8、平和がみちあふれる郷土をめざして <赤須喜久雄の訴え>
高遠藩3万3000石・百姓一揆ものがたり


●与謝野晶子・
 大山郁夫・
 鈴木貫太郎と伊那村

●「帝銀事件」と長野県 ・伊那村

●「人体実験・731部隊
 陸軍中将石井四郎」と
 長野県伊那村

●登戸・伊那村・
 帝銀事件

●高遠藩 3万3千石
  百姓一揆物語

●ある城下町の
  町長選挙・顛末記

●上井・下井
   いまむかし

●終戦直後・お祭りに“花火”を打ち上げた話

●ある女性の
  崇高な思い

●諸国行脚
  奥の細道の巻

●真珠湾攻撃 日米開
 戦の日の朝と昼と夜

●劇画「赤須きくおの
  すべて」

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その1  わらじ(草鞋)一揆・農民1万人以上が参加した「興津騒動」
その2  明治2年・中沢郷のみのかさ(蓑笠)一揆・・・の一部始終
その3  私的考察
 

 住民の27%、1万人が参加した百姓一揆が、江戸時代の高遠藩でおきていた。
  江戸時代には、幕府や藩に「意見をいっただけでも死罪」という時に、死をもかえりみずに立ち上がった人々、先輩たちがいた。
 それをわかりやすくまとめ、今の社会や政治状況に連動させて考えたい。
 いま、多数派を結集して、政治の根本的な転換を勝ち取る可能性はみちている。

 

 

【 目 次 】

その1  わらじ(草鞋)一揆・農民1万人以上が参加した「興津騒動」

●高遠藩3万3000石で内藤氏入る
●大阪加番の“名誉”拝命される
●藩財政は窮乏の極
●高遠の“涙米”・百姓は租税を納める道具
●「男一日に草鞋2足、女は1ヶ月に木綿1反」の上納を命令
●わらじ2足と木綿1反が、なぜ過酷だったか
●巧妙なふれ書きをもって通達
●百姓承服せず・立ち上がる
●先陣をきった辰野村
●合計 1万名余が一揆に参加
●『 くず紙が一枚あればたるものを、いらぬほんごの二枚三枚 』
●一揆は洗馬郷に飛び火、悪役人をこらしめる
●百姓一揆・完全に勝利する
●信濃一国、江戸ご府代内とも徘徊しまじきものなり・・・と追放処分

その2  明治2年・中沢郷のみのかさ(蓑笠)一揆・・・の一部始終

●4ヵ年連続の凶作が一揆の引き金に
●入野谷・木師郷で百姓一揆おきる
●入野谷に呼応して中沢郷でも一揆おこる
●蓑笠一揆勃発・のろし上がる・ときの声は鶏鳴四郷に達する如し
●藩兵50人・火山峠に陣を張る
●福地の「湯戸」で対決。「 じゃまだてするやつらを踏み倒し、蹴飛ばせ」
   ・・・ と法螺貝を鳴らして一揆は進む

●一揆勢・2000余人となる。弁財天の大橋上で乱闘。三峰川を渡る
●藩主・内藤頼直 「 百姓を丁寧にあつかうように」
●一揆の代表が嘆願書を差し出す
●おそれながら嘆願たてまつりそうろう 「乍恐奉歎願候御事
●塩むすびを食べ、数十ヶ所の焚き火を囲んで夜をあかす
●<城の側から見たようす>
    “ 野にも山にも人がいっぱい  百姓が雲霞(うんか)のように、
      大勢集まって漸漸と押しよせてくる“

●なぜに、かくまでに立ち至りしか
●嘆願のおもむき・後日よきにはかられる
●明治2年、高遠藩の記録では
●明治維新という激動する情勢のなかで
☆ 資料・高遠藩、7ヶ郷82村

その3 私的考察

@内藤新宿・歴史散歩
  (1)「いっときに馬で走ってきた所をやる」家康の命により内藤領に
  (2)内藤新宿、歩いた・見た・聞いた
  (3)神楽坂3話
  (4)新宿戸山、陸軍参謀本部、防疫給水部、陸軍病院、厚生省予防研究所
A蓑かさ一揆 <中沢郷15ヶ村中、1ヶ村の“脱落”>
  (1)脱落の背景 
  (2)貝沼村での出来事、埋橋粂右衛門がどのように取立てられたか
B「お前の女房を俺にくれ」 郡代・岡野小平冶の逸話
  (1)お前の女房を俺にくれ
  (2)岡野小平冶の経歴
  (3)妻の出身地と親類縁者・上井筋の建設
C“城は高遠・銭は内藤(無いとう)駿河の守かみ ” 譜代・高遠藩の葛藤
  (1)銭はないとう駿河の守(かみ)
  (2)一揆の頃の城主の生活の一端
  (3)百姓からは、絞ればしぼるほど取れる・一揆へ
  (4)「徳川を守る」 体制維持のために長州征伐。
                   戊辰戦争では、官軍にしたがって出兵・・・この葛

 D天からお札(ふだ)が降ってきた。“ ええじゃないか”・・・
 E世直しだ! 一揆への庶民のエネルギー