家は滅亡>

A つは、徳川の時代におきた百姓一揆(草鞋一揆と蓑笠みのかさ一揆)だ。
     <領民の三分の一、百姓一万人が立ち上がった>

Bそれに匹敵する今回の選挙戦。
今回の選挙は、明治以降、この町における最大の戦いであり、歴史に残るものとなった。強大に見える権力に対する庶民のたたかい。“町民の一揆だ”。
  これからの町政は、今回訴えた争点と政策、「町民本位の町政をつくる会」と、K党を抜きにしては進められない。この町における、歴史上の三大事件のひとつになった。 ・・・ と紹介した。


◎10月22日(木) 当選した町長に話し合いを申し入れる

 今日は、当選した町長に“当選証書”を付与する日だという。
  T町議が今後の町政の運営と政策問題で話し合いを申し入れることにした。「取り返しのつかない状況にしないために」役割は大きい。

   << 奥さん・励まされ、感謝される >>
  選挙の最中に候補者の奥さんが、事務所で「選挙が終わってから、向こうの衆と一緒になる“会”があるので“いやだ”」と話してくれた事があった。
  「いや、今度の選挙での立候補は歓迎されている。この町にとって、いま町政の流れを転換しなければ、抜き差しならない状況になる。当落はともかく、必ず“良かった”と言える選挙になる。」 ・・・ と、同じことを何回も話し、励ました。
  その“会”があり、参加者のみんなから「よく出てくれた。良かった」さらに、「支持した」と感謝されたり、激励されたそうである。

 ・・・ この一か月余の、奥さんの気苦労も、大分いやされたことでしよう。

<この文章は、当時のメモや記憶をもとに、2009年2月に記す。>