●与謝野晶子・ 大山郁夫・ 鈴木貫太郎と伊那村
●「帝銀事件」と長野県 ・伊那村
●「人体実験・731部隊 陸軍中将石井四郎」と 長野県伊那村
●登戸・伊那村・ 帝銀事件
●高遠藩 3万3千石 百姓一揆物語
●ある城下町の 町長選挙・顛末記
●上井・下井 いまむかし
●終戦直後・お祭りに“花火”を打ち上げた話
●ある女性の 崇高な思い
●諸国行脚 奥の細道の巻
●真珠湾攻撃 日米開 戦の日の朝と昼と夜
●劇画「赤須きくおの すべて」
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その1 わらじ(草鞋)一揆・農民1万人以上が参加した「興津騒動」 その2 明治2年・中沢郷のみのかさ(蓑笠)一揆・・・の一部始終 その3 私的考察
住民の27%、1万人が参加した百姓一揆が、江戸時代の高遠藩でおきていた。 江戸時代には、幕府や藩に「意見をいっただけでも死罪」という時に、死をもかえりみずに立ち上がった人々、先輩たちがいた。 それをわかりやすくまとめ、今の社会や政治状況に連動させて考えたい。 いま、多数派を結集して、政治の根本的な転換を勝ち取る可能性はみちている。
【 目 次 】
その1 わらじ(草鞋)一揆・農民1万人以上が参加した「興津騒動」
●高遠藩3万3000石で内藤氏入る ●大阪加番の“名誉”拝命される ●藩財政は窮乏の極 ●高遠の“涙米”・百姓は租税を納める道具 ●「男一日に草鞋2足、女は1ヶ月に木綿1反」の上納を命令 ●わらじ2足と木綿1反が、なぜ過酷だったか ●巧妙なふれ書きをもって通達 ●百姓承服せず・立ち上がる ●先陣をきった辰野村 ●合計 1万名余が一揆に参加 ●『 くず紙が一枚あればたるものを、いらぬほんごの二枚三枚 』 ●一揆は洗馬郷に飛び火、悪役人をこらしめる ●百姓一揆・完全に勝利する ●信濃一国、江戸ご府代内とも徘徊しまじきものなり・・・と追放処分
その2 明治2年・中沢郷のみのかさ(蓑笠)一揆・・・の一部始終
●4ヵ年連続の凶作が一揆の引き金に ●入野谷・木師郷で百姓一揆おきる ●入野谷に呼応して中沢郷でも一揆おこる ●蓑笠一揆勃発・のろし上がる・ときの声は鶏鳴四郷に達する如し ●藩兵50人・火山峠に陣を張る ●福地の「湯戸」で対決。「 じゃまだてするやつらを踏み倒し、蹴飛ばせ」 ・・・ と法螺貝を鳴らして一揆は進む ●一揆勢・2000余人となる。弁財天の大橋上で乱闘。三峰川を渡る ●藩主・内藤頼直 「 百姓を丁寧にあつかうように」 ●一揆の代表が嘆願書を差し出す ●おそれながら嘆願たてまつりそうろう 「乍恐奉歎願候御事」 ●塩むすびを食べ、数十ヶ所の焚き火を囲んで夜をあかす ●<城の側から見たようす> “ 野にも山にも人がいっぱい 百姓が雲霞(うんか)のように、 大勢集まって漸漸と押しよせてくる“ ●なぜに、かくまでに立ち至りしか ●嘆願のおもむき・後日よきにはかられる ●明治2年、高遠藩の記録では ●明治維新という激動する情勢のなかで ☆ 資料・高遠藩、7ヶ郷82村
その3 私的考察
@内藤新宿・歴史散歩 (1)「いっときに馬で走ってきた所をやる」家康の命により内藤領に (2)内藤新宿、歩いた・見た・聞いた (3)神楽坂3話 (4)新宿戸山、陸軍参謀本部、防疫給水部、陸軍病院、厚生省予防研究所 A蓑かさ一揆 <中沢郷15ヶ村中、1ヶ村の“脱落”> (1)脱落の背景 (2)貝沼村での出来事、埋橋粂右衛門がどのように取立てられたか B「お前の女房を俺にくれ」 郡代・岡野小平冶の逸話 (1)お前の女房を俺にくれ (2)岡野小平冶の経歴 (3)妻の出身地と親類縁者・上井筋の建設 C“城は高遠・銭は内藤(無いとう)駿河の守かみ ” 譜代・高遠藩の葛藤 (1)銭はないとう駿河の守(かみ) (2)一揆の頃の城主の生活の一端 (3)百姓からは、絞ればしぼるほど取れる・一揆へ (4)「徳川を守る」 体制維持のために長州征伐。 戊辰戦争では、官軍にしたがって出兵・・・この葛 D天からお札(ふだ)が降ってきた。“ ええじゃないか”・・・ E世直しだ! 一揆への庶民のエネルギー